- k a r e s a n s u i -

- ワールドリーダー 第四話 -

ぐるぐるぐるぐる。
体が、意識が回転している。もみくちゃにされている。まるで洗濯機の中の洗濯物。回って回って回されて、終わった頃にはすっかり綺麗に――
 
ふっ、と浮遊感が消え去る。
「……お?」
 そしてその次にやってきたのは落下する感覚。
「おぉおおおぐぇっ!!!」
 ……痛い。




ワールドリーダー 第四話




 最後が潰れた蛙みたいな声になったのは、地面に叩きつけられたから。そりゃ息も止まりますって。
「……綺麗になるどころか泥だらけだよ……」
 少し頭を打ったのか、視界がゆらゆら揺れている。二、三回軽く頭を振って深呼吸。それから改めて目を開く。
ぐるりと辺りを見渡して、取り敢えず一言。
「……森、だなぁ……」
 最初の感想がこんなのでいいのかと思わないでもないが、取り敢えず周囲に広がっているのは、いかにも危険そうな森林だった。頭上からは不気味な鳥の鳴き声が聞こえるし、遠くからは獣の遠吠えが時折聞こえてくる。
「なんとも物騒だな……」
 ぱんぱんと身体についた泥を叩き落としながらぼやく。インドア派の俺としては、こんな物騒な場所は早々におさらばしたいところなんだがな……ん?
「ガウゥウウウッ!!!」
 うだうだと考えていると、背後の茂みから何かが跳び出して来た様だ。獣臭い事この上ない。
「はぁ……。ひょっとして……っ」
 またまたぼやきながら、首筋に獣の生暖かい吐息が掛かるか否かというタイミングで背後に裏拳を放つ。
 ――グジャッ
「ギャゲッ……」
 骨を砕く感覚と共に、奇妙な音と悲鳴が聞こえてきた。振り返って見てみると、割と適当に放った俺の裏拳はしっかりと狼のような獣の右頬を砕いていた。
「……ひょっとしなくても、かなり危険な世界みたいだな……ん?」
 この世界からの熱烈な歓迎に呆れつつ、地面をのた打ち回る謎の獣を眺めていると、ふと妙な事に気がついた。
「……なんだこいつ。角生えてやがる……」
 角が生えた狼、というのが一番しっくり来るだろうか。取り敢えず、俺はこんな獣は見た事無い……。
「……よな。でもな〜んかどっかで……?」
 はて。この本は初めてだから、見た事は無いはず。他の本に似た様な獣がいたんだろうか。
「ファンタジーチックな世界だから似通ってるのか……?」
 ぐりっ、と右足で謎獣の首を踏み潰して止めを刺しながら、じっくりと周囲の森を観察する。
「……ふむぅ。見た事無い植物ばっかりだ……」
 ……?
「……と思う……」
 はて。やっぱりなんか覚えがあるような無いような。
 まあ、俺は彼女ほどではないにしても、読書量は結構多いと思う。見るだけならかなりの植物を見てきているのだから、記憶の中のどれかがここに生えている物と似ている可能性はある。ひょっとしたら、同じ著者の世界に入った事があるのかも知れない。
 俺に限らず、「読者」をやっているとこういったデジャヴはよくある事だ。

「それにしても、ただ読むだけの時と書く時とじゃあ危険度が段違いだな」
 ここに来て何度目かのぼやき。
 
今まで俺はただ読むだけしかした事が無い。その場合は、どう説明したらいいのか……そう、RPGのキャラみたいに、こっちから話し掛けるなり何なりしない限り、その中にもともと居た人物や動物などから干渉を受ける事は無い。こっちが意思を持って能動的に動かないと、干渉する事もされる事も出来ないのだ。
 ところが、今回は俺は一人の登場人物としてここにいる。だからこっちがなんもしてなくても向こうから勝手に干渉してくるようになっているのだ。仮初とはいえ、この世界の住人になっている証拠なのだろう。

「ま、ぼやいてばっかりいても仕方ないか。さしあたっては森からの脱出だな」
 そうと決めればやる事は一つ。
 眼を瞑って自分が本来この世界の住人ではないという事を強く意識する。

“I am the heratic of this world(此の世に我を縛る物無し).”
 
紡がれる言葉と共に、この身はこの世界からの制約を逃れ常識を逸脱する。
 さて、と呟いて足元を見詰める。
 泥だらけだった。
ならば、と茂る木々に遮られて望めぬ空を見上げる。
「下はドロドロだし……上から行くか」
 軽く両足に力を籠めて、俺は一足飛びで木の葉の天井を突き抜けた。

 森の天井を抜けると、空気の感じが一変した。湿り気が多く纏わりつくようだった森の中とは打って変わって、涼しい風が吹き抜ける気持ちがいい空気だった。
 とん、と適当な木の天辺に降り立つ。
 辺りを見渡せば見える限りに広がる森。
 頭上を仰ぎ見れば、満天の星空と赤青に輝く二つの月。
「へぇ……」
 思わず感嘆の声が漏れる。第一印象とは随分異なるこの世界の在り様に、俺はしばし見惚れていた。

 どれだけの時間が経ったのだろう。
 そのままの格好で空を眺め続けていた俺は、体が冷えてきている事に気付いた。そして、気がついてしまえば余計に実感されるわけで……。
「……ひえっぷしっ!」
 ……いかん。風邪を引いてしまう。早いところ森を抜けて身を落ち着けられる場所を探さないと……。
「しかし……抜けるったって、どっちに行けばいいんだ……?」
 改めて周囲を見渡してみても、森が途切れている場所は見当たらない。
 さて、どうしようか。
 ………。
 ………………。
 ………………………。
「……俺って優柔不断だなぁ……」
 無理。俺には決められない。だってどっち行ってもあんまり変わらなさそうなんだもん。
「こういう時は……と」
 自分が足場にしている木の皮を少々厚めに剥ぎ取る。
「まず、表面が出たら右手の方で、裏が出たら左手の方、二回目は其々前と後ろ、と……」
 まあ、要するに木の皮で代用したコイントスである。
「では……ほいっ」
 ピシッと親指で弾いて木の皮を宙に舞わせる。
 ……ちょっと上げすぎたか?
 ひょろひょろと舞い上がった木の皮は、これまたひょろひょろと舞い落ちてきて……。
 ――バサバサッ
 ――パシッ
 ――バサバサバサッ
「………」
 俺にキャッチされる事無く、どこからとも無く飛来した鳥によって運ばれて行った……。
「――って、ちょっと待てこのクソ鳥ーっ!」
 人のしんせーなる儀式(?)を邪魔しやがって! とっ捕まえて晩飯にしてやる!
 
あほー、あほーとか鳴きながらバサバサと飛び去る鳥の後を慌てて追う。
 邪魔された挙句、罵声(?)まで浴びせられておきながら、おめおめと逃がすほど俺はお人好しじゃなかった。
「待てこらーっ!」
 ――あほー、あほー
「ふぬっ……!」
 心のどこかで大人気ないなぁとか思いつつ、木から木へと跳び移りながら追跡を続ける俺。
 
そんなんだから、結果的にどっちの方向に行くかを悩まずに済んだという事に気付く事は出来なかった……。


(了)
戻る
(c)Ryuya Kose 2005