- k a r e s a n s u i -

昏君†無双

「なあ」
「あん? なんだよ」
「あれってタマなしんトコの連中だよな?」
「ん? ……ほんとだ。あんだけ揃ってるなんて珍しいな。いっつもは怠けてばっかりのくせに」
「だな。どういう風の吹き回しだか。……そういや、逆に金ぴかんとこの連中を見ないな?」
「そういやそうだ。なんだかな、珍しい事もあるもんだぜ」





「袁紹が?」

 ぴたりと決裁の手を止めて、詠が怪訝な声を上げる。
 曹操からとある情報を受けた帝辛は、その足で詠の執務室にやってきていた。

「うむ。曹操が言うには、だがな」

 控えていた鯀捐から茶を受け取りながら帝辛が答える。

「……なんで情報源が曹操なのか問い質したいところだけど……ふぅん……」


 ――最近袁紹の動向がきな臭い


 曹操から帝辛に齎された情報によると、西園八校尉の序列第二位、中軍校尉であるところの袁本初が、ここの所頻繁に己の部隊を招集しているらしい。
 それ自体はおかしい事ではない。訓辞を垂れるのも士気の維持や統率のためには必要な事であるし、訓練を行うのならなおさらである。
 しかしながら、袁紹はこれまでそういった仕事は自身の腹心の部下である顔良や文醜に丸投げし、自身は何進派の有力者を招いて酒宴を設けたり、金品を使って根回しをしたりと、袁家の財力を背景にした政治的な活動に注力していた。
 流石に袁家の影響力は凄まじく、何進派は袁紹の政治力なしには宦官派に対抗出来ないだろうと思わせるほどである。
 勿論これには何進派の中に袁紹の影響力を広める意図もあるのだろうが、袁紹の代わりを出来る者がいない以上、黙認するしかない、と詠と帝辛が結論を出していた。
 こればかりは、皇帝個人と何進の周辺にしか影響力を持たない月たちには荷が勝ちすぎるのである。
 そんな自らに適任でありうま味も多い政治活動から手を引き、地味な実務に励んでいる……。

「それもあの派手好きな袁紹が、ねぇ……。確かに、訝しむなっていう方が無理だけど」
「曹操と袁紹は知己だという。為人をよく知る曹操が言うのだ、何かしらの思惑あっての事だと考えておくべきだろう。それも、穏やかならぬ、な」
「……袁紹も一応何進派だし、なにより批判を受けやすい大将軍を矢除けにした方がいいだろうから、そうそう兵を動かすほどの独断専行はしないんじゃない?」
「まあ、普通に考えればそうなんだが……。あの言動を見ると、どうにも怪しい」

 帝辛たちと袁紹は、一応月の光禄勲就任の際に顔合わせをしており、出自が卑しいながらも九卿という名誉ある地位に就くのだから相応の心構えと言動を取るようにやら我が袁家はそのさらに上の三公を幾人も輩出しただのだから身の程をわきまえてわたくしの事も大いに敬って結構ですのよお〜ほっほっほっほっほ、などと一方的に捲し立てられていたのである。
 出自の差を意識した、実に面白くない顔合わせであったので、詠の記憶にも新しいのだろう。見る間に眦が吊り上る。

「ふん。袁家の看板を下ろしたら開店休業の癖に」
「だが看板も店の力だ。軽く見る事はできないが……と?」
「ああ、二人ともここにおったんか」

 どかどか賑やかな足音と共にやってきたのは霞。少し遅れて華雄も現れる。
 ほんのりと肌が上気しているのは朝の訓練を終えたからなのだろう。

「今日も朝のお勤めごくろーさん、と。ウチらも一段落ついたから駄弁りに来たで」
「駄弁りにって、アンタねぇ……。まったく呑気なもんよね」

 そう言いながらも、鯀捐に新しい茶の用意をさせている辺りにやるべき事はやっている、という信頼が見て取れる。

「まあ普段から精力的に働いているからな。中軍校尉殿のところの連中など、最近になって慌てた様に調練を繰り返しているしな」
「せやなぁ。今朝なんかそろって重武装してどっかに繰り出しとったで?」

 ぴたり、と。差し出されかけた茶器が止まる。

「――帝辛」
「いや、最近は書類仕事が多く調練の場にはあまり顔を出していなかったが……いよいよひょっとするかも知れんな」
「……なんや、あんま穏やかやないやん」
「そうだぞ、二人だけで通じ合っていないで、私たちにも説明してくれ」
「べっ別に通じ合ってとかそういうんじゃ――って、それどころじゃないわね。取り敢えず説明は歩きながらするから、二人ともついてきて」
「? 何処に行くんや?」

