- k a r e s a n s u i -

昏君†無双

 十常侍による何進大将軍の暗殺に端を発した、いわゆる洛陽大乱から凡そ一月。
 十常侍の手から実権を取り戻し、皇帝による親政という本来あるべき政治の姿を取り戻した漢王朝であったが、その政権運営は順調とは言い難いものであった。
 なるほど、確かに十常侍らによる専横や、不良官吏による中間搾取がなくなった事は喜ばしいものである。
 予算を用意しても、本来の目的に使われる前にいつの間にか・・・・・・半分以下どころか全額無くなってしまう事さえあったのだから、それはもう劇的とすら言えるだろう。
 しかし、袁術らによって実務を行っていた宦官たちも纏めて殺されてしまったのは痛手どころではなかった。

 文字通りに、手が足りないのである。
 党錮の禁以来政治から遠ざけられていた、いわゆる清流派の役人たちを呼び戻し、新規採用も行ったものの焼け石に水。実務経験がない、もしくは現場から離れて久しい者たちばかりでは、うまく回らないのも無理はない。
 黄巾党を彷彿とさせる物量で押し寄せる書類に竹簡を前にすれば、そんじょそこらの官吏では太刀打ちできず、二日と持たずに書類の山に文字通り押し潰される者が続出した。

 そこで劉弁は、どうにか書類の津波を押しとどめる事ができた者に大きな権限と人材を与え、この場を乗り切ろうと試みた。無暗に官職を発して権限と人材を散らすより、才ある者に集中させる事で効率を上げようと図ったのである。
 そして当然のように月をはじめ、皇帝の信頼篤い者たちには、特に権限と仕事が集中する事になっていた。

 まず、最も皇帝から信頼されていると思われる月は、光禄勲から三公の一角であり監察や政策立案を司る司空の地位に就いた。
 これまでも類を見ないほどに早い昇進を重ねてきていた月であるが、ついに上り詰めたと言ってもいいだろう。目まぐるしいにも程がある環境の変化と仕事量に目を回していた月であったが、そんな彼女は劉弁が密かに更なる昇進をさせようと企んでいる事をまだ知らない。

 次に詠。
 涼州時代から月の右腕として辣腕を振るってきた彼女は、御史中丞から録尚書事へと昇進している。
 御史中丞は、上奏の内容の精査や弾劾を行う役職であったが、録尚書事は上奏を皇帝に届けるか否かを審査し良くないと判断したものを却下する事ができるので、その権限は絶大であった。
 宦官の専横が酷かった時期は、宦官が皇帝の耳目を塞いでいたため形骸化し、実務機関となっていたが、政務において欠かす事ができない重要な役職である事には変わりがなかった。
 洛陽大乱後は、役職と人材の不足、少しでも皇帝に掛かる負担を減らしたい月の意向もあり、まさに実務の中枢として絶大な影響力を誇る事となった。
 その影響力たるや、劉弁からの信頼もあってかつての十常侍のさえ凌ぐ権勢で、その気になれば国を思うがままに操ることも容易いだろう。
 が、同時に処理しなければならない仕事量も莫大と言う言葉では足りないほどで、詠をして「ならその権力を使って休みを取るわね」と言わしめるほどの多忙さであった。

 そして多忙さで言うならばダントツとなったのが帝辛である。
 帝辛は、その年齢と人生経験、乱の前から皇帝の武芸指導を担っていた事、そして皇帝である劉弁自身の意向もあり、太師の位に任ぜられた。
 太師とは、おおよそ臣下が至れる最高位であり、司徒、司空、太尉の三職、いわゆる三公のさらに上位にあり、文字通り皇帝の師としてこれを助け導き、国政に参与する職である。非常設の名誉職であり、権力は乏しいものの、皇帝への影響力と権威という点では群を抜いているといえるだろう。

 ところが。
 劉弁から直々に就任を打診されると、帝辛は呆然としたのち、これを三度に渡り固辞した。

 名誉職とはいえ、通常では考えられないほどの大出世であり、しかも皇帝直々に打診されたというのにこれを断るとは!

