- FourSeasons / SummerDays Asymmetry -
「は……あっ!」
詰めていた息を一気に吐き出す。脳が酸欠を訴えて視界がちかちかする。
棒のようになった腕に鞭打って、鉛のように重い体を水中からプールサイドへとなんとか引き上げた。
「痛っ」
膝立ちの状態から立ち上がろうとすると、左足と腰に激痛が走った。耐え切れずに上半身をアザラシのように投げ出して、水面をぼんやりと見つめながら痛みが引くのを待った。
水面には、一人分の波しか立っていなかった。
――胸が、ちりちりと疼いた気がした。
――きぃ、きぃ、きぃ
水が入ってまともに役割を果たしていない耳が、かすかに車輪の軋む音を捉えた。
――胸の疼きが、少し増した気がした。
近づいてくる影を敢えて無視しながら体を起こし、耳の水を出そうと頭を振る。
「きゃっ」
飛沫がかかったのか、その影は小さな悲鳴を上げた。
何しに来た、と聞く前に、頭の上にふわりとバスタオルが掛けられた。
「おつかれさま」
言いながら、そいつは俺の頭をわしゃわしゃと拭いてくる。
「……やめろ」
「あ……」
冷たく言い放ち、タオルをそいつから引っ手繰る。
「……来るなって言ってんだろ」
目線を向けずに、少し強い口調で言う。
「うん、そうだね」
抑揚の無い返事が返ってきて、微妙な間が空いた。俺が何も言わずにいると、少し悲しげな声で
「タイム……だいぶ遅くなってたね」
――と話しかけてきた。
「やっぱり、前みたいには泳げないのかな――」
「黙れ!」
「………」
シンとしたプールサイドに、怒声が響いた。身を竦ませたそいつは、それでも俺の目を見詰めている。それが煩わしく思えてしまって、余計に心がささくれ立つ。
「今は体が慣れてないだけだ、暫く経てば勘も戻るしタイムだって戻る!そうじゃないと俺は――!」
「そうじゃないと……何?」
激昂していた自分を省みて、ひどく空しい気持ちが押し寄せる。でもそれでも、俺は抗っていたい。
「……何でも無い」
言って、立ち上がろうとし――
「痛っ!」
さっきの痛みがぶり返してきて、耐え切れずに今度は膝をついた。
「だ、大丈夫!?」
「あ……たりまえだっ!」
「でも……」
「うるさい! そんなざまのお前がいても逆に危ないだけだろが!」
そう叫び、傍らの少女を見据える。
車椅子に乗った、少女を見据える。
「体も……足もろくに動かねぇ今のお前がここにいたって、どうにもならねぇじゃねぇか! 何にも……出来ねぇじゃねぇか!」
先ほど以上に激昂した俺と対照的に、ひどく冷静で、笑みさえ浮かべた顔がそこにある。
――事故の痕とは別に、胸がひどく疼いた。
「……ここにいても意味は無い。早く帰れ……。それと……もう、来ない方がいい。俺のためにも……お前のためにも」
押し殺して。
左足を引きずりながらプールを後にした。
帰り道、空から届く轟音に目を向ける。戦闘機が二機、編隊を組んで飛び去っていくのが見えた。後には、二筋の飛行機雲が残った。
「………」
視界が潤んだのは、きっと夏の日差しが眩しかったからだろう……。
視線を落とし、そのまま暫く立ち止まっていた。
不意に、言葉が口を衝いて出た。
「……わりぃ……ありがとな……」
誰もいなくなったプールサイドで一人、少女が動かない足をプールに浸している。
俯いたまま、泳げなくなった足をプールに浸している。
水面に幾つかの水滴が落ち、波紋が広がった。
少女の体は、小刻みに震えていた。
暫く、そうしていた。
空を見上げる。
さっきまで二機いた戦闘機のうち、一機は下降していき、二機は別々になった。
残された一機は、いなくなったもう一機の分まで、と言わんばかりに、狂ったように上昇していった。
飛行機雲は、一筋だけが残された。
静かなプールサイドに、呟く声が響いた。
「……ごめんね……ありがとう……」
灼けたプールサイド。カルキのにおい。車椅子と傷痕。二人。
