永遠のアセリア Another after story ~The Sword of Karma~
決して、彼らの行軍が遅かったわけではない。
それどころか、半包囲状態から脱し、消耗著しいまま走り続けた事を思えば、充分以上に早い行動だった。
それでも、満身創痍疲労困憊でリレルラエルに辿り着いた彼らの眼前で打ち砕かれ燃え盛っている城門が、全てを物語っていた。
――即ち、間に合わなかったのだと。
「城門は既に突破、防衛部隊は市街地を放棄したようですわね」
「侵攻が止まってるのは、もう急ぐ必要がないからってわけかい。忌々しいねぇ」
リレルラエルが鉄壁を誇るのは、飽くまでその城壁があるからである。仮に今、エドネスたちが攻撃を仕掛け、ラキオスの部隊を排除したとしても、城門を破壊されてしまっている以上、遅れてくるだろうラキオスの増援を凌ぐ事は不可能に等しい。
事実上、リレルラエルは既に落ちたも同然なのだ。
「ぼくたちの家……もう帰れないのかな……」
「ていうか、さ……。作戦失敗って事はひょっとしたらひょっとしなくても「リリス! それ以上言うんじゃないッ!」――ぁ」
「………」
その遣り取りすら聞こえていないのか。顔を蒼褪めたリリスの視線の先、エドネスはただきつくきつく拳を握り締めていた。
――任務に失敗した時点で解散処刑だ――
思い出すのは司令の言葉。
どんなに粘っても、善戦したとしても。
この失敗が、皆の命を奪う事に直結してしまっているのだ。
最早この現実は悪夢以外の何物でもなく、しかし紛う事なき現実でもあるのだ。
「隊長。あなたがいてくれたからこそ、わたくしたちはここまで粘る事が出来たのです。あの乱戦の中、あなた以外の誰がわたくしたちをここまでたどり着かせる事ができたでしょう。誰一人として欠員を出さなかった事は、むしろ誇ってもいいくらいですわ」 「そうですよ、隊長。……って言っても、気は晴れないんでしょうけどねぇ。あたしらがそう思ってるって事だけは、知っといてくださいよ」 「……ああ。ありがとう」
メルシアードの慰めも、フィルフィの励ましも、応えるエドネスに笑みをもたらす事はない。疲労と敗北、そしてその先に待つ未来が、エドネスに微笑む事を許さない。
そして未だ終息していない状況もまた、彼らに立ち止まる事さえ許さない。
「……取り敢えず内部に侵入する。司令に報告にいかなければならないし、結果はともかく作戦は終了したのだから、次の指示を仰ぎに行かなければならない。補給も市街では望めないだろう。幸い、本城への侵入経路を全て封鎖できるだけの兵力は、ラキオスにはまだないようだしな」
そう、まだないだけで、遠からず散々エドネスたちを苦しめたラキオス軍がやってくるだろう。そうなれば、市街地を制圧されるのも時間の問題でしかない。何をなすにしてもそれまでにやらなければならない。
「そう……ですねぇ。ここにいても出来る事はないし、もたもたしてたらラキオスの連中に追いつかれちまう」
「確かこの辺りにも城内につながる秘密通路があったはずですわ。そこから城内へ入りましょう。……隊長も、それでよろしいでしょうか?」
「ああ。時間がない、急ご……ぅ――?」
「隊長!?」
メルシアードの問いかけに答え、歩き出そうとしたエドネスだが、不意にその語尾が乱れ、更には足をもつれさせてしまう。
「ちょっと隊長! しっかりしておくれよ!」
「エディ!」
咄嗟にフィルフィが肩を貸し、イズラがしがみついてどうにか倒れこむ事だけは避けられたが、その姿は力ない。
しかし、本来ならそうなっているのが普通なのだ。スピリットでさえ音を上げてしまいそうな戦闘をくぐり抜け、その直後に休むまもなく全速力でリレルラエルまで戻ってきたのだ。飽くまで人間でしかないエドネスが、スピリットの補助を受けていたとはいえここまで追従できていた事こそが、驚嘆すべき事なのである。
「う……、だ、大丈夫だ。一人で立つ」
「無茶言わないで下さいよ! こんな、痙攣までしちゃってるじゃないですか!」
