- ワールドリーダー 第二十一話 -
いつから読み始めていたのか、俺は知らない。見つけられた時には、既に狂ったように本を読み漁っていたというから。
だから、それはずっと前から、としかいいようがない。
その代わり、と言うのも何だけど。じゃあ、俺は何故、読み漁っていたんだろう。
そもそも、そこを疑問に思っておくべきだったのかもしれない。
ワールドリーダー第二十一話
ゆっくりとペンを置き、じっくりとインクを乾かし、しっかりと製本する。
一つ一つの動作に意思を籠め、小さくて短くて、けれど全てを押し込んだ、一つの世界をそこに紡ぎだす。
始める前は、上手く出来るか不安だったけれど……まあ、やってみればどうという事はない。ただひたすらに、ありったけを刻み込めばそれでよかったのだから。
そうして出来上がった本は、まあ御世辞にも立派な装丁をしているとはいえないし、厚さだってたいした事はない。
「でもこの本以上に重大な意味を持つ本なんか、きっとあるはずない」
それは確信に近い。理由はただの同属意識。でも俺たちだからこそ、それで十分。
「問題があるとすれば……」
彼女がソレをよしと出来るかどうか、か。
「ああ、こわい、こわいな」
暖かな夢が覚め、冷たい現実に立ち返る事を迫られるその時を思えば、不安になる、悲しくなる、苦しくなる。
でも、ずっとここにいるだけじゃあ、遠い昔の微かな決意が無駄になってしまう。気付いたはずの事が無為になってしまう。
そしてなにより、俺に全部を託して消えていったアイツ、あの思いを、受け取ったのだから。
「ま、勝算がないでなし」
幾星霜と忘れて逃れたその恐れ、今こそ飲み干して見せようじゃあないか。
「彼」がソレに気付いたのは、偶然だった。
これまでに読んできた数多の本、その履歴を何とはなしに調べてみたのが切っ掛け。
自然発生分も含め、今もどこかで生まれつつある本は、その総数を一切計らせない。計らせないが、既に読まれた本に関しては全てが把握されている、とされている。
そして基本的に読者たちは既に誰かが読んだ本から手を付けていく。全く未知の本に挑戦する者は少ない。というよりも、全く未知の本に出合えるのは、運によるところが大きいからだ。
だから、読んだ本がだぶるという事は、間々ある事ではある。
あるが、しかし彼が今まで読んできた本の全てにおいて、また彼がこれから読もうと手に取る本の悉くに、共通して一人の人物の名前が存在しているとなると、事情は少し変わってくるだろう。
さてこれは一体どういう事なのだろう。
そう考え込む彼だが、その実そんな些事を気にするような者は極めて稀有だ。ココにいるのは押し並べて超越者たち、転じて人を外れたも同然の者たち。本を読むか書くかにしか興味がない存在が大多数で、個々人に意識を向ける事はあまりない。
だから彼がそれを気にする――それも好意的に――事が出来たのは、運命だったのかも知れない。
「彼女」が彼に気付いたのは必然だった。
当時、右も左もわからない「成り立て」だった彼女が、指標となる存在を求めたのが切っ掛け。
本〈世界〉に身を投じるという行為は、非日常を日常とするここいらの住人にとってはごく普通なだけで、非常に危険な行為である。自我境界を失い、世界に取り込まれていった読者は数知れない。本の中で迎える死も、慣れないうちは恐怖であるし、その感覚に耐え切れなかったものも多い。
そんな中で、「彼女」が先人として見出したのが「彼」。好む本の傾向がよく似ており、読む〈行く〉先々でその足跡を目にしていた事が、安心感を生み出し、やがて興味と好感へと育っていった。
互いの容姿も声も知らないままに、貸し出し履歴に残された互いの名前と、求める物を同じくしているという繋がりを頼りにした、あやふやな関係。
そこに一石を投じたのは、彼の方だった。
理想と想像の向こうにいる「彼女」。今まで近付く事さえ間々ならずにいた己の恐れを、好奇と好感で押しのけて、小さくて大きな一歩を踏み出した。