 これが知れ渡るや、ある者は無礼極まると憤慨し、ある者は分別を知ると感心し、とある四人は一頻り驚いた後、帝辛の抱える過去を鑑みて然もありなんと頷いたという。
 それもその筈、帝辛の知る太師とは、なんといっても聞仲が就いていた役職なのである。
 歴代の王のみならず、殷という国家そのものを助け導き支えてきた、太師聞仲。それが一体どれほどの重責を伴うのか。我が子さえ導いてやれなかった自分にそれをこなせるのか。あの背中に、追い付けるのか。
 三日三晩かけて自身の心を整理し、思案に思案を重ねた末、帝辛は四度目の打診を遂に受諾した。
 苦悩する帝辛を見ていた劉弁は、悩みを吹っ切ったと見える帝辛の表情に顔を綻ばせ、太師就任を大いに喜んだ。が、即日始まった支配者のいろは教室のあまりの厳しさに、ほんのちょっぴりこの人事を後悔したという。
 付け加えると、帝辛は漢の通例に倣って詠と同じ録尚書事――正確には参録尚書事――にも就任していたりする。
 太師として劉弁を扱きつつ、参録尚書事としての執務もこなすその姿は、官吏たちに戦慄と畏敬の念を抱かせずにはいなかったという。

 そして武官組。
 まず霞であるが、彼女は羽林中郎将から前将軍へと昇格している。
 文官における九卿に相当する高官であり、董卓一派の軍事力の中枢を担う形になっている。

 そして華雄は、丁原の死亡により空席となった執金吾に就任していた。
 その武勇と忠義は宮中の安寧を担うに相応しいと、これもまた劉弁が直々に打診し、華雄は感涙に咽びながらこれを即諾したという。

 董卓一派以外の人事で言えば、歴戦の宿将である皇甫嵩が通常の武官における最上位である驃騎将軍となり、董卓一派の軍事力を静止できる形となっている。
 しかしながら皇甫嵩というこの人物、私心なき清廉な人物で、しかも有能という稀有な人材であり、涼州時代の董卓とも面識があり、比較的好意的である。

「これまで通り陛下に尽くしてくれるのならば、儂とそちらで歩む道が分かたれる事はあるまい」

 とは彼の言葉である。

 他にも、例えば袁家の人間にもそれなりの官位を与えて恩を売りつける形をとっている。
 作戦を主導した詠にしてみれば、袁術の乱入がなければという思いがあるだけに納得しがたいものがあったのだが、袁術も袁紹も「国家を弄び皇帝を蔑ろにした宦官を誅滅した」という大義を殊更振りかざし、また民衆も宦官の排除そのものは歓迎しているので、これを罰するというのもまた難しかった。

 そんなこんなで順風満帆とは言い難い洛陽での日々の一幕である。





――拠点フェイズ・月・詠編――

「うわっまぶしっ」
「え、詠ちゃん大丈夫?」
「う……うん、大丈夫。まともにお天道さまを見るのは久し振りだったから……ふふ、脚光浴びているのに日陰者の気分だわ……」

 日が照っているというのになぜか濃い影が差す詠の顔色は、正直あまり良くはなかった。目の下には化粧では誤魔化し切れない隈が覗き、頬は些か痩けているように見える。
 睡眠時間は日に一時(約二時間)と少し、屋外に出る事はおろか、陽の光さえろくに浴びれぬ生活が一月も続けば然もありなん。
 これでは病気になってしまうと、もぎ取った休みに渋る詠の手を引いて、視察にかこつけた息抜きに連れ出したのである。

「今日は田園地帯の視察って事にしてあるから、のどかなところでゆっくりしよう? お弁当も持ってきてあるから」

 久し振りだから、ちゃんとできてるか自信ないけど。そう言ってはにかむ少女が、国家権力の中枢を担う人物であると、一体誰が想像できるだろうか。
 今日の休みでさえ、権力を使ってゴリ押しするのではなく、調整に調整を重ね、可能な限り国政への影響を少なく抑えた上で確保しているのだ。
 それを悟れるからこそ、詠も今更渋るような真似はしなかった。