 言うや否や足早に歩きだす詠に向かって霞が問う。

「……大将軍府よ。場合によっては、閣下の身が危なくなるかもしれないわ」

 歩みは止めず、顔だけ向けて告げる詠の表情に、色濃い焦りを見つけ。二人は気を引き締め直し、説明に耳を傾けた。



「成程な……。袁紹が……」
「蹇碩がおるから宦官派にも動きは筒抜けやろうからな……。向こうさんも動くかも知らんし、そもそも向こうが先に動いとるのかも知れんっちゅう事か」
「そういう事だ。どちらが先だったにせよ、宦官派の狙いはまず大将軍の命だろうからな。今のうちに注意を喚起しておかねば」
「……陛下も宦官の束縛から抜け出しつつあるわ。でもそれも今ここで邪魔が入れば元の木阿弥……いえ、もっと酷い状況にもなりかねないわ。この流れを維持するためにも、何進大将軍という旗頭は守らないと……」

 言葉を切り、見据える先には大将軍府の門。
 いつものように衛兵が立ち、こちらの様子を窺っていた。

「御史中丞の賈文和よ。 大将軍閣下に火急の要件があるんだけど、閣下は今どちらに?」

 何進一派の一員として大将軍府に出入りする事が多いだけあって、詠も衛兵も勝手を知ったもの。簡潔に用件を述べる詠に対して、衛兵もまた、気負う事なくそれを口にする。

「は、閣下はただ今、西園軍の事について話があるとの事で上軍校尉殿に呼ばれ、参内なさっておられます!」


「……え?」
「なん……だと……?」


 蹇碩が兵を動かしている、この時に。蹇碩が宮中に何進を呼ぶ。
 そこから導き出される最悪の予想。
 それが形になる前に。
 それは、嘲笑うかのように聞こえてきた。



 ――わぁあああああっ



「!? 鬨の声やと!?」
「しかも……これは宮中の方から!? 帝辛!」
「……してやられた! 蹇碩め、最初からそのつもりで……!」
「まさか……ホンマに大将軍を討つつもりなんか!?」
「それどころではないぞ、わざわざ宮中で事を起こしたという事は、この機に全てをひっくり返すつもりやも知れん!」
「全て、という事は……まさか、陛下も!?」
「それにひょっとしたら……いや、ほぼ間違いあらへん、狙いの中には――」

「――月!!!」

 異変を感じ取った大将軍府のざわめきを、顔面蒼白の詠の悲痛な叫びが切り裂いていった――。





「憤っ!!!」
「ぐぎゃっ!?」

 肋骨と肋骨の隙間を縫うように突き入れられた切っ先が、心の臓を食い破り。首の骨と骨の間に正確に食い込んだ刃が、軽い手応えと共に頭を撥ね飛ばす。
 こんなところに来るまでは毎日繰り返してきた解体作業と、まるで変わらない。やっぱりこっちの方が性に合っている、と思いながら見せ付ける様に長剣を振り払う。

「おらおらどぉしたどぉした!? こんな所でかかって来たんだ、覚悟は出来てんだろう!? 大将軍様直々に稽古をつけてやるんだ、とっととかかって来いやぁ!」

 囲む包囲は十重二十重、相対するはただ一人。
 そんな絶望的な状況にあってなお、大見得を切って見せる余裕を持つ。
 大将軍何進、やはり傑物であった。

 蹇碩から呼び出しの連絡が来た時に、何進とて違和感を感じないではなかった。
 制度上、上軍校尉である蹇碩は大将軍である何進に対しても命令権を持っているので、命令される事については、個人的感情を除けば別に問題はない。
 ただ、今まで全く接触を持とうとしていなかったのに、なぜ今になって、という疑問があったのである。
 形勢が不利になったからと言って、まさか関係を改善しにくるなどという事は、西から陽が昇るようなもの。
 自身の頭があまり良くない事を自覚している何進は、またぞろ俺のアタマでは及びもつかん深謀遠慮があるのだろう、と結論付けた。
 だから、まさか自分程度の頭で思いついてしまうような、単純で野蛮な行動に出てくるとは、露とも思わなかったのである。

「油断たぁ思いたくねぇが、このザマじゃあな。くそった、れ!」

 その結果が、嘉徳殿に差し掛かったところでの襲撃であり、自身の周りに倒れ伏す僅か五名の護衛の遺体と、二十余名の犠牲を出してなお押し寄せる兵という現実であった。
 野蛮な肉屋が来る場所ではない、などと散々言われた宮中で、お偉い宦官サマがとんでもない蛮行に出るとは、何とも皮肉である。

