- k a r e s a n s u i -

- ワールドリーダー 第十七話 -

 傍から見ればその戦いはさぞかしおかしく見える事だろう。声一つあげる事なく、指先一つ動かす事ないのに、激闘、いや死闘としか表現出来ない戦いなのだから。まあ外見上はそれは静かな物だが、その内側、脳、精神は、唸りを上げんばかりにフル回転しているのだ。


ワールドリーダー第十七話


 速読……見つけた! 編集権限常時発動、削除実こ――うしようとしたところで指先が弾き飛ばされるイメージ。割り込まれて防壁を張られたらしい。同時に自分の足元が消えてなくなるイメージが襲い掛かる。
 ――「リトス」項目の保存! 最高最速で自動更新!――
 くそ、ちょっと気を抜けばすぐこれだ。


読み込む。読み込んで読み込んで、世界を読んで摂理を読んで、その中から「人形」の項目を探し出す。世界を構成する全ての要素からそのたった一つとそれに関連付けされた全て、完成形からだけじゃない、下書きレベルから構想段階まで、ありとあらゆる領域から検出し、そしてそれを削除する。検出だけでも能力が低い奴なら廃人になれる。ましてや平行して自身の項目に防壁を張りかつ更に深層へと読み進めていくなんてのは、自傷ならぬ自消行為だ、文字通り。
 現にさっきから頭痛が止まらないしどうしようもないくらいの「おわってしまう」予感がしている。世界に広がり交わり共感し、自身を世界と等しくする。この次元の存在にしてみれば、まさに神の領域。そして同時に禁断の領域。
 神とは即ち世界を秩序立てているモノだ。世界を我が物とし意識を行き渡らせるのは、世界、その法則と同化しなければ至れない地平。立てば個は全となる。……そろそろ一人称も喪失してしまいそうだ。しかし、物語の中で一人称を失う事は、世界の中で自我を失う事と何の違いがあるというのか。このままならば遠からず……。


そう、遠からず彼は世界に混じって解けて消えるだろう。そうでなくとも「人形」に読み負ければ、混じるどころか完全に無になってしまうだろう。
 読み解くのが先か、限界が先か、読み解かれるのが先か。そして、私が辿り着くのが先か……。

 
検索を続行する。そろそろ限界深度に手が届きそうになってきた……該当項目発見、削除実行……エラー。くそ、また防壁だ。同時に「リトス」項目への侵食感知……防壁展開……解除成功、と。ダミー散布は効果薄いな……性能は俺とほぼ互角か。検索再試行、更に世界の深層へ……該当項目発見、削除実行……エラー……「リトス」項目にエラー発生……、そろそろ不味いか? 緊急浮上……いや、キャンセル、潜行継続……該当項目にエラー検出……削除実行……失敗、行動設定に異常発生……再試行、再試行、再試行……「リトス」項目への侵食途絶……「リトス」項目、定義損耗加速、危険、危険、危険……緊急浮上キャンセル、削除実行………………………………該当項目の削除に成功……緊急浮上実行………………対象項目の指定失敗……再試行………………失敗、緊急浮上不可能、該当項目の保持は不可能……。


そして「リトス」は一人称を喪失した。世界の最深部まで潜行して、根源を読み解いて「人形」を完成型からプロットまで、全ての領域から削除した。でもそこまで。彼は既に世界に半ば溶け込んでいる。一人称を失い自己を手放してしまった段階で、既に彼に自己はない。だから保持しようとしてもその対象がない。やがてはその意思すら生まれなくなるだろう。
そうなれば彼はここで終わり。
でもそれは。
「誰がそんな事――」
 私が手を差し伸べなければの話。
「許すもんですか!」
 ああそう、そうだ。予感はしていた。昨日彼と別れてからずっと。
予感……違う。これは、そう「知っていた」んだ。
 過ちを目の前にして、彼がそれを看過出来るはずがない。過ちを正そうとして、結局また間違える。本当に不器用な私達。それだけは、私は「知っていた」。
 こんな残りかすみたいな定義しか持たない私が、たった一つの指向性しか持たない私がここまで残れたのは、つまりそういう事だったのだ。
 まあわかったところでもう遅いけど。世界から彼をサルベージする。そんな大仕事を成し遂げるには私は力量も存在規模も足りない。全て注ぎ込んで八割。あとの二割は彼が自分で這い上がるしかない。まさに賭けだ。
 でも、私はそれを為したいと願うのだ。



 ……「リトス」に呼びかけている者がいる。彼個人に呼びかけている者がいる。それは世界に希釈され拡散しかけていた「リトス」を再び集束させる。彼自身が個を喪失していても、彼を個として扱い呼びかける者があるなら、彼は個に他ならないからだ。
 ……そして俺は一人称を取り戻した。
 取り敢えず……俺は俺……のようだ。周囲を見回してみると……ノートの切れ端とかメモ帳とか文字の羅列とかが上下左右を埋め尽くしている、なんとも不思議な空間だし。ひょっとして、これは世界設定を視覚化したものなのか?
 つーか……なんで、俺……?