「ま、せっかく月が誘ってくれたんだもの。英気を養わさせてもらうわ」

 仕方なさそうな言い種とは裏腹に、詠の表情は綻んでいて。そんな何でもない表情を浮かべてくれた事が嬉しくて、月もつられて笑顔が浮かぶ。
 何気ないという事が、どれほど尊いものであるのか。洛陽に来てからはしみじみと思い知らされていた二人であった。



 ごとごとごとごと、ゆっくりと馬車は行く。御者役を務めるのは鯀捐こんえんで、その他には信のおける古参の并州兵が五騎のみの、司空の視察とは思えない慎ましやかな一行である。

「う〜ん……ここまで見た感じだと、今年の実りはそんなに悪くない……のかな?」
「はい。戦に駆り出されて命を落とした、或いは流民となって減少してしまった労働力の分だけ、作付面積もかけ得た手間も減っていますが……生育状況自体は良好なようですので」
「結果的に帳尻がついたみたいですね」
「はい」

 かたや馬車の窓から外を眺めながら、こなた御者台から眺望しながら月と鯀捐は今年の実りの見通しをそう纏める。
 幼少の頃から土に親しむ機会が多かったため月は兎も角、鯀捐が侍女という身でありながらも帳面上だけでなく、現場も理解しているのは、主に帝辛の視察などに同道する機会が多く、その際にそれとなく仕込まれていたためであった。
 では、肝心の詠はどうしたかといえば。

「ふふ、じゃあ詠ちゃんもそういう事でいい?」
「ん……そ……でい……」
「うん、じゃあ、そういう事で」
「よろしいのですか?」

 振り向いてそう問いかける鯀捐の視線の先では、親友の肩に半ばもたれかかりながら舟をこぐ詠の姿。常の気丈さが欠片も見えぬその幼気な姿に、鯀捐の口調にも柔らかな色が宿る。

「うん。後で霞さんが行軍訓練がてらに巡視してくれるって言ってましたから。通常の日程で訓練を組んだらいつも日にちを余しちゃうから、その分を充てるそうですよ」
「神速将軍の看板に偽りなし、ですね」
「霞さんもそういう行軍訓練の方が好きだし、効果も高いみたいだから。無理をしてもらってるっていう訳じゃあないし、甘えちゃおうかなって」
「そうですか。それはようございました」

 本心から曹言葉を述べつつ、この少女も随分と変わったな、と鯀捐は思う。
 今までなら遠慮して受け入れなかったろうけれど、こうして甘える事を覚えているし、その甘えも程度を弁えている。
 甘やかなまま強かに。試練と仲間と責任が、少女の器とそこに満ちる才を広げていた。



「まあ、今広げているのはお弁当なわけですけれども」
「鯀捐さん? どうしたんですか?」
「いえ、なんでもございません」
「うあー……道中寝こけておいて、さらにご飯まで至れり尽くせりとか……」
「お構いなく。役目であり性分であり、楽しみでもありますので」
「本当は私も手伝いたいんだけど……」
「なりません。そういう事は私がいないところでなさって下さいませ」
「月の手が空いてて、鯀捐が控えてない時なんて……あるの?」
「そんな時を作るとお思いですか?(にこり」
「(´・ω・`)」