それが、始まり。
戻る
だから、それはずっと前から、としかいいようがない。
その代わり、と言うのも何だけど。じゃあ、俺は何故、読み漁っていたんだろう。
そもそも、そこを疑問に思っておくべきだったのかもしれない。
ワールドリーダー第二十一話
ゆっくりとペンを置き、じっくりとインクを乾かし、しっかりと製本する。
一つ一つの動作に意思を籠め、小さくて短くて、けれど全てを押し込んだ、一つの世界をそこに紡ぎだす。
始める前は、上手く出来るか不安だったけれど……まあ、やってみればどうという事はない。ただひたすらに、ありったけを刻み込めばそれでよかったのだから。
そうして出来上がった本は、まあ御世辞にも立派な装丁をしているとはいえないし、厚さだってたいした事はない。
「でもこの本以上に重大な意味を持つ本なんか、きっとあるはずない」
それは確信に近い。理由はただの同属意識。でも俺たちだからこそ、それで十分。
「問題があるとすれば……」
彼女がソレをよしと出来るかどうか、か。
「ああ、こわい、こわいな」
暖かな夢が覚め、冷たい現実に立ち返る事を迫られるその時を思えば、不安になる、悲しくなる、苦しくなる。
でも、ずっとここにいるだけじゃあ、遠い昔の微かな決意が無駄になってしまう。気付いたはずの事が無為になってしまう。
そしてなにより、俺に全部を託して消えていったアイツ、あの思いを、受け取ったのだから。
「ま、勝算がないでなし」
幾星霜と忘れて逃れたその恐れ、今こそ飲み干して見せようじゃあないか。
「彼」がソレに気付いたのは、偶然だった。
これまでに読んできた数多の本、その履歴を何とはなしに調べてみたのが切っ掛け。
自然発生分も含め、今もどこかで生まれつつある本は、その総数を一切計らせない。計らせないが、既に読まれた本に関しては全てが把握されている、とされている。
そして基本的に読者たちは既に誰かが読んだ本から手を付けていく。全く未知の本に挑戦する者は少ない。というよりも、全く未知の本に出合えるのは、運によるところが大きいからだ。
だから、読んだ本がだぶるという事は、間々ある事ではある。
あるが、しかし彼が今まで読んできた本の全てにおいて、また彼がこれから読もうと手に取る本の悉くに、共通して一人の人物の名前が存在しているとなると、事情は少し変わってくるだろう。
さてこれは一体どういう事なのだろう。
そう考え込む彼だが、その実そんな些事を気にするような者は極めて稀有だ。ココにいるのは押し並べて超越者たち、転じて人を外れたも同然の者たち。本を読むか書くかにしか興味がない存在が大多数で、個々人に意識を向ける事はあまりない。
だから彼がそれを気にする――それも好意的に――事が出来たのは、運命だったのかも知れない。
「彼女」が彼に気付いたのは必然だった。
当時、右も左もわからない「成り立て」だった彼女が、指標となる存在を求めたのが切っ掛け。
本〈世界〉に身を投じるという行為は、非日常を日常とするここいらの住人にとってはごく普通なだけで、非常に危険な行為である。自我境界を失い、世界に取り込まれていった読者は数知れない。本の中で迎える死も、慣れないうちは恐怖であるし、その感覚に耐え切れなかったものも多い。
そんな中で、「彼女」が先人として見出したのが「彼」。好む本の傾向がよく似ており、読む〈行く〉先々でその足跡を目にしていた事が、安心感を生み出し、やがて興味と好感へと育っていった。
互いの容姿も声も知らないままに、貸し出し履歴に残された互いの名前と、求める物を同じくしているという繋がりを頼りにした、あやふやな関係。
そこに一石を投じたのは、彼の方だった。
理想と想像の向こうにいる「彼女」。今まで近付く事さえ間々ならずにいた己の恐れを、好奇と好感で押しのけて、小さくて大きな一歩を踏み出した。
それが、始まり。