「そうですわ。とりあえずは内城に移動するだけなのですから、無理をなさる必要はありませんわ」
「そんなもの……関係ない……ッ! 俺は……こんなところで終わるなど……終わってなど……!」
唇を噛み切り、色濃い隈と血走った目で叫ぶ様は、最もエドネスと近しい存在であると自負するフィルフィをして見慣れないもの。
それほどまでに自分たちの事を思ってくれているのだ、と理解も出来る――そしてその解釈は間違っていない。自分たちの隊長が、どれほど自分たちを愛してくれているのか、わからない者は、彼の隊にはいない。
しかしだからこそ、この必死さに違和感が消えないのだ。
「俺は諦めない……もう二度と……あんな思いは…………――」
「エディ!!?? ヤダやだ死んじゃやだよ!!」
「安心しなさいイズラさん、 気を失っただけですわ。……余程、お疲れだったのでしょうね……」
冷静に脈をとり、呼吸を確認したメルシアードが、凄まじい形相で泣きながらエドネスにしがみつこうとするイズラをなだめ引き剥がす。小柄なイズラといえど、錯乱した状態で手荒にしがみつけば、気を失っているエドネスは一堪りもないだろう。
「やっぱり隊長、無理してたんだね……」
「そりゃそうでしょどんなに凄いっていっても所詮は人間、力とかスタミナでスピリットに追っ付くハズが無いんだもの。それでこんな無茶な行軍について来んだから、そりゃあ無理や無謀の五つや六つ重ねてるわよ」
「リリスとシアスの言うとおりね。私たちだって堪えてるんだもの、無理もないわ。……無理に起こさず、背負って行ってあげましょう。フィル、頼めますか?」
「………」
フィルフィは答えない。ただ、じっと気を失った自らの主を見つめている。
イズラをなだめ、気絶するその刹那。こぼしたその言葉の意味を、フィルフィは知らない。
気絶するその刹那。エドネスが見ていたのは、果たして本当に自分たちだったのか?
それすらも、今の彼女には。
「隊長……あなたは……」
そこまでつぶやいて、しかしそこから先が言葉になる事はなかった。
「そこまでですわ、フィルフィ。今私達がなすべきは何ですの? 隊長の過去の詮索ではないでしょう?」
「……簡単に言ってくれるじゃないの、メル……」
力なく呟くフィルフィ。
エドネスと情を交わしている事からもわかるが、フィルフィは最もエドネスと親しい存在である。
最も早く第零独立遊撃隊の隊員となった者の一人である彼女は、それまで帝国におけるごく一般的なスピリットとしての扱いを受けていた。
……いや、自我が強く、反発心も強かった彼女が受けた扱いは、通常のそれよりも更に劣悪であったと言っていいだろう。秀逸な防御性能とグリーンスピリットらしからぬ攻撃力という武器がなければ、虐待の末に殺されていてもおかしくなかっただろう。或いは、兵たちの欲望の捌け口に堕とされていたかもしれない。
そんなありえただろう未来を知るからこそ――いや、例え知らなかったとしても――フィルフィは師として上官として、そして一人の男として、エドネスを信頼し尊敬し、そして愛している。
「自惚れでも何でもなく……あたしが一番隊長と深い関係になってるんだって事はわかってるんだよ。でもね……そんなあたしでも届かない、深いところに、あの人はきっと過去を抱えてる」
この人は、当然として自分達を差別していない、というわけではないとフィルフィは感じている。
前に所属していたという機動諜報隊での経験が元となった「必然」の平等なのだ。無論それだけではないのだろうが、その「必然」が大きなウェイトを占めているのは確かだろう。
そして機動諜報隊での経験。それは間違いなく、先程の狂態にも関係しているのだろうとも。
「……確かに、どうして隊長はこんなにも私達によくして下さるのか……。気にならないとは言えませんわ。ですが……」
