- k a r e s a n s u i -

- ワールドリーダー 第二十四話 -



「これを読んでください」

 帰ってすぐに引き篭もってなんかやってて、やっと出てきたと思ったらこの科白。あんたちょっと何考えてんのよ?
 そんな私の疑問を篭めた視線に気付かぬ筈もないのに、いいからいいからと勧めるだけ。

「ちょっと、一体何なのよ?」


「逃れられない、逃げてはいけない、俺たちにとってのイニシエーション、ですよ」


 返ってきたのはそんな言葉で。それに、この私が僅かながらも恐れを抱いたのは、きっと気のせいに違いない。



ワールドリーダー第二十四話



「思い……出した……」

 呆然。正しくその表現が当てはまるね、うん。
 しかしまあ、当然といえば当然、なのだろう。まさに衝撃の事実が明らかにっ、となったわけだから。
 正しくは、思い出された、という表現が適切だろうけれど。

 俺が思い出せたのは偶然、にも思える必然だと、今ならわかる。
 気付くための要素は幾つかあった。
 まず始めてあの世界に入った時の既視感。そりゃそうだ、一度来た世界なんだから。何万と時が過ぎようとも、あれだけ印象深い出来事があった世界、早々忘れるものではない。
 次に、あの烏。あれは、要は彼女の文字通り"残念"が形を持ったもの。元が彼女なんだから、惹かれるのは当たり前で、ゆくゆくが今の彼女なんだから軽妙なやり取りが出来るのも当たり前。
 そして、あの"人形"に対する嫌悪感。あれは同属嫌悪に近い物だったのだろう。世界に弾かれて自分を失いかけてしまった己が被って、認められなかった。だから、繰り返さないと必死になった。
 それらを下地に、烏の形見となった情報が記憶の回復を成し遂げたわけだ。

「今更かも知れないけど……はじめまして。ずっと、会って話がしたかった」

 くしゃっ、と。いや本当にそんな祇園が当てはまるくらいに表情が崩れて、彼女は俺に抱きついて、子供みたいにわんわんと泣き始めた。
 
 あ〜、ひょっとしたらこっちの彼女の方が本来の姿なのかもわからんね。俺も今の性格が本来の物とは、思い出した今ではとても思えんし。
 内向的な自身の性格の変革を願っていた意識が、世界から弾き飛ばされて記憶と自身を失った事で発露したのか。
 彼女の場合も似たようなものかな。本来の性格は長い年月のうちに摩滅し、その代わりに臆する事のない今の性格が構築された、とか。

 そんな事をつらつらと考えながら、ぽむぽむと彼女の頭を優しく叩いてやる。
 暫くそんな風にしていると、彼女が訥々と語り始めた。



 目の前で「彼」を失った彼女は、自失のままに自身のいた階層に戻った。
 これは彼女は知らなかった事だが、失われた彼女の欠片は、彼を待ち続ける残念となり、やがて現地の信仰を金型として烏へと変化した。
 
 帰還した彼女は、もう躊躇しなかった。行方の知れぬ彼を求めてありとあらゆる世界へ飛び込んだ。
 恐れず会っていたら、もっと求めていたら。その念が背を押してやまず、彼女はひたすらに読み続ける。
 時には入った本の中の本に更に入る、などという暴挙に出たりもしている。
 自身の本来の階層から離れすぎるこの行為は、かなりの危険を伴う。自らが浮かび上がるべき世界の水面を見失い、帰還が適わなくなる可能性を孕んでいるのだ。
 しかし今の彼女にとって、自身の安全は二の次だった。もし彼が知れば止めるだろうし、何かあれば悲しませる事になるだろう行為であっても。それでも求めずにはいられない。

 やり直したい、取り戻したい。

 後悔と自己嫌悪に後押された、強迫観念にも似たその一念で読み続けて幾星霜。
 既に何のために本を読んでいたのかさえ忘れ、惰性のように、それでもひたすらに本の海を彷徨っていた彼女は、とある世界で。



