- k a r e s a n s u i -

- ワールドリーダー 第三話 -

「っあ……はぁ……」
 荒い息を吐いている彼女から身体を離す。さっきまで俺に絡み付いていた彼女の白い足は、今では力なく投げ出されている。その代わりと言ってはなんだが、彼女の長い長い髪が、じっとりと汗ばんだ俺の身体に絡み付いて、離れようとしない。
「はぁ、はぁ……はは、髪の毛まで離れたくないってさ」
 茶化すように、けれども半分本気で。その言葉に上気した顔をさらに赤く染めながら、彼女は――
「さ、三百年振りだもの、仕方ないでしょっ」
 ――と、息も絶え絶えに言い訳してくれた。いやはやなんとも。




ワールドリーダー 第三話




 彼女が本を読み終わった後は、いつもこうして互いを求め合っていたのだが、今回は互いの本心を見せ合った事も手伝っていつもより激しくなってしまい、気付いたら結構な時間――人間の頃の基準で言うと半年とちょっと――が経っていた。人間の時間の概念で考えたらとんでもない事態なのだろうが……俺達にとっても、今回ばかりは無茶をし過ぎたようだった。
「う〜あ〜……疲れた……腰痛いよぉ……」
「……露骨なんだよあんたは」
 言いながらも状態は似たような物なので否定はしない。
「ほれ、とっとと身だしなみを整えて来い」
 そう言って、記憶の片隅に残っていたタイトルを冠する本を投げて寄越す。それを受け取って表紙を眺めた彼女は、嬉しそうな顔をした。
「あ〜、そ〜よそ〜よ、この本よ。これに出てくるホテルのお風呂がもう凄くて凄くて〜」
 眼が輝いてる……。よっぽどお気に入りなのだろう。
「わかったから、早いとこ行って来い」
「おっけ〜」
 嬉しそうな弾んだ声を残して、彼女は本の中に吸い込まれていった。
「さて、俺は、と……」
 適当に本を手に取り、表紙を一瞥する。
 ……ふむ、悪くないかな。
 そう判断して、俺も本の中に身を投じた。


「ふぃ〜、さっぱりした〜」 
 汗とその他、更には積年の汚れを綺麗さっぱり洗い流した彼女は、至極幸せそうだ。俺も満更ではない。
「さてさて、久し振りに文明的な生活に戻ったわけだし、お祝いに美味い物でも食べますかね〜」
「え、作るんですか?」
「ん〜……それもいいけど、今は疲れてるからね〜。どっかから適当に引っ張ってくるわ〜」
 言いつつ、懐から本を取り出し目を瞑って本に登場する料理の中からよさそうなのを検索する彼女。しかし、一つの世界に存在する料理なんて腐るほどあるだろうに、どうやって選んでるんだか。気になったのでその事を問うてみると――。
「ああ、これ? この本はね、私が書いた本よ。今まで読んだ本に出てきた料理の中で、気に入った奴をまとめてあるのよ。言わばガイドブックね」
 ――との事。改めて何でもありなんだなぁとか思わないでもなかったり。
 
 で。結局彼女が引っ張ってきたのはどれも見た事が無いような料理ばかりだったけれど、そこは流石に味にうるさい彼女の御眼鏡に適った一品ばかり。美味しゅう御座いました。


「さて、と」
 ハンカチで口を拭き拭き、彼女が切り出してくる。
「あんた、暇?」
「嫌味か何かですか?」
 本を整理する意外にやる事も出来る事も無い俺にその問いを掛けてくるとは……。
「や〜ね、確認のためよ。……じゃあ、ここからはちょっと真面目な話ね」
 普段の表情とは似ても似つかぬ真剣な表情で彼女は言う。
「……なんですか?」
 うん、と頷いて一呼吸。そして――
「あんた、物語を書きなさい」
 ――とかよくわからない事を言い出した。
「……どういう経緯で?」
「うむ。どういう事?とか聞いてきたら怒るところだったけど、及第点の質問ね」
 そう言って少し嬉しそうな顔をした後、彼女は再び真面目な顔に戻って説明を始めた……。

 ――え〜っと、かなり昔の話なんだけど、あんたが私を殺してさ、狂っちゃった事あったでしょ? んで、その後私は蘇生してあんたの治療をしたわけだけど……。その時に、今私達がいるこの世界(物語)を読んでいた他の読者と、取引したのよ。この世界に於ける私の蘇生……つまり、私がこの世界に再び登場する事を認めてもらう代わりに、あんたが綴る物語を読ませる、ってね。
 私はこれでもかなり有名な「読者」なんだけどさ、「読み返し」をするなんて珍しいな、どういう事だ、って聞かれたのよ。
 ……え? 「読み返し」? ああ、えっとね、世界は物語で物語は世界だ、って事は知ってるでしょ? んで、物語を読み終えるって事は、その物語の中での自分の死を意味する事が多いのよ。別に他にも読み終わり方はあるけど、それが一番ポピュラーね。……ああ、因みにこれは飽くまでその物語を読んでいる場合ね。その辺の事はすぐ後で説明するわ。
 
