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昏君†無双

 季節は初夏。
 民草の生活は依然厳しくも、この時期を疎かにすれば秋以降に更なる地獄を見る事になるので、誰も彼もが必死に農作業に血の汗を流す頃。
 俗世と離れた筈の宮中の一角からは、こちらも厳しい日々を過ごす者たちがいた。

「総員、練兵場二十周! 予定は詰まっとるんや、さっさとかかりぃ!!」
『応っ!』

 号令一下、完全武装の兵士たちが一斉に駆け出していく。訓練開始時とは見違えるほどに力強くなった足取りを眺め、今日の訓練を担当する霞は満足げに頷いた。

「ん〜、ようやっとモノになってきよったなぁ」

 霞の脳裏に浮かぶのは、自分たちが手塩にかけて育てた、精強なる并州兵。  雑魚散らしも、存亡を懸けた決戦も経験し、古参の者は匈奴などの異民族との戦いも経験している、頼れる部下たち。
 それに比べれば、洛陽の兵たちはまさに弱兵と言わざるを得ない。実戦経験も乏しければ真っ当な訓練も施されず、待遇も悪いとなればむべなるかな。

「ま、ウチだけで教えとるわけでなし。当然の結果っちゅうやつやな。この調子で続ければ、禁軍も少しか見られるようになるやろ」

 それにしても、場所が変わってもやってる事は変わらんなぁ、と霞は思う。
 并州にいた時は、霞は武官の頂点として職務に励んでいた。その下に帝辛と華雄を従え、兵の調練から部隊の編成、軍を率いての出陣等々。
 そして彼女は今も同じような職務に励んでいるのだが……そこに至る経緯は、些か目まぐるしいものであった。



 それは何進と面会した翌日の事である。

「……ありのまま、今起こった事を話すで。昨日まで一地方役人だったのが、いつの間にか虎賁中郎将になっていたんや……。……正直何が起きたのかさっぱりわからんのやけど」
「私も羽林中郎将になっているな……」
「私は……うむ、騎都尉だな。雑号将軍よりこちらの方がいいな!」
「心配しないでいいわ。ボクも別駕従事から御史中丞になってるから」
「わ、私なんて光禄勲です……」
「……九卿とは、こうも簡単になれるものなのか?」
「んな訳あって堪るもんですか!」
「で、でも実際なっちゃてるよ……」
「ぐっ……」
「うむ……まあ王権の衰えた現状ならばさもあろうよな。……滅茶苦茶な人事である事に変わりはないが」

 それぞれが、与えられた部屋で起床して、届けられていた任命書を目にして、混乱しつつも集合した際の会話である。
 つい先日まで一刺史とその部下だったのが、一夜明ければ九卿と呼ばれる要職の一つである光禄勲。それの部下に当たる騎都尉に虎賁・羽林の各中郎将。刺史の監督や上奏の精査を行う御史中丞に任じられていたのである。

「はあ……。或いは、大将軍の影響力の強さね。宦官の政治力には劣るでしょうけど、それでも握る権限はバカに出来ない事が証明されたわけだもの」

 政治力で劣るとは言え、何進は大将軍。軍権に関わる方面での影響力はそれなり以上のものを保持している。自身の生命線である軍事力に関わるのだから、それも当然と言えよう。

「せやな。それに、ウチらが連れてきた并州兵。アイツらを各部隊に振り分けて中核にするみたいやしな。本人は個人の武威しか能がないみたいな事言っとったけど、まあそれなりに頭も回るみたいやな」
「……それでもまだ宦官派の方が優勢なんだよね……」

 憂いの色濃い月の言葉のとおり、現在、漢帝国の朝廷は二つの派閥に別れて争っている。
 一方は、いわゆる宦官派である。
 張譲、趙忠を筆頭とする十常侍がその中心であり、先帝からの信任が厚かった事を利して非常に強い政治力を維持している。
 軍事面に関しては、先帝である霊帝に寵愛された宦官であり、皇帝直属の常備軍である西園三軍を統括する上軍校尉の蹇碩がおり、指揮系統上では大将軍である何進に対しての命令権も有している。
 しかしながら、その何進が対立派閥を束ねているので、軍事面は貧弱という他ないものであった。
 今上帝劉弁を傀儡としていながらも、先帝が次子である劉協を寵愛していた事、劉弁の母が何進の姉である事から、劉協を担ぎ上げて朝廷勢力図を塗り替えようという動きもある。