「今は城内に入るのが先決よ。気持ちはわかるけど、せめて安全なところまで移動してからにして――それに年少組が不安がってるわ。せめて見た目だけでもいつものあなたでいてあげて欲しいわ」
そっと囁かれたレイオンの言葉にはっとして振り返れば、シェリオにシアスが見て取れるほどの不安をたたえ、そしてイズラはといえば、自身を抑えるメルシアードの腕に噛み付いて、呻き声を漏らしていた。
「……ああ。確かにこれは駄目だわ……ねぇ!」言い切ると共にパンッと強く自分の頬を張る。揺らいだ自分に喝を入れ、余計な考えを追い出すために。些か力を入れすぎて、思ったよりも音も痛みも大きくなってしまったが、それも戒めと考えれば安いものである。
「っ~……。ちょっと驚かせちまったかねぇ。もう大丈夫さ」
「ぅう~っ! し、心配したんですよフィルフィさん~っ!」
「ボクもですよぉ……。隊長に続いてフィルフィさんまで……。もうおしまいかと思っちゃいました」
「ああ、シアスにシェリオも、済まなかったねぇ。ほらイズラも。メルの珠のお肌に傷が残っちゃうじゃないか」
「ぁぐ……んぁっ……。ぅううううっ……ねえフィル、エディ、エディは大丈夫? ほんとに大丈夫なの!?」
「ああ、大丈夫。イズラの大好きなエディが、イズラをおいてどうにかなっちまうはずがないじゃあないか。信じてあげな。あたしも、信じるから」
メルシアードからイズラを受け取って、その小さな体を抱きしめる。
この小さな無垢な少女は、その心のほぼ全てをエドネスに依存し、隷従している。行動理由は言わずもがな、存在理由さえエドネスに求めるだろう。
無垢さ故の歪さなのか、歪であるが故の無垢なのか。わからないけれど、それでもイズラはエドネスを信じている。失う恐怖に襲われ、その生存を信じきれなくなったとしても、それだけは恐らく絶対不変、といってもいいだろう。
(……今はその信頼にに縋らせとくれよ……。あたしはアンタほど、無垢じゃあいられない、めんどくさい女だからねぇ……)
「よし、じゃあ隊長に変わって一時的にあたしが指揮をとるよ! ……っても、まあ秘密通路を通って城内に帰還するだけなんだけどねぇ」
「いやいやいえいえ、コレは重要任務ですよ隊長を安全なところまで護送するという特級の重大任務! そして肝心の隊長をお運びするのはそれはもうフィルフィさんがやるしかないじゃありませんかええそうですともという事でさあ遠慮なくズズイと!」
「うわあ……空気が変わった途端に躊躇なく自分のペースで発言出来るリリスさんが何故かかっこよく見えます……」
「し、シェリオ、それ多分錯覚だよぉ……」
「リリス、姉失格」
「ちょ、ニルギスさんそれ酷いですよ!?」
「……ふふ。ほら、フィルフィ。あなたが立ち直るだけで、皆さんの雰囲気ががらっと変わりましたわよ」
にわかに活気を取り戻した面々を見て、微笑みながらメルシアードがフィルフィに言う。当のフィルフィは、あまりの変わりっぷりに目を丸くしていた。
「……いやぁ、ちょっとびっくりしてるとこさね」
「それだけあなたの影響力が強いって事よ」
「幼いあの子たちにとって、隊長とあなたは正に支え……。ふふ、人間で言うところの父親と母親といったところでしょうか?」
「は、母親だって? よしとくれ、柄じゃあないよ」
どこからともなく転送されてくるという形で発生するスピリットは、当然親というものを持たず、知らない。
それでも、時折赴いた街の角や、手に入れた娯楽用の書物から、母親の何たるかを垣間見てきている。
時に厳しく、時に優しく子どもたちを育て守り慈しむ。
フィルフィには、血に染まった両手を持つ自分が、そんなものに似つかわしいとは到底思えなかった。
「……なんにせよ、今は」
「ええ。今は、ですわ」
メルシアードの相槌を聞きながら背負ったエドネスの体は、気を失って脱力しているはずなのに、やけに軽く感じられた。
(あたしの力が強いだけって話だろうけど……でも隊長。あなたは、こんな体で、一体何を背負おうっていうんだい……?)
声にならない問に答える者は、今は、まだ……。