- k a r e s a n s u i -

- ワールドリーダー 第一話 -

 まばゆい光の後、パタンと本を閉じる音が微かに聞こえてきた。その後に続くのはこれまた微かな長い吐息と、それに巻き上げられる埃。そして――
 ――ぽ〜いっ
 ――ドサッ
 ――ドザザザザザ……ドサッ
「………」




ワールドリーダー 第一話



 ある特定の何かが氾濫している状態を、「石を投げればナントカに当たる」と表現する事があるが、この部屋に於いては「本を投げれば本に当たる」と言った方が適切だろう。
 そして、だ。本に当たるだけならまだいい。問題は、当たった後、山と積まれた本が崩落事故を起こして、折角整理した部分を埋め立ててしまう事だ。
「……はぁ」
 もう何万回も繰り返された事だが、空しい物は空しい。溜息を吐きながら周囲を取り囲む本の山を見上げる。
 ……高い。改めて見ても冗談抜きに高い。どのくらい高いかって、積まれた本の頂上が見えないくらい高い。それが見渡す限りを埋め尽くしているのだから、散らばった本の多さはそれこそ世界に溢れる可能性に、真実匹敵する。
 それに加えて……。背後に聳え立つ本棚を見上げる。所々本が抜けている部分があるが、見える範囲内だけでも七割方は本が納まっている。これを含めようものなら、一体どれほどの数になるというのだろうか。
 
 さて置き。本棚は、正方形だと聞かされているこの部屋の一辺の壁にくっついている。更に聞くところによると、他の三辺の壁にも同様に本棚があるらしいのだが、それを見た事はまだ無い。というか、見れない。理由は簡単、単に遠過ぎて見えないのだ。本棚はおろか、他の壁も、今眼前に聳え立つ本棚の四隅さえ、未だ見た事は無い。
 更に言うなら、今俺が立っている床。これは、本来の床から離れる事高度数百メートルらしい。地層の如く積み重なった本が、床の代役を果たしているのだ。
 それくらい、ここはだだっ広い。
 
 兎に角、俺はこうして無限の部屋の中、無数の本に埋もれながら黙々と本の整理をしてきたわけだ……が。
「ふむ……」
 俺が立っている位置から右手側に十五メートルほど行った辺りに、本のクレバスがあるのだが、そこから頷くような声の後、もぞもぞと何かが這い出してきた。
「あぁ〜……っと。読んだ読んだ〜。もうン百年も同じ姿勢だったから関節が硬くなっててかなわないわ……」
 クレバスから這い出してきたのは、だぼだぼのTシャツ――あ、あれ俺のだ――にショーツのみというなんだかなぁといった格好の女だ。インドア派らしく病的に白い肌と、赤い目――まあ、多分充血してるだけだろうけど――とその下の真っ黒な隈、百七十を優に越える身長の、更に倍はあろうかという灰色の髪……って、灰色?
「あれ? いつのまに髪の毛脱色したんですか?」
「んあ? あに言ってんのよ、そんな訳ないでしょーに。埃よ、埃」
 そう気だるそうに答えると、彼女はぶるんぶるんとその阿呆みたいに長い髪の毛をぶん回し始めた。それにつれて髪の毛に分厚くくっついていた埃が取れて、その下から綺麗な黒髪が覗いてきた……のはいいんだけど、ちょっとこれは……っ。
「ちょ、待てこらっ。そんな事したら他の埃まで舞い上がって……げほげほっ」
「なによっ。私の黒髪が好きだーって言ったのはあんたでしょうが!」
「そりゃ言いましたけど……って、よくそんな三百年も前の話覚えてますねっ。げほっ」
「……黙れこの唐変木」
 何が気に入らなかったのか、彼女は一層激しく髪の毛をぶん回す。
「うわぁ!? ちょ、そんなに激しくしたら駄目……っ」
「み、妙な言い回しをするなっ……って、うわわわわっ!?」
 
 ――ドザザザザザザザザザザ……ドサッ

「うわっ……凄い埃」
 長々と続く本の落下音と、もうもうと立ち込める埃、埃、埃……。数分経ってそれが落ち着くと、そこに在ったはずのクレバスは、這い出てきた彼女諸共すっかり埋め立てられていた。
「あ〜あ〜あ……。だから言ったのに……」
 溜息を吐きながら元クレバスに歩み寄る。
「お〜い、聞こえるか〜?」
「……!」
「生きている人、いますか?」
「……っ!」
「返事が無い、ただの屍のようだ」
「ふざけてないで早く助けなさいよこのばかーっ!」
 ちょっとしたジョークをかましていると、地の底から響くような――まあ的を得ているが――声が、ほんのりと聞こえてきた。
 ……やだなぁ、もう。互いに本気じゃないってわかってるのに。
「はいはい、今引っ張りますよ……っとぉ!」
 適当に足元に向けて手を差し伸べる。直ぐにその手が握られる感覚がしたので、ぐいっと力を込めて引っ張った。
 すぽーん、という擬音がぴったりな勢いで本の海から髪の毛お化けを釣り上げた。そのまま手を握っているという意識を切り離して、釣り上げた獲物(?)を宙に放り投げる。
「一本釣り〜」
「一本釣り〜、とか言ってる場合じゃなーいっ」
 いや、うん。わかってやってるんだけどね。そりゃあ、放り投げた後は当然重力に遵って落下してくるわけで。
「ちゃ、ちゃんと受け止めなさいよーっ!?」
「え〜、重いからやだ〜」
「ふ、不埒者〜っ!」
 うん。なんか会話が出来るくらいに高く放り上げてしまったらしい。ちょっとやりすぎたかなーとか思わないでもなかったり。
 でも、まあ、こんな結構危機的な状況で。
「きゃーっ! 落ちてる落ちてるーっ」
「飛行石を使え〜」
 悲鳴を上げてたりこんな馬鹿な事言ってたりしてても。
「……そろそろよ〜」
「あいよ〜」
 お互いが見る相手の瞳は、優しく自分を見つめている。
「「さ〜ん、に〜、い〜ち……」」
 二人同時に微笑みあう。俺は地を蹴り。彼女は両手を広げ。
「「ゼロっ」」
 俺は彼女を空中で抱きとめ、彼女は俺にしがみ付いた。

 すとん、と着地する。埃は全く舞い上がらない。そのままゆっくりと俺にしがみ付いている彼女を地面――本だけど――に降ろした。
「はい、とーちゃくですよ」
「ん。ありがと」
 とん、と地面に降り立ちぱんぱんと全身を軽く払う。一通りの身だしなみチェックが終わると、彼女は気をつけの姿勢をして俺と向かい合った。
「いや、さっきはだれだれだったんで、改めまして」
「はいはい。いつもの事だから気にしてないですよ」
「そう言わないの。三百年ぶりなんだから……。という事で、お久し振り。元気してたかね〜?」
 さっきまでのしおらしさはどこへやら。いつもの人を食ったような口調で話し掛けてくる。それに苦笑しながら、俺はこう答える。
「ええ。お変わり無いようで幸いです、My lady(親愛なる我が主人).」


(了)
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