――そんな夏の日。
戻る
詰めていた息を一気に吐き出す。脳が酸欠を訴えて視界がちかちかする。
棒のようになった腕に鞭打って、鉛のように重い体を水中からプールサイドへとなんとか引き上げた。
「痛っ」
膝立ちの状態から立ち上がろうとすると、左足と腰に激痛が走った。耐え切れずに上半身をアザラシのように投げ出して、水面をぼんやりと見つめながら痛みが引くのを待った。
水面には、一人分の波しか立っていなかった。
――胸が、ちりちりと疼いた気がした。
――きぃ、きぃ、きぃ
水が入ってまともに役割を果たしていない耳が、かすかに車輪の軋む音を捉えた。
――胸の疼きが、少し増した気がした。
近づいてくる影を敢えて無視しながら体を起こし、耳の水を出そうと頭を振る。
「きゃっ」
飛沫がかかったのか、その影は小さな悲鳴を上げた。
何しに来た、と聞く前に、頭の上にふわりとバスタオルが掛けられた。
「おつかれさま」
言いながら、そいつは俺の頭をわしゃわしゃと拭いてくる。
「……やめろ」
「あ……」
冷たく言い放ち、タオルをそいつから引っ手繰る。
「……来るなって言ってんだろ」
目線を向けずに、少し強い口調で言う。
「うん、そうだね」
抑揚の無い返事が返ってきて、微妙な間が空いた。俺が何も言わずにいると、少し悲しげな声で
「タイム……だいぶ遅くなってたね」
――と話しかけてきた。
「やっぱり、前みたいには泳げないのかな――」
「黙れ!」
「………」
シンとしたプールサイドに、怒声が響いた。身を竦ませたそいつは、それでも俺の目を見詰めている。それが煩わしく思えてしまって、余計に心がささくれ立つ。
「今は体が慣れてないだけだ、暫く経てば勘も戻るしタイムだって戻る!そうじゃないと俺は――!」
「そうじゃないと……何?」
激昂していた自分を省みて、ひどく空しい気持ちが押し寄せる。でもそれでも、俺は抗っていたい。
「……何でも無い」
言って、立ち上がろうとし――
「痛っ!」
さっきの痛みがぶり返してきて、耐え切れずに今度は膝をついた。
「だ、大丈夫!?」
「あ……たりまえだっ!」
「でも……」
「うるさい! そんなざまのお前がいても逆に危ないだけだろが!」
そう叫び、傍らの少女を見据える。
車椅子に乗った、少女を見据える。
「体も……足もろくに動かねぇ今のお前がここにいたって、どうにもならねぇじゃねぇか! 何にも……出来ねぇじゃねぇか!」
先ほど以上に激昂した俺と対照的に、ひどく冷静で、笑みさえ浮かべた顔がそこにある。
――事故の痕とは別に、胸がひどく疼いた。
「……ここにいても意味は無い。早く帰れ……。それと……もう、来ない方がいい。俺のためにも……お前のためにも」
押し殺して。
左足を引きずりながらプールを後にした。
帰り道、空から届く轟音に目を向ける。戦闘機が二機、編隊を組んで飛び去っていくのが見えた。後には、二筋の飛行機雲が残った。
「………」
視界が潤んだのは、きっと夏の日差しが眩しかったからだろう……。
視線を落とし、そのまま暫く立ち止まっていた。
不意に、言葉が口を衝いて出た。
「……わりぃ……ありがとな……」
誰もいなくなったプールサイドで一人、少女が動かない足をプールに浸している。
俯いたまま、泳げなくなった足をプールに浸している。
水面に幾つかの水滴が落ち、波紋が広がった。
少女の体は、小刻みに震えていた。
暫く、そうしていた。
空を見上げる。
さっきまで二機いた戦闘機のうち、一機は下降していき、二機は別々になった。
残された一機は、いなくなったもう一機の分まで、と言わんばかりに、狂ったように上昇していった。
飛行機雲は、一筋だけが残された。
静かなプールサイドに、呟く声が響いた。
「……ごめんね……ありがとう……」
灼けたプールサイド。カルキのにおい。車椅子と傷痕。二人。
――そんな夏の日。