「おらっ! どうした手が止まってやがるぜ!? さっさとかかってこいよ、早く早く早く!」

 吹き出る汗もそのままに、刃の毀れた剣を捨て、たった今切り殺した敵兵の持っていた槍を拾い上げ、再びの大見得。
 何進は、既に腰の引けつつある敵兵をこうして挑発し続ける事で、自分に引き付け続けていた。

 軍事の要職にある何進は、当然自分に今襲い掛かってきている兵が蹇碩の隊の者だという事には気付いていた。
 しかし、これが最近の何進派の優勢に暴発してのものなのか、それとも何某かの計画に基づいてのものなのか。狙いが今こうして襲われている自分だけなのか、それともその参入が契機となった董卓もなのか、それとも全ての根本である自らの甥、つまり皇帝なのか。
 それがわからなかった。
 だからこそ、何進はここで自分に敵を集め、かつ騒ぎが外に伝達し、手を打てる者が手を打つための時間を稼ごうとしているのである。

「大将軍サマ直々に引き立て役になってやるってんだ、何とかして見せろよ、っとぉ!」

 また一人、肝臓を貫いて仕留めた敵兵の骸を蹴り飛ばし、未だ途切れぬ包囲を睥睨する。

「はんっ! 腰が引けてやがるぞ!? たかが下賤な肉屋の倅一人相手取れねぇのか!? この腑抜け共が!」

 ずし、と何進が一歩踏み出せば、囲む兵も一歩下がる。
 最初の勢いは既に失せ、勢いに任せて煮えていた頭も冷えれば、大将軍に弓引いているという事実が更に委縮を呼ぶ。
 場の主導権は最早何進に移り、このまま事態を収められるかと思われた。



「やれやれ……。ただ野蛮なだけかと思えばなかなかどうして。ここはやはり一押し必要ですね」



「!? 誰だ!?」

 不意に聞こえた、涼やかな男の声。
 戦場にはあまりに不似合なそれに、思わず視線を彷徨わせるも、それらしい声の主の姿は見えず。
 その代り、何進は予想外な人物を見つけてしまった。

「! ……けっ、なんだ、まさかテメェがそっち側にいるたぁな……」
「………」

 かつて異民族との戦いで勇名を馳せ、要職について辣腕をふるい、そして宮中の汚泥に呑まれかけていた何進の腹心。
 執金吾たる丁原が、ゆらりと幽鬼の様にそこに立っている。

「宦官に飼い馴らされるたぁ、そこまで曲がっちまったってぇのか? ええ!? 丁原よぉ!?」
「………」
「ぁん? ……おめぇ……なんだ……?」

 かつては自分の下で縦横に働いてくれた丁原の離反は、少なからず何進に動揺を与えていた。
 それを立て直すために何進は自身を鼓舞し相手の気勢を削ぐ為に声を張り上げるが、そこで異変に気が付いた。

「………」

 まず、何を言うでもするでもなく、ただぼんやりと立っているだけというのがおかしい。
 長く実戦から離れているとはいえ、かつては一端の戦士であったのに、この命の遣り取りをしている場で棒立ちというのはあり得ない。
 そして何よりその眼が問題だった。
 近頃は欲望に曇っていたのは確かだが、今は意思そのものが感じ取れない、がらんどうのような眼になっている。
 そう、まるで操り人形のような……。
 と、そう何進が思った瞬間だった。
 ぐりん、と。余りにも不自然な動きで、丁原が何進に視線を向けたのだ。

「っ!?」
「ぁ……こぅてぃ……をあやつりぃ、くにをもてあそぶぎゃくぞくをぉ………………殺せ」
「………」

 舌っ足らずで音の高低もてんで滅茶苦茶な喋り方であったが、それがまた怖気を呼び。
 そして、応じてふらりと現れた影が、今度こそ何進に絶望を齎した。
 燃えるような赤い髪。漢人のそれとは明らかに違う褐色の肌。そして、決して大きくはないその体躯から放たれる、天下無双、飛将軍との呼び名に相応しい圧倒的な威圧感。