 そんな和やかな食事風景であったという。



 程よい睡眠に滋味に溢れる食事をとって、一息つけば詠もほぼ本調子に戻っていた。
 午前の分を取り戻そうと勇む詠の手綱を引きつつ、月も精力的に、しかし無理のない程度に勤めに励む。  土壌調査に水源や農具の使用状況などなどを直接調べて、上がってくる書類だけでは把握しきれない細部を埋め、知識と現実との差異を埋めていく。
 作物の生育状況も悪くはなく、天変地異の兆候もない。代替わりと政変を越えたばかりの劉弁政権にとって、これは何よりもありがたい事であった。
 天変地異の一つでも起きれば、徳がどうの命数がどうのとあれやこれやと理由がついて、動き出したばかりの政権など吹き飛ばされてしまうに違いない。
 月も詠も儒学に親しんではいるものの、こうして政治のど真ん中で四苦八苦しているうちに、天意がどうの徳がどうのという、費やした努力やらと全く関係ないところで進退が決まりかねないという事態に文句の一つも付けたくなってきていた。
 そんなわけで、実りも天候もまずまずという現状は、思わずほっと一息ついてしまいたくなるものであった。
 ちょうど調査も順調に進み、秋に入ったとはいえそれだけ屋外で働けば、ほんのり汗もかくし喉も渇くというものである。
 ちょうど近くに大きな桃園があるので、そこで桃を買い求めて休憩としよう、というところで騒ぎは起きた。

「ん……。なにかしら、ちょっと騒がしいわね」
「そうだね、なんだろう? 喧嘩……じゃあないみたいだけど」

 どれと手をひさしに眺めてみれば、一本のそれは見事な桃の樹の下に、この農園で働いているのだろう農夫たちが集まって、やいのやいのと騒いでいた。
 月の見た通り、物騒な雰囲気ではなく、陽の興奮が渦巻いているような気配である。

「ちょうどいいわ。人も集まってるし、行ってみましょう。現場の声を聴くのも仕事の一環、ってね」

 もとより桃を買うにはここの者に声を掛けねばならないのだから、と詠が言うのも尤もである。
 護衛の兵を二人連れ、コホンと一つ、鯀捐が咳払いして注意を引いた。

「もし。少しよろしいでしょうか?」
「お、こ、これはお役人さまっ」

 ずざっ、と一流の練度を誇る并州兵の精鋭に劣らぬほどの素早さで、十人からの農夫たちが一斉に地に這いつくばった。
 えー、と思わずドン引きする月と詠。対して鯀捐は然もありなん、といった風である。
 というかこの時勢、太原の民のように支配者に対して親しみを覚えるほうが珍しいのであって、この対応こそ普通であり、それに対して戸惑う二人の方が異端であると言える。
 ここでもしこのうら若い乙女の片方が、位人臣を極めた司空の座にあると告げたのならば、この農夫たちは卒倒するか卒中でも起こしてしまうかもしれない。
 ちらと鯀捐が目くばせすると、苦虫を噛んだような詠が小さく頷く。

「いえ、そこまで畏まらずとも。私どもはこの近辺の視察を仰せつかった、しがない游激でございまして。巡査を一通り終えて、些か喉も乾いた折に賑やかな声が聞こえまして。桃を買い求めるつもりもあり、こうして立ち寄った次第でが……この賑わい、一体何事がおありだったのでございましょう?」


 游激といえば、村の巡査を司る地方官職である。役人ではあるが、雲の上というほどではなく、言動もそれほど偉ぶるものではない。
 その事に些か安心したのか、がちがちに固まっていた農夫たちの背中から幾ばくか力が抜けたのがわかる。

「へ、へぇ……。それが、なんと言ったらいいのやら……」

 恐る恐る顔を上げた農夫たちは、しかし戸惑いと興奮を色濃く残した様子で顔を見合わせるばかり。
 埒が明かぬと思ったか、纏め役と思しき年嵩の男が、脇に置いてあった竹籠の中からそれを取り出した。

「それが……こちらをご覧くだせぇ」
「なによ、桃? ……桃ぉ!?」
「凄く……大きいです……」

 よっこらせとばかりに取り出されたるは紛う事なき桃である。
 しかしただの桃ではなかった。詠が思わず二度見するくらいに、それはそれは大きな桃であったのだ。
 その大きさたるや、普通の桃の倍では到底きかないだろう。大の大人の頭ほどは優にあるように思われた。

