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- FourSeasons / WinterDays RetrospectionU -

開け放たれた窓からは、身を切るような冷たい風が吹き込んできていた。
五度もないであろう外気が容赦なく体温を奪ってゆき、指先は凍え、吐息は白く煙り始めていた。
 そんな中で、窓際のベッドで、ただぼんやりと。
「………」
 個室であるため、苦情を言う人もいなければ迷惑そうな顔をする人も居ない。
 ――誰も、いない。
 
 指先が冷える。
 身体が冷える。
 
 このまま、心と同じくらいまで冷え切ってしまったら。
 きっと俺は、氷になってしまうんじゃないかと、そんな事を思っていた。


「……は」
 溜息とも嘲りの声ともつかない音が喉から漏れた。
 呆れるほどに――無様。
  
 身体を起こす。
 腕の力に頼らず、以前と同じように。
「――い……ずぁ……っ」
 激痛。
 冷えた身体は、痛むところだけ切り裂くように熱く。この気温の中、嫌な汗がじわじわと滲んできた。
「ふ、ず、あ……っく、……っ」
 拍動に合わせて傷が疼く。癒えきらない腰と膝から、脳目掛けて叫びが駆け抜けていく。
 ベッドサイドに置いた松葉杖に目をやる。まだ使うのは当分先だろうと言われて、それでも頼み込んで置いて貰った。痛みで滲む視界の真中に、それを置く。

 ……ふと、痛みが遠のいた気がした。
 ――きぃ、きぃ、きぃ、きぃ
 耳を澄ませば、車椅子の音が聞こえる。
 ……別々の病室だったが、きっと俺と同じ様に医師からの話を聴いて、……その上で、あいつは来た。

 ノックの音。
 答える事はしない。
 あいつは間違いなく入りたいと思っている。
 そして、あいつは俺がその事に気づいている事をわかっている。
 ゆっくりと、軋む音を立てながらドアが開き。
「……来ちゃ……った」
 笑顔を貼り付けながら、あいつが入ってきた。


 ああ、軋む。
 ぎしぎしと音を立てて、凍っていく。


「……私、……駄目、だって……、足……」
「………。ああ、聞いた。最初に聞いた」
 医師が口を開くのよりも先に問うた。プライバシーがどうのとか言うのを無視して聞き出した。
「……もう、泳げないって……」
「……ああ」

 そんなに甘い考えを持っていたわけじゃない。奇跡とか、そんなものはこの現実では起こり得ない。
 こいつは、もう泳げない。自分の足で歩く事すら出来ない。
 何時かの夏の日から続いてきた絆が、結ばれた地で絶たれた。
 ……なんて、皮肉。

 そしてまた、俺への宣告も、冷静なものだった。
「……俺も泳げないって、言われた」
「……うん。最初に、聞いた」
「そうか……」
 言われるまでもなく、それはわかっていた。
「……でも、日常生活をする分には問題ないんだもんね。だったら――」
「――だったら、いい、とでも……言うのか?」
「………」
「いいわけねぇだろ」
「……ねえ、どうして身体起こしてたの? なんで……もう、松葉杖なんか……」
 どこか白々しい問い掛けを無視し、どうにかベッドに腰掛けているような態勢にまで持っていく。それだけで、脂汗が滲む。
「無理しちゃ、駄目だよ……?」
 松葉杖を握り締め、両腕に渾身の力を籠めて立ち上がる。
「――っ!!!」
 痛みが貫く。無視を貫く。
 痛みなどに構ってはいられない。
 一歩。また一歩。
「……どうして? 無理したら歩けるものも歩けなくなるって、先生言ってたじゃないっ。どうし――」
「幾ら歩けたって、泳げなかったら意味がないんだ!」
「っ、そ、そんな、そんな事――」
「そんな事なんかじゃない! そんな事なんかじゃないんだ!」
 凍りつきそうに冷たい空気に、皹を入れるような鋭い声。
 荒くなった息が落ち着いて、白く煙る吐息が幾度となく霞んで消えて。
「……わかった……」
 ぽつんと、一言。
「………。……ああ」
 窓際まで、歩く。窓を閉めようとして……そこに置いてあった花瓶に目が留まった。今は花もなく、ただ、薄く氷が張った水だけ。
 ……水面の氷の此方と彼方。
 泳ぎ得る俺。泳ぎ得ぬあいつ。
 
 窓を閉める。時間を掛けて、ドアまで歩く。
 ノブが、回る。
「……っ! ねえっ――」
「俺は、泳ぐぞ……」
 遮って。
「絶対に。また、前みたいに」
 空虚な宣言。感じてはいる。

 けれども。
 あいつが、失ってまで俺に残した。
 だから――


 ――ぱたん。



 胸に残るはあの日の夏の欠片。
 体に残るは冬の冷たさ。

 夏は疾うに過ぎて最早冬。
 戻らないと知りつつ。



 看護士が慌てた顔でやってくる。
 機先を制して問い掛ける。
「……リハビリルーム、どこですか」




 白い病室。薬の臭い。松葉杖と車椅子。一人。

 ――そんな冬の日。
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(c)Ryuya Kose 2005