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雨と陽光と鉄線と

 長谷川千雨(幼)は不登校児であった。

 以前から精神的に不安定な面は見せていたのだが、ここ数ヶ月は悪化著しく、登校する意欲と共に食欲・体重も減退の一途を辿る。
 見かねた兄、そして両親が「無理はするな」と声を掛けたのが良かったのか悪かったのか。狂乱状態に陥る事はなくなったものの、外出する事もなくなってしまい。家族との関係が悪くないだけで、ほとんど引きこもり状態になっていた。

 教師陣も、彼らは彼らで困惑していた。
 千雨の不登校の理由がわからないのだ。
 真摯に調査したものの、いじめの兆候は微塵も見当たらず、また勉強も出来る子だったので、その辺で悩んで、というわけでもない。【ごくありきたりの出来事】しか起こっていないので、ストレスになるような事象も見当たらない。
 彼らは心底千雨を心配していた。

 兄。千雨の兄。長谷川一晴。
 千雨に、或いは千雨がよく似た容貌をしている。ややタレ目でのんきそうな顔をしている彼だが、こと妹の事、特にピンチの類になると一変するスーパーお兄ちゃんである。シスコンとも言う。
 千雨も千雨で、兄の事をよく頼りにしていた。誰よりも自分の事をよくわかってくれる理解者でもあったから。

 そう。どんなに愛していても、どんなに心配していても、長谷川夫妻にも教師陣にも、千雨をわかってやる事は出来なかった。今この時においてはただ一人、長谷川一晴だけが、千雨をわかってやる事が出来たのだ。

 

 引きこもり始めて早半月。長谷川家に来客が来る。麻帆良のある教師の紹介で文部科学省の方から来たという彼らは、見計らったように両親が不在の時に訪ねてきた。

 ダークブラウンのスーツに身を包んだ、勝気そうな女性と、その子供だという少年。
 女性は、ブロンドの髪とどこか欧風の顔立ちをしている。聞いてもいないのに日英のハーフだと伝えていた。日本語はやや違和感が残るも達者である。子供の方は、一晴よりも幾らか年上に見え、興味深げに二人を観察していた。
 二人はそれぞれ、まどか・カーネギー、鉄城猛と名乗った。

 とはいえ、名乗りを受けたからといって素性の知れない人間である事に変わりはなく。一晴と、その背に隠れて怯える千雨は警戒心をあらわにする。
 しかし。

 

「あんたたちを苦しめるモノの秘密。知りたくはないかい?」

 

 その一言で、まどか・カーネギーは二人の警戒網をむりやりぶち抜いた。

 千雨は兄を除いて誰にも告げる事が出来ず、一晴も告げられたはいいが誰にも頼る事が出来ずにいた。そこに伸ばされた、思わぬ救済の手。しかしそれを、一晴は安易に掴もうとはしなかった。

「なんで……どうして、知ってるんですか? どうして、来たんですか?」

 中等部の教師から話を聞いた、との事だったが。一晴は中学一年なので、接点がないわけではない。しかし、紹介したという教師から直接接触された事は一度もない。それに、不登校で苦しむ児童生徒は全国に溢れているだろうに、何故自分たちのところに来たのか。

「賢いね。それに強い子だ」

 必死に妹を守ろうとする兄の姿に嬉しそうに笑い、コーヒー(警戒しつつも客として扱った一晴が淹れた物だ)を飲み干して、まどかは告げる。

「文部科学省といったけどね。正確にはすこぅし違う。国家公安委員会の特別チームでで、国連安全保障理事会の嘱託機関なのさ。もちろん文科省とも繋がっているわ。防衛庁もだけど」

 成り立ちは複雑なのさ、と、呆気にとられて――というより混乱している兄妹に笑いかけ、すい、と表情を引き締めた。

「あんたたちが知らずに巻き込まれてる事態は、きっとあんたたちが思う以上に大事なんだよ、これが。で、私たちは、それに対応していくための組織、の日本支部ってところだね」
「はあ……」

 スケールの大きい話になって、一晴に千雨はついていけなくなりつつある。それを理解しているのだろう、まどかも今これ以上話をするつもりはないらしい。

「これ以上は、今は話せない。あんたたちのこの先を大きく左右しちゃうんでね。ただ、あんたたちが巻き込まれちまった事態は、想像以上に厄介な事で。そして……」

 それは一瞬の事だった。
 それまでの頼れる肝っ玉母さん、といった風の雰囲気が変わる。多くの怒りと、そして反発心。ぎらりとした牙が僅かに覗いたような。

「そして、心底糞ッタレだって事。関われば、それを取り巻く大きなうねりに飲み込まれちまう。でもそれでも……抗って、立ち向かって欲しい。あたしはそう思ってる」
「………」

