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- FourSeasons / FallDays RetrospectionT -

「うわぁーっ、前のまま残ってる! 凄いねぇ!」
 興奮して仄かに紅く染まった頬と、赤や黄色に染まった木の葉と。鮮やかな彩りの中、幼かった頃は広かったように感じた小さな小川の岸辺で、少し呼吸を荒くしながらはしゃぐ少女の傍らに立っていた。
 

 幼い日々過ごした片田舎。山奥。五年振りの空気。
 俺たちの原風景といえるこの場所は、変わらずに俺たちを受け入れてくれた。
「今が夏なら泳げたんだけどな」
「うん。ちょっと残念。もう十月だからねぇ、ちょっと冷たいかな」
「入ろうとか無理すんなよ。せっかく俺とタイム差なくなってきたんだから、来週の勝負ん時に体調崩してたらもったいなさ過ぎるぞ」
「ん。わかってる」

 
 
 幼かった頃の夏休み、幼馴染である俺たちは、互いの両親の実家があるこの片田舎に連れてこられて、山の中の小川でよく遊んでいた。最初、決して仲がいいとはいえなかった俺たちは、この場所で繋がっていった。朝、日が昇ると自分でおにぎりを作って家を飛び出した。どっちが先に小川についているか競争したりもした。ひたすら上流へ向かって泳ぎ続けたり、下流に下って行ったり。日が暮れるまで泳ぎ続けて、どちらかが眠ってしまって、起きている方が負ぶって帰った事も何度もあった。
 そんな夏の日から続く俺たちの繋がり。一緒にいる事が普通で一緒に泳ぐ事が当たり前。だから、二人きりで五年振りの原風景を見に来たのも、とても自然な事だった。


「昔はもっと広い川だと思ったんだけどな」
「それは、私たちが大きくなったからでしょ。五年も前だもん」
「わかってて言ってるんだよ」
 懐かしい場所、始まりの場所。変わっていて欲しくなくて、変わっていなくて。変わったのは自分たちで、それでも、大事な何かだけは変わっていないと思えた。
「川に沿って歩いてみようぜ。結構、覚えてるとこあるかもしれないし」
「ん」
 言いながら先に歩き出すと、半歩送れたところを気配がついてきた。
 俺が少し前、あいつが少し後ろ。この位置関係が確立したのは、もうずいぶん前だったはず。並んでいるようで、少しだけ違う。
 自分でも動機はわからないけれど。どんな時も、俺はあいつの前に立っていた。
 
 こんな山の中の川に、そんなちゃんとした川原はないから、ごつごつしてしかも濡れている岩の上を歩かなければならない。歩き出して十秒も経たないうちに、俺は左手を後ろに差し出した。間髪をいれずに少し小さくて柔らかな右手が伸びてきた。
 きゅっと繋がれた手。離れぬように放さぬように、繋いでいない時でも繋いでいた。



 下流に下っていって、少しずつ大きくなっていく流れを見て、ここで溺れかけただとか魚を捕まえただとか。そんな記憶を思い出しては笑いあった。


 秋の高い空に太陽が高く昇り、空腹感と相まって昼飯時を伝えてきた。
 ちょっと開けた川原に腰を下ろすと、あいつはそれに倣って腰を下ろし、手にしていたバスケットから弁当箱を取り出した。忙しい俺の母親の料理以上に、ひょっとしたら食べなれている味かも知れなかった。



 いつものように美味かった弁当を食べ終え、今度は上流へ向かった。子供の頃も、下流へ下るよりも上流へ上る事の方が多かった。
 

 徐々に狭くなる川幅。密度を増す木々。息が上がってきて、昔の自分たちの体力に少し感心し始めた頃、耳に微かに川の流れとは異なる水音が届いてきた。それに気付いて互いに顔を見合わせて、俺たちは歩調を速めた。
 霧のようにひんやりとした空気、徐々に激しくなる水飛沫。開けた視界の先には、俺たちお気に入りの場所だった滝と、池のような滝つぼが昔のまま存在していた。
「あはっ、ここも変わらないね」
「他が変わってなかったんだ、ここだけ激変してるわけないだろ」
 そう言ったものの、実際俺自身安心していた。二人が一番長い時間を過ごしたこの場所。他のどの場所が変わっていたとしても、この場所だけは変わっていて欲しくないと思っていたから。
「あ、ほらっ! 昔よく飛込みした岩だよっ」
 指差した先には高さ五メートルほどの巨石が鎮座していた。さっきは川が狭くなったように感じたが、成長した俺から見ても巨大なこの石に対しては、逆に大きくなったような印象を受けた。その事にちょっと楽しさを覚えた俺は、過去を追想するように
「んじゃ、行ってみるか?」
 と口にしていた。一瞬きょとんとした顔をして、花開くような笑顔であいつは頷いた。



 霧のような水飛沫を全身に浴びながら、あいつは珍しく俺の先を行って岩の上に立った。
 危なっかしい足取り。ごつごつした上に飛沫に濡れて滑りやすい岩肌。
 ……目の前には危険。
 ……俺の前に立つあいつ。
 ………。
「おい、あんまり前に出んなよ」
 左手を伸ばした。右手を掴んだ。左手を引くと同時に大きく一歩踏み出した。二人の身体が入れ違って、いつも通りの立ち位置になった。
 
 そして。
 


 急に視界を空が埋め尽くした。



 思考の空白。
 浮遊する感覚。
「――え」
 背中を強かに岩に打ちつけた。繋いだ左手が、あいつを引っ張った。


 そこまで来て、俺は自分が足を滑らせた事、そしてあいつを巻き添えにして宙を舞っている事に気付いた。
 

 反射的に左手を強く引いた。腕の中に華奢な身体を抱き込んだ。自分の背中を下に向けた。
 そして次の瞬間。
 
 
 
 くるりと。
 俺とあいつとの身体が入れ替わった。
 
 
 
 ――衝撃。
 水音。
 鈍い粉砕音。
 激痛。
 
 
 
 痛みで霞む思考の中で。
 ――俺は今更、どうして自分があいつの前に立とうとしていたのかに気付いた。
 
 
 
 
 懐かしい場所。水音。庇った者と庇われた者。視界に満ちる鮮やかな朱。
 
 ――そんな秋の日。
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(c)Ryuya Kose 2005