 ――あ……よかった、取り戻したみたいね――

 何か聞こえてきた。懐かしい声。……ってか、ひょっとしてこの声は烏か。さらに気付けば俺がまだ俺なのはこいつのおかげか?

 ――ん。そういう事――

 あれ、聞こえてるのか?

 ――っていうか、見えてる――

 言われてはじめて自分を見てみると。なんじゃこりゃ? 体が文字の塊で出来てるじゃないか。ついでに今考えた事も一番表面に浮かんできてるし。
 ……あ、ひょっとしてこれが世界の中の「リトス」の項目って事か?

 ――まあそういう事。それより一つ言いたい事があるんだけど――

 ん? 何?

 ――約束、破った――

 ―――。

 ――死にはしなかったけど、戻ってこれなくなってた――
 
 ……すまん、とだけ口にする。本当は、なんか憎いあんちくしょうの事を考えてたら異常に腹が立って、いてもたってもいられなくなったんだ〜とか言い訳したかったけど、でもそれはやっぱりただの言い訳で。自分に歯止めを掛けられなかったのは俺の落ち度だから、黙ってる事にした……んだけど。

 ――ふぅん。そっか――

 とかいって見つめてきてますが、そういえば顔に……というか体に出ちゃうんだったね、考えてる事。これはピンチなんだろうか、ピンチなんだろうね。

 ――そっかそっか。やっぱり間違ってなかった――

 ん? なんか風向きが。

 ――まあ、そういう事なんだったら、むしろ約束破った事はチャラにしてあげてもいいね――

 え、マジで?

 ――その代わり。今度は間違えない事。躊躇わない事。約束してね――

 何を? と問う前に。自分の中に流れ込む物を感じた。

 ――それ、餞別。っていうか、私自身。役目が終わっちゃったからね、やり直すための。だからまあ、戻るべき場所に戻るというか――

 いやちょっとまて、話が見えないぞ!

 ――ごめん。説明してあげる時間もないの。でもきっと、目が覚めたら取り戻してるから――

 取り戻す? じゃあやっぱり、俺は色々となくして?

 ――うん。で、私はその失われたた断片。私だけじゃあ何もわからないし、私がなければ何もわからないのは、まあ道理だったのね――

 声が遠くなっていく。でも自分の近くは鋭敏に、というか元に戻っていっているのを感じる。さっきの烏の科白とあわせて考えれば。
「……ひょっとして、お別れ?」
 いつの間にか自分の声が肉声に戻っている事にちょっと驚いたが、気にする事は別の事。烏がいなくなるんじゃないかって事と、何を伝えてくれようとしているのか、だ。

 ――ん。自分を維持してられないし、役目終わっちゃったし。私は救世主を待つ存在だったんじゃなくて、貴方だけを待つ存在だったのよね。で、貴方は救世主だったわけだから、都合のいい方が伝説として残されたわけね――

 自分が消えるってのに、さばさばとした口調。
……何となく、ほんとに何となくだけど。
「……なんか、わかってきた気がするな」

 ――そりゃそうよ。私こと断片が今補充されてるんだから。自分を費やす価値は、ある事だしね――

「そっか。んじゃ、お前が見せてくれた勇気に応えないとな、二人とも」

 ――臆病者だもんね、二人とも――

 苦笑しあうイメージ。俺はもうどんどんと浮上していって、烏はどんどんと沈んでいく、薄れていく。
「ん〜。じゃ、そろそろ」

 ――ん、そろそろ――

「今度は、躊躇わない、恐れない。誓って」

 ――そりゃそうよ、私を踏み台にするんだから……――

 何かを思案するような気配。

 ――ニュ○タイプとして覚醒するくらいはしてもらわないと――

「危険だ、やめれ」
 最後までそのノリか。らしいといえばらしいが。それとも、終わりじゃないんだと伝えたいのか。

 ――とにかく。上手くやってよね――

 返事を伝える間もなく、烏の気配はあっけなく世界から消えた。
 名残惜しさはある。申し訳なさもある。発端を思えば、思い出せば、死にたいくらいだ。懺悔と自責の言葉を羅列したら、俺自身の設定資料よりも多くなっちまうんじゃないだろーかという勢い。
 だけど、伝えなきゃならない貴女は、別のところにいる。
 だから、君には。待ち続けて、大切な事を思い出させてくれた君には。

「ありがとう」とだけ、伝え残そう。
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(c)Ryuya Kose 2005