「ついに……。そう、"ついに見つけた"のよね。忘れていたけれど覚えてた。自分が何を探していたのか」

 彼女の本拠――四隅に巨大な本棚のあるあの空間――に連れてこられ、適応出来ずに錯乱し、本人も忘れていた事だが往年の力を瞬発的に発揮した彼に殺されて。

「それでも、もう一度会いに行きたいって思ったのよね」

 あれで文字通り血気が抜けて冷静になれたのかも、と彼女は笑う。

「結果的には、ちゃんとこうしていい仲になれたんだから、世の中わからないものよねぇ」
「あの痛みこそがイニシエーションだった。そういう事だな」
 
 互いの素性がわかった以上、そこに上下関係はない。そも、もともとの技量や経験量、年功序列で言えば、彼女は彼に及ばなかった。

「でもよかった……。こうして、あなたと会えたんだから……」

 万感を込めた言葉。数万の年月を越え、お互いに出会う事が出来た喜びが彼女の胸のうちを占めているだろう事は明らかで、その念が彼のうちにある事もまた事実。
 しかし、だ。



「それは違う。まだ俺はあなたと出会っていない。言葉さえ、視線さえ交わした事はないんだ」



 夢のようなこの時間。
 そう、夢。幻想だ。
 互いに惹かれあい、踏み出せなかった二人。
 いまでこそ、踏み出す事を恐れず、ここに二人でいるけれど、一番最初の臆病さを、未だ抱えたままでいる。


「俺は、まだ見ぬあなたに会いに行きたい」
「それ、は……」

 書を捨てよ、という事。
 過去の蛮行のせいか、本の中の本を更に読む、という行為を平然と行えるようになっているから自覚していなかったが。
 互いに惹かれながらも、直接顔を合わせる事が出来ずにいた「本当の自分たち」は、この世界を抜けた上で、今も本を片手にこの幸せな夢にまどろんでいるのだ。

「この世界で、もう呆れるくらい長い時を過ごしてきたんだ。だから今更この世界が虚構に過ぎないから云々、なんて事は言わない。……でも、最初の間違いを正せずに、最初の一歩を踏み出さずにこのまま、っていうのは、ちょっと納得出来ない。ン千年だかン万年だか越しの、あの頃の俺たちの思いを、成就させてやりたい」
「………」

 答える声はない。
 けれど。


 ――ぴしり、と。聞こえない音が響いてきて。


「……だめ、やっぱりだめ。わたし、怖い。全部が終わっちゃいそう。」
「絆があるなら大丈夫だろ。世界を違えた程度で切れるほど、俺とあなたの結びつきは弱くない。それに何より、あの俺たちはまだ始まってさえいないんだ。終わりなんてしない。始まる以外にあり得ない」


 ――ぴき、ぴき、と。どこからともなくあちこちから聞こえてきて。


「……わかってる、うん、わかってるの。わたしたちの絆は、千年も万年も続くくらい、世界を隔てても続くくらいに強いって。でも……でも、わかんない……わかんないよ。ねえ、わたしはどうしたらいいの? どんな顔をして、なにを言えばいいの?」
「好きにしたらいいさ。求めるように、或いは求められるように。うまく出来なくたっていい、間違ったって構わない。そうやって、こっちの俺たちは繋がっていったんだ。それと同じだよ」

 なんせ俺、一回あなたを殺しちゃってるし。それなのに、こんな懇ろになってるし。
 そう言ってからからと。笑う彼に、彼女も頬を緩ませて。
 

 そして、ぱきりと。箍の緩んだ世界が。


「そんなもの、かな」
「そんなもの、だよ」


 世界の核たる二人。物語の主役たる二人。その双方が、このネバーランドの終わりを悟ったから。蛹は、繭は。やがて羽ばたく二人のために、その役目を終えて、壊れて、ほどけていく。