 で、私はあんたに殺されたでしょ? で、その物語は私が認識できる中で最上位の世界だったの。つまり、殺される直前まで、私はその世界が自分が綴る物語だと思ってたの。読者ではなく、完全な登場人物として生きている世界って事ね。
 ところが、殺されてみたら私はもう一段上の世界で目覚めたのよ。つまり、今まで自分が綴る物語だと思っていたのは、実際は読者として読んでいた世界に過ぎなかったのよ。死んだんじゃなくて、読み終わってしまっただけだったの。
 で、当然あんたはその物語の中に置き去り。だけど私はそれが嫌だった。私の我儘で連れてきたんだから、責任取りたかったし、その……っ、……! わ、笑うなばかぁっ!!! 
 ……全く。兎に角! あんたと一緒にいれなきゃ嫌だったの! で、そのためにはもう一度あんたがいる物語の中に入らないといけない、つまり、もう一度読まないといけない。同じ物語を再び読む事。これが「読み返し」よ。説明終わりっ。
 ……どこまで話したっけ?
 ああそうそう。「読み返し」をするなんてどういう事だ……ってとこまでか。あ、でもそれは今説明したわよね。もうしないからねっ!
 で、とにかくそういった理由で「読み返し」を黙認してもらおうとしたの。そしたら、そいつが「あんたがそこまでほれ込んだ奴の物語が読んでみたい」とか言い出してさ、聞かないのよ。仕方ないからそれを受けたってわけ――
 
「……お疲れ様」
「……うん。疲れた……」
 興奮したり照れたり引っ叩いてきたり。多彩なアクションを交えた説明が終わると、彼女はぐったりとしてうつ伏せに寝込んでしまった。
「……大体わかった?」
「ええ、まあ」
 そう、よかったわ〜、とか言いながら比喩表現無しに本の海に沈んで行く彼女。それを首根っこ捕まえて阻止する。
「――ちょっと待った。俺、読むのは何回かやった事あるけど書いた事なんて一回も無いぞ? どうするんだ?」
「ああ、それ? その辺は大丈夫よ。あんたに関する事情は説明してあるから、あんたが素人だって事は先方は承知してるわ。なにも最初から私やあいつみたいに一から世界を構築しろなんて言わないから。既存の物語の中に入って、あんた主導で話を進めればいいの。言わば主人公ね」
「……へぇ。お膳立てはしてあるから、それを完結まで導けって事か」
「ま、そういう事ね。読む事と導く事。この辺をしっかり出来れば、問題は無いとは思うけど……。大丈夫? 上手く出来そう?」
 ごろり、と寝返りをうって仰向けになり、心配そうな顔をして聞いてくる彼女。
 ……ああ、駄目駄目。貴女にそんな顔は似合わない。
「ふ〜ん……。ま、貴女と一緒にいる事の必要条件なんですよね? これって」
「う……まあ、そのとおりよ」
「だったら――」
 少しうろたえている彼女に、満面の笑みを向ける。
「だったら、上手く出来ないわけはありませんって」
「あ、う……」
 そうそう、いつもの人を小馬鹿にした表情もいいけど、その照れた初々しい顔が一番似合う。
「じゃあ、どの本がいいですかね?」
 照れておろおろしている彼女に尋ねる。彼女は深呼吸を数回繰り返して平静を取り戻そうとしている。そんな姿もまたよし、と。
「ふぅ〜……。よし、と。……そうね……あいつが指定してきたのは確か……」
 まだ仄かに顔は赤いものの落ち着きを取り戻した彼女は、ぶつぶつ言いながら本の発掘を開始する。その辺を掘り返したり例の巨大本棚の前をふわふわ浮遊したり、人間(?)ドリルと化して本の地層に潜り込んだり……。
 
 待つ事しばし。
「お待たせ〜っと」
「……モグラかあんたは」
 足元から顔を覗かせた彼女に取り敢えず突っ込みをいれ、それから今度は普通に引っ張り上げる。引っこ抜かれた彼女の手には、一冊の質素な装飾の本が抱えられていた。
「……これ? どんな内容ですか?」
「さぁ? 私は多分これは読んだ事無いから。でも、どうせあんたが主人公になるんだから、内容なんて変わっちゃうわよ。あんたは何も気にせず物語(世界)を体験してなさい。いい事? あんたの生き様が内容になるんだからね」
「む……。Yes(了解した。),my(親愛なる) lady(主人よ).」
 苦笑しながら答えると、彼女は満足げに微笑んだ。


「それじゃ、再会して間も無いのに悪いわね」
「それはお互い様だ。それに、今後のためを考えたら非常に重大だろ? 言いっこなしだ」
「……そうね。それじゃ、しっかりね」
「ああ」
 最後に軽く視線を絡ませて。
 俺は本の表紙を開き、溢れる光の奔流に意識を預けた。


「……行った、か……」
 光の中へと消えていった彼の姿を見送り、一人呟く。勿論、それに答える声は無い。
「……やだな、静か過ぎるのって」
 思わず呟いて、そして苦笑する。
 静かなのが嫌、だと。今私はそう言った。昔の自分が聞いたらさぞかし驚くだろう。本を読むのなら静かなのに超した事は無いというのに、それを嫌がっているのだから。
 ――まあ、その辺が物語を読むだけだったかつての私と、物語を楽しむ事を覚えた今の私との違いなのだろう。
 今私が生きているこの世界は、本当は私が読んでいる物語。本来の私は、私と同化してこの世界を読んでいる。
 
 そこまで考えて、ふと思った。 
 ひょっとしたら、私は狂っているのかも知れない。
 私は物語の中の一登場人物に過ぎないあいつが狂ってしまった事が、あいつと別れてしまう事が嫌で、それでここに居続ける事を選んだのだから現実逃避もいいところだ。
 
 けれども、それがどうしたというのだろう。
 例えここが虚構だったとしても。
 私がこうしてここにいる限りは、ここは私にとって紛れも無い現実。
 この世界の「読者」に戻ってしまえば、あいつと過した時とか、体験した事とか、物語を楽しむ事を覚えた、という事とか。
 その全てが、ただの感想になってしまう。
 その全てが、無かった事になってしまう。
 
 それは嫌だ。
 そんなのは嫌だ。
 それならば。
 私はずっと虚構の中で生きていこう。
 この物語こそが、私の世界。
 この世界こそが、私の全てなのだ。


(了)
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(c)Ryuya Kose 2005