 肝心なところが伏せられているのだ、千雨も一晴も戸惑うところが大きく、言葉が口から出てこない。
 しかしそれでも、まどかの眼差しに嫌悪を抱く事はなかった。

「……また後日、今度はご両親がいる時に伺うよ。それまでに……【これでいいのか】という事だけ、少し考えてみて欲しい」

 そう言い残して。まどかはあっさりと立ち上がり帰ろうとする。ずっと無言を貫いていた少年もそれに続く。
 思考の空白の後、慌てて見送ろうと立ち上がった二人に。初めて、少年が口を開いた。

「母さんは……ただ道理を通したいだけで、理を尽くしたいだけなんだ。だから、母さん自身や俺を襲った理不尽が許せなかった。理不尽を振りまく奴らが許せなくて、理不尽に苦しむ君たちをほっとけなかった。……できたら、そんな母さんを一緒に支えて欲しいって、俺は思う」
「………」
「それだけだ。……ある意味じゃ、俺たちのやってる事も君たちを振り回すだけなのかもしれないけど、それでも、僕も母さんも、理を尽くして接するつもりだから。その時になったら、家族みんなで悩んで、そして決めて欲しい。……それじゃ、また」

 そして、二人は去っていった。
 兄妹に、問い掛けだけを残して。

 

 そして、一週間後。
 今度は両親に対してもまどかから連絡が届き。その三日後、長谷川家の四人は、東京は新宿の、とあるビルの一室で、まどかと猛の二人と相対していた。

「ご両親に於かれましては、初めてお会いいたしますね。わたくし、国家公安委員会の特別チーム、通称【鉄線】の責任者、まどか・カーネギーと申します」

 

 【鉄線】とは。
 通常の法や常識では管理しきれない事件・事象に対応するための特別機関であり。国連安全保障理事会の要請を受けて秘密裏に設立された機関である。
 そして、その事象・事件とは。

 

「……魔法、ね……」
「………」

 三時間近くに渡っての、事情説明。そのほとんどが「魔法」や「気」といった超常現象の存在についてに費やされた。
 「魔法」「気」「関東魔法協会」「関西呪術協会」「立派な魔法使い」etc...

 

『魔法使いという存在は、言ってしまえば人間ではありません。人間という範疇には収める事が出来ないのです。生身で武装した軍人以上の破壊活動が可能であり、またその手段も一般には未知のものです。主義主張や思考も我々一般の人間とは大きく乖離している面もあるため……率直に言って、政府機関などにとって、彼らの活動・存在は迷惑極まりないのです』

 絶対悪、と断じれるなら楽なのですが、と一言を挟み、まどかは続ける。

『彼らの目指すところは、究極的には我々と同じく安定と平和の維持であるのでしょうけれども。問題は、そのための手段と、好き勝手に介入してくる点にあります。棲み分けをする気がない、としか思えないのです。このままでは、千雨さんのように無理な隠匿の犠牲になる方も増えるでしょうし、大々的に露見してしまえば世界規模で混乱が生じる恐れがあります。一般の方と、魔法使いたちの健全な棲み分け。または段階を踏んだ魔法の公開。我々はこれらを目的に活動しております』

 

 長い説明が終わり。大人たちは大人同士で、子供たちは子供同士でそれぞれ話をしていた。

「……千雨は、どうしたいの?」
「……わかんない。でも取り敢えず、ここにはいたくないなぁ」
「そっか……。お父さんもお母さんも、知ってしまった以上はなかなか居続けるのは難しいみたいだし、転出する事にはなるんじゃないかって」
「そっか……。えっと、猛、さん?」
「ん?」

 兄弟同士の、今さっき事情を知ったばかりの二人は、先達とも言える年上の少年に尋ねる。

「猛さんは……全部知ってるんですよね?」
「ああ。俺の場合は生まれが生まれだったんでな。母さんが巻き込まれる切っ掛けになったのが、俺だったんだ。だから、全部知ってるし、母さんの思想に賛同して、それを成すために、鉄線に参加してる」

 これが、鉄城猛の始点。
 猛は居住まいを正し、まっすぐに千雨と一晴を見詰めた。

「もちろん強制はしない。しないけれど……これも何かの縁だと思うから、力を貸してくれたら嬉しい」

 それもこれも、ご両親の判断しだいだけどね、と苦笑しながら付け足す猛。その顔をじっと見つめ、決心したのは、一晴だった。

「……僕は、手伝いたい」
「兄さん!?」
「へえ?」

 驚いたような声と、意外そうな声。それに一瞬びくりと身体を震わせながらも、一晴は訥々と己の内心を露にする。

「だって、魔法は千雨を傷つけた。千雨の心を傷つけた。千雨の記憶を踏み荒らした。どんなお題目を唱えたって、そんな事をする奴らを、見過ごしてなんかおけない」

 これが、長谷川一晴の始点。
 そして。

「私は……理不尽が納得出来ない。今はまだ、詳しくは知らないから、なんとも言えないけど……。でも、だから、私は知りたい。私を苦しめたものの正体を。その詳細を。その将来を。それが納得出来ないものだったら……。私は、立ち向かう」

 ――これが、長谷川千雨の始点。

 

 そして物語は加速する――。 

 

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(c)Ryuya Kose 2005