「実は、つい先ほどの事なんですが……」



 さて、昼頃の話である。
 今日も今日とて畑仕事に勤しんでいた農夫たちは、作業の途中で農地のど真ん中に倒れている不思議な格好をした少年を見つけたという。
 身なりは多少奇っ怪ではあるが上等、しかし見たところ少年といってもよさそうな歳の頃に見えて、保護者もいない。行き倒れというにはやや不自然な点があり、さてどうしたものかと悩んでいたところ、水が欲しいと呻くのでこれを与え、次には桃が欲しいと囁くのでこれを与えた。落ち着いたのか気を良くしたのか、少年の要求は座布団、餡饅と加速し、当然の如く叩きだされそうになった。当たり前である。
 するとその少年、さして同じた様子もなく、こう言い張ったという。

「まあ待つがよい。こう見えて、わしは仙道でな。見たところ、そこの樹の桃は他に比べて生育が芳しくないようだのう。礼として、この樹に立派な桃を実らせてやろう!」

 自称仙道の少年が指差した樹は、病気か何かなのかここ数年ほど実の付き方が悪くなっていた樹であった。今年も実りが悪ければ切り倒そうか、という話が出ていたくらいである。

 いきなり何を言い出すのかと訝しんだ農夫たちであったが、そんな彼らを尻目に少年は「ちょっと待っておれ」と言って物陰へと消える。
 暫くごそごそとやっていたかと思うと、次の瞬間。

「ハーッハハハハハ!」
『って誰だッ!!!???』

 何という事でしょう! あれだけ細身だった少年が、真っ黒に日に焼けた筋骨逞しい姿に様変わりしたではありませんか!

「……ほんとに?」
「へ、へぇ、本当の話です」
「……そう(遠い目)」
「え、詠ちゃん気を確かにっ」



 さておき。
 一瞬にして変身を遂げた少年は、徐に懐に手を伸ばす(いつの間にか衣服も変わっていたらしい)。

「よいか皆の者! 桃の樹には、このハゲ薬が効くッ!!!」
「な、なんだってー!?」
「むしろおらはハゲ薬の方に興味があるだよ!」
「ええい黙って見ておれ!」

 取り出したるは『RIMAP』なるハゲ薬。何故ここでハゲ薬なのか、というかハゲ薬なんてあったのかと喧々囂々騒ぎ立てる農夫たちを一喝し、ぽちょんぽちょんと樹の根元に振り掛けてみれば、なんという事でしょう! 小さく数も少なかった桃の実が、見る見るうちに大きく立派になっていくではありませんか!

「お、おおおッ!」
「す、すごいッ!」
「ハーッハハハハハハハッ!!!」

 過程はどうあれ、目の前で行われたのは正しく神秘。となるとこれは本物の仙人様に違いない。
 農夫たちの眼差しが胡散臭そうなものを見る目から畏敬のそれに変わる中、仙人は鈴なりに生った桃を一つもぎ、もりもりと食べ始める。

「うむ、瑞々しさも甘さも文句なしだのう。さて、では本題だ……疾っ」

 桃を食べながら何やら呟いていた仙人は、徐に桃の種を吐き出して埋めると教鞭のようなものを取り出して振るう。
 すると種は見る間に発芽して根を張り、あっという間に十尺を超えるほどの若木に成長した。

「皆の者、わしはもう行かねばならぬが、この時勢下手に仙人だなんだと騒いでは、お上に睨まれるやも知れぬ。そこでだ、もし役人が来たのなら、この若木を切り倒してみろと伝えるがよい。きっと上手く収まるであろう。ではさらばだッ!」
「ああ、待ってくれ! あんたウチで働かないかッ!?」
働くくらいなら食わぬ! トォ!」

 掛け声とともに閃光一閃、筋骨逞しかった仙人は、また元の濃紺の道士服姿に戻ると、あっという間に空へと舞い上がり。



「そんで、消えてしまったんです。そこへお役人さまが来たもんだで、もうおらたち驚いたのなんの……」
「……仙人? ねえ詠ちゃんこれって仙人なの?」
「……なんか、ボクの中の仙人像が音を立てて崩れていくわ」
「「……はあ」」