「呂布……!!!」
「………」

 思わず上がった呻きとも悲鳴ともつかぬ何進の声にも無言のまま。何処を見ているのかわからない、茫洋とした瞳だけが何進を捉え。

「っ!?」

 一歩。
 たった一歩呂布が踏み出しただけで、何進を耐えがたいほどの重圧が襲う。
 一気に噴き出した大量の冷や汗と脂汗を拭い、手にした槍を縋る様に握り締める。

「くっ……子受よぉ……。こりゃあ急がねぇと色々と手遅れになるかも知れねぇぜぇ……?」

 呟いて、一言。
 覚悟を決めて、何進は雄叫びと共に呂布に打ち掛かった。





 事が起こった時、徐栄は大将軍府からほど近い華雄隊の詰所に籠っていた。  本来徐栄は帝辛の副官であるのだが、事務仕事を苦手とする華雄のためにしばしば貸し出されており、今日も積み重なる書類の山と格闘していたのである。
 なかなか大変な仕事量ではあるのだが、からからと笑いながらちっとも申し訳なさそうに見えない謝罪をする華雄を思えば起こる気にはなれず、頼られる心地よさもあって、それほど苦にはなっていなかった。
 すっかり華雄隊に馴染んでいた徐栄であったが、異変を察知して権限もないのに咄嗟に命じてしまった情報収集を兵たちが忠実に実行してくれたのは、その信頼関係のお蔭であっただろう。  自分たちの隊長を熱心に補佐してくれている徐栄を華雄隊の兵は信頼していたし、この情勢下でのこの騒動を座視できるほど危機感が薄くもなかったため、情報は速やかに集まりつつあった。
 とは言え、せっかく集まった情報も、徐栄の才覚と権限では活かし切れない。
 帝辛からは宦官が何ぞやらかすやも知れん、と幾度となく聞かされていたものの、具体的にどう対応すればいいのかというところまでは、徐栄の手は及ばない。
 だから、徐栄にできる事は下地を作っておく事までであり、そして彼はこの努力が無駄になるとは微塵も思っていなかった。

「徐栄、徐栄はいる!?」
「っ、文和さま!? それに……諸将お揃いで!」

 果たして、徐栄の確信の通りに彼の頼れる上官たちが扉を蹴破る勢いでやってきた。
 ただ一つ、予想外であったのは。

「月の、月の情報はないの!? あの子、今日も参内してるはずなのよ! 無事よね!? 月は無事よね!?」
「ぶ、文和さま、落ち着いて下さい! これではお伝えしようにも……っ!」
「ったくこのアホたれ! ちったぁ落ち着かんかい!」
「どうして落ち着いていられるっていうのよ!? 月が危ないのかも知れないのよ!?」 「……文和さま……?」
「まあ……見ての通りというわけだ」

 彼が知る、冷静沈着にて理路整然として姿とは程遠い、まさに狂乱ともいうべき有様は、智謀の人賈文和とは思えないほどであった。
 そして、その理由は彼女自身が口にしているように、月の安否が判然としていないがためである。

「お前の方では月の消息については、何か情報はないのか?」
「は……。本日は参内なさるご予定であったという事以外は……」
「なによ、そんな事はわかってるのよ! それ以外の情報を出せって言ってんのよ!」
「いい加減にしろ! 人にはさんざ猪だなんだと言っておいて自分はその体たらくか!」
「んなっ、なによあんt、ちょ、むぐっ」
「話が進まん、少しその無駄口塞がせてもらうぞ」

 悔しげな徐栄の様子なぞ目に入っていないかのような詠の言い草に、いよいよ華雄が痺れを切らし、襟首引っ掴んで引き寄せたかと思えば、いつの間にやら取り出していた手拭いを使い見事な早業で猿轡を噛ませてしまう。
 あんまりといえばあんまりな仕打ちではあるが、それを咎める者は誰一人いなかった。

「んじゃ、サクサク頼むで」
「は。では――」

 限られた時間の中で徐栄が集める事ができた情報はそう多くはない、が何れもが大きな意味を持つものであった。
 まず、宮中から逃げ出してきたと思われる文官や女官たちが複数確認されている事。
 その者たちに聴取を試みたが、平静を保っている者は少なく、辛うじて何者かが宮中で武装蜂起したのが確定した事。  またその反逆者たちは、宮中のより奥へ向かう者と、皇帝との謁見の間に向かう者に分かれていた事。
 そして、武装した兵が宮中に繋がる四つの門を閉鎖しようと動いており、前述の文官たちと揉み合っているという事であった。

「奥に向かっとるのは、陛下と……月をどうこうしようっちゅう連中やろな」
「となると謁見の間の方は、大将軍閣下を害そうという魂胆か!」
「……他の西園八校尉で動いている者はいないのか?」
「は、確か……中軍校尉どのの部隊の者が見当たらないとの報告が、練兵場にて訓練を行っていた者から上がっておりました」
「……事が起きる前から、か」
「これまた不安要素やな……。袁家は名家、権力中枢との繋がりも深い訳で、つまりは宦官との繋がりも浅からぬっちゅう事やからなぁ」
「よもや宦官側に付いたとは考えたくないが、閣下との軋轢もあったから、独自の狙いで動くだろうな」
「……ならば、我らがすべき事は一つ。そうだろう?」