「そっか……。じゃあ……頑張る。……いよっし! 初恋のやり直しだーっ!」
「ははっ。あっちでは好き勝手にゃあやらせないぞ。尻に敷いちゃる!」



 ――そう。それでいいのよ。私が見せた勇気に、しっかり応えてくれたわね――
 ――上手くいかない時もあるだろうし、足が竦む時もあるだろうけど――
 ――しっかりやりなさいよぉ! 私が待ったン千ン万年も、無駄にすんじゃないわよっ!――



 最後に二人がこの世界で見たのは。
 自分たちの背中を蹴っ飛ばす、三つ目の烏だったとか。





 黄昏時。誰彼時とも言われるその時間。
 その図書館には溢れるほどの人がいた。個別ブースは人で埋まり、フリースペースもまた人で満たされ。
 それだけの人がいて、しかしひたすらに静かだった。物音は幾らもせず、ページをめくる音がやけに大きく聞こえて。
 そんな静寂空間の中に。

「――っ!!?」
「――ぁ!??」

 がたん! とやかましい音が二ヶ所から。続いて何かを堪えるような……例えば机にうつ伏せになって寝ていて、急に目が覚めてその拍子に脛を机の脚にぶつけた時のような声が。

「「っつ〜〜〜〜〜〜っ!」」

 堪えるような声。事実堪えているわけだけれども。永の眠りの目覚めとしては、ちょうどいい気付けになったかもしれない。

 時折通路を行きかう人々に、冷たい視線を向けられながら、たっぷり一分は呻きながらに悶えて。
 そしてようやく収まったら。二人奇しくも同時に立って、脇目も振らずに走り出す。

 走んないでくださーい、という司書の声もどこ吹く風、衝動にただただ突き動かされて。凝り固まった筋肉に四苦八苦、悲しいほどに少ない体力に艱難辛苦、それでも繰り出す足は止まらない。

 そしてたどり着いたのは、エントランス。流石にここにはそれほど人はおらず。誰も座っていない、背もたれのないベンチが二つ、背中合わせに置いてあって。
 
 そして、それを挟んで。二人は立っていた。

「「――っ!?」」

 ばっ、と二人同時に顔を背ける。

 背中合わせに座る。互いに顔は見ない。というか、涙の痕や涎の痕が残っている顔なぞ、早々人に見せたいものではない。寝癖もつき放題だし、さっきまでの寝起きの運動で汗だって掻いている。
 なんというか、総じて締まらない。

 それでも、互いの顔を見ないようにしつつ、にじにじとベンチににじり寄り、そして背中合わせに腰を下ろす。
 恥ずかしくて顔を合わせられない。だというのに、お互いを求める気持ちは止められなくて。

 そっと、背と背が触れ合った。ひゃう、という言葉を飲み込みはしたものの、背中は離れ。けれどまた恐る恐る二十センチ、十五センチと近づいて……セカンドコンタクト。サード、フォースと繰り返された接触は、五度目でようやく定着を見た。

「「………///」」

 先程までの疾走による上気と相まって、漫画的な赤面っぷりである。恥ずかしくて堪らないし、どうしていいのかもよくわからない。

 けどそれでも。例え勢いで、考えなしでついついこうなってしまったけれど。ここで離れてはいけないのだと、二人は知っていた。
 触れ合う背中から、彼/彼女の鼓動が伝わってくる。可哀想なほどにあわただしい鼓動は、けれど自分のものと同じだろうし、それも彼/彼女に伝わっているのだ。
 ばればれなんだ、取り繕うのはいまさらだった。


「あ〜……それじゃあ……その、はじめましてから、かな?」
「え、えと……うん、……はい」
「え……っと。じゃあ、はじめまして。俺の名前は――」
「あ、う、え、と、私の名前は――」



 そしてようやく始まる、二人の最初の一ページ。
 つたなくて、たどたどしくて。それでもきっと、どんなドラマにも負けないくらいの物語/世界が、今。
 二人の手によって、導かれ始めた。





World R/Leader

Fin.









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(c)Ryuya Kose 2005