 話を聞くだけで何故か仕事よりも疲れたのはきっと気のせい。溜め息一つを踏ん切りに、二人はそう思い込む事にした。
 鯀捐? 侍女技能で空気と化して聞き流してます。わたしはなにもみなかったしきかなかったです、だそうで。

 さておき。

「こほん。これがその桃の樹?」
「へぇ」
「ふわ……これが芽吹いたばっかりだなんて……」
「でも切り倒せっていうんでしょ? アンタたちはいいの? 言ってみれば神木みたいなものじゃない」
「へぇ。ですけど、仙人さまがああ仰ったって事は、きっとお考えがあっての事だと思いますんで」
「うーん……ま、アンタたちがいいっていうんなら。詠もそれでいい?」
「うん。それに……やっぱりちょっと気になるし」

 先の政変で浮かび上がった謎の方士の存在。それに、以前華雄が太原で出会ったという謎の占い師。加えて近頃では天の御遣いなる存在の風聞もある。
 関係がない、というのは楽観が過ぎるだろう。

「じゃあ、そういう事でお願いね」
「はっ」

 敬礼して、護衛の兵が農園から借り受けた斧を振りかぶる。曰く付きとはいえまだまだ若木の範疇、労せずして切り倒せるだろう。
 えいやと気合い一閃、重厚な鉄斧が横薙ぎに打ち振るわれ、金属音と共に真っ二つ!

「……金属音?」
「っていうか詠ちゃん」
「……斧の方が真っ二つでございますね」

 茫然と言葉を失う面々の視線の先では、切り口から鋼の色が覗いていた。





「なるほどなぁ。そいで出てきたんがこれなんか」
「そういう事。全く、とんだ視察になったわよ」

 折れた斧の補償やらなにやらを終え、洛陽に戻った一行は、その足で霞と華雄のもとを訪ねた。
 桃の樹の中から出てきた剣は、素人目にも業物であるように思われたが、やはり一流は一流を知るという事で見聞してもらう事にしたのである。
 全身鉄拵えで刀身は四尺五寸、柄は三尺あまりもあり、木などを用いず獣皮を直巻きにした共鉄柄ともがねつか。反りのない両刃の直刀であり、切っ先に行くほど幅広になっている。剣と言うよりは、刃のついた鉄の棒という表現の方が近いかもしれない。

「んー、しかしなんちゅーか、随分古臭い作りやなぁ」
「だが、物は間違いなくいいぞ。というか、これは鉄ではないな。鉄よりももっと軽くはるかに強い」
「そうなんですか?」
「……少なくとも私は見た事がありません」

 感心したように検分する華雄の様子に、月と詠は顔を見合わせる。

「いよいよ本物って事かしらね」
「そうなる……のかなぁ?」

 取り敢えず、人知を超えた何かが絡んでいる事は間違いなさそうである。

「せやけど、これどうするんや? せっかくもろてきたんはええけど、ウチも華雄も使い慣れた得物があるし、かといってそこいらの奴に使わせるんは勿体ないで」
「まあ、帝辛に渡すのが妥当だろうな。なかなか手に合う得物がないとボヤいていたはずだ」
「私もそれがいいかなぁ。なんだか縁もありそうだし……」
「太原での華雄の話と合わせれば如何にもだものね」

 と、いう事で。
 この剣は月から一度劉弁へと献上され、改めて帝辛へと下賜される事となった。
 受け取った帝辛は大層驚き、後日なかごを検め、そこに「飛雲剣U」という銘を見つけると呆れたような溜め息をこぼしつつも、以後長くこれを愛用する事となった。

 

※飛雲剣は、安能務訳封神演義の作中に出てきた殷王朝の宝剣です。また、飛雲剣Uの形状としては、藤竜版封神演義にて紂王と黄天化が決闘した際の長剣をモデルとしています。
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(c)Ryuya Kose 2005