 我らは誰に仕えているのか。そして我らが仕える方は、誰に仕えているのか。
 私利に走り、私欲に溺れる者ばかりが溢れているならば、我らがなすべきはなんなのか。
 それは華雄に言われるまでもなく、自問すら必要とせず。

「張遼隊の詰所に伝令を飛ばすか?」
「いや、それよかウチが直接行った方がいいやろ。んで、そのまま兵を連れて来る。そしたら、合流地点を決めてそこで落ち合うようにするだけで事足りるやろ」
「合流地点……やはり、どこかの門にすべきか? そのまま確保しておけば、簡易的な拠点になるだろう?」
「……アンタ、ホンマに華雄か?」
「どういう意味だ!?」
「ふっ……。常に最強たらんとするならば、だな。さて霞よ、そろそろいいだろう」
「はいな」

 ほいっ、とばかりに霞が詠を解放する。勿論猿轡を外すのも忘れない。


「っは! けほっ、えほっ」
「落ち着いたか?」
「んな訳あるかぁ!」
「ん、ウチらの話が耳に届く程度には落ち着いたみたいやね」
「うっ……」

 否定の言葉を、詠は出せない。
 焦りはある、なくなる筈がない。
 しかし、動きを封じられ、目の前で落ち着いて対処している様子を見せられて、茹っていた頭が少し冷えたのは、事実。
 なにせ、あの華雄が頭を使っていたのだ。調子を崩すのも無理はない。

「……見とったやろ? あの、あの華雄が頭使てるんやで?」
「……言い分に非常に不満はあるが、だがその通りだ。私は成長している。そして同様に、董卓さまも間違いなく成長しておられる」
「いつまでも、お前に守られ庇われてばかりの無力な少女のままではないのだ。ああ見えて、心は実にしっかりしているというのは、お前が誰よりも知っているだろう?」
「……それは……そうだけど」
「……賈駆よ、よく聞け」

 なおも不安そうに言いつのろうとする詠の肩に華雄が手を置く。詠と視線を合わせるために片膝を衝いてはいるものの、自信満々な素振りは、詠にはやけに大きく、そして頼もしく見えた。

「白波賊が太原に攻め寄せて来た事があっただろう? あの時、董卓さまは太原にお一人で守備兵力も少なく、帝辛たち主力は未だ戻らずと、実に危機的な状況だっただろう? 翻って、今はどうだ? あの時に比べれば如何ほどのものがある? 我々は皆力を増し、確かに董卓さまは孤立しておられるが遥か百里を隔てるわけでもなし。何よりも、ここには我々全員がそろっている。そら、一体どこに不安要素があるというのだ?」
「な……」

 いっそ傲慢とさえ思える華雄の言い種だが、その眼は至って真剣で、いつものように前だけを見据えていた。

「今の我らの力があれば、どんな困難であれ打ち砕けよう。だが、少なくとも私にはその力の使い方がわからん。いいかよ、お前だ。お前のその頭だ、智慧だ。それを使って我らに力の振るい方を示してくれ。そうすれば、あっという間に月を助け出して見せよう。陛下も守って見せよう」

 そう言い放つ華雄の後ろでは、霞がよく言ったとばかりにうんうんと頷き、帝辛がやれやれと苦笑して。

「……ったく、ほんと、バカなんだから……っ」
「ふんっ、お互い様だろう」

 にや、と笑う華雄を一睨みして、詠は眼を瞑り、力いっぱい己の両頬を叩く。
 そして開かれた瞳には、いつも通りの知性が戻っていた。

「ふうっ。すまなかったわね」
「ま、詠と月の仲を考えれば気持ちはわかるんやけどな。せやけど、ウチも帝辛も華雄もおるんやから、安心しぃ」
「……ありがと。あと……帝辛」
「ん、どうした?」

 照れくさそうな笑みを引っ込めた詠に、居住まいを正して向き直る。

「すぅ……ふぅ……。……えっと。今まで、悪かったわね」
「……ふむ。さて、何の事やら」
「……ありがとう。……さて、切り替えるわよ!」

 意味深な会話になんやなんやと興味津々な霞を無視して詠が声を張り上げる。

「醜態晒しちゃったけど……ここから取り戻してみせる! 皆、頼んだわよ!?」
「「「応!」」」

 返る声に促されるように、いつになくよく回る思考を意識して。
 未だ危機にあるにも関わらず、知らず詠の口元は弧を描いていた。

 

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(c)Ryuya Kose 2005