 他方、大将軍何進が率いる派閥は、言ってしまえば反宦官派である。
 何進自身は政争には興味はないのだが、西園八校尉に任じられている袁紹、中郎将の袁術など、袁家二人が何進派を名乗り、政治的な舵取りをしているのが現状である。
 何進が個人的に宦官が嫌いであり、また甥にあたる皇帝劉弁が宦官の傀儡と化しているのもまた面白くなく。そこにつけ込み政治面を任せられたという経緯である。
 何進自身といえば、その独特の人間性から、将の受けは悪くとも兵からはかなりの信望を得ており、また武人肌の者に対しては、その武勇で以て認めさせており、軍事力の掌握は十分出来ていると言えるだろう。
 そんな中でのこの待遇。これは何進が月たちを自身の派閥の一角として迎え入れた事に他ならない。
 他に何進に与する有力者には、まず九卿の更に上の役職である三公を幾人も輩出してきた名家である袁家の二人、袁紹・袁術がある。次に、治世の能臣、乱世の奸雄と評された鬼才・曹操。地位、もしくは才気で言えばこれらが突出しているだろう、というのは月たち共通の見解である。
 他にも名のある諸侯はいるものの……何進にとって、その【名のある】という点が枷になっていた。
 袁家二人で言えば、彼女らは中央政界に近すぎ、宦官との付き合いも多い。曹操に至っては、宦官の大物である曹騰の孫である。
 彼女ら自身がどう思っているかは別として、血族や家の柵の影響を受けないとは言い切れない。
 その点、月たちは丁原、ひいては何進以外に後ろ盾を持たず、また家柄も名家とは言い難い面々であり、また殊に帝辛が何進に気に入られた事もあり、抜擢するにもってこいだったのである。



「……ま、任された部隊は形になってきとるし、辛たちも順調みたいやし……これで少しか落ち着くやろ……ん?」

 肩の荷が幾らか下りる予感にコキコキと首を鳴らす霞。そんな彼女の視界に、こちらも肩を回し、或いは揉みつつやって来る同僚の姿が映った。

「おー、辛に華雄。二人とももう終わったんか?」
「うむ! 今日もしこたましごき倒してやったのでな! 装備の手入れを命じて、後は休みを取らせる事にしたのだ。今日の仕事はこれで終わりだな」
「………」
「霞よ、何も言ってくれるな……」

 ほんまに全部やる事やったんか? という霞の視線での問い掛けに、帝辛は疲れたように答える。
 訓練場の使用申請やら訓練結果報告などの書類作成も仕事の一環のはずなのだが、帝辛は何故かそれを毎日二人分作成している。敢えて言うならば、華雄ェ……、といったところであろうが、さておき。

「まあ、それはいい。……よくはないが、取り敢えずはいい」

 能天気になんだどうした元気がないぞとのたまう華雄への苦い何かを飲み下し。帝辛は本来の用事を切り出す。
 多忙でなかなか顔を合わせる機会がなかった分を埋め合わせるために、一旦皆で集まらないか、との月からの提案を伝えに来たのである。

「そぉか……。月は九卿やからな、忙しさはウチらの比やない、か……」
「うむ……。それに、我々は遂高さまに近いからな。取り入らんと近づいてくる有象無象にも難儀しているらしい」
「賈駆も似たような状況らしくてな。きっちりと機会を設けんとただ会う事もままならんらしいぞ? 私なら振り払っても構わんのだが、あの二人ではそうもいくまい」
「いや……華雄な。それはアンタであってもアカンと思うで……」

 流石の華雄はさておき。
 新しい環境にそれなりに慣れ、武将組は仕事に一段落が着き始めた頃合は、なるほど都合のいい機会だろう、という事で、訓練が完了し昼時になったら食事を兼ねて集合しよう、という運びとなる。

「そうと決まれば話は早いな。……どれ、話を通しておこう。鯀捐こんえん!」

 帝辛は羽林中郎将と武官ではあるが、その執務能力の高さは既に知れ渡っており――これには華雄が一役買っていたりする――、他の政務の手伝いをする事が多々あった。
 このため、調整や連絡のために、并州から同行していた侍女の鯀捐が、常時補佐役として侍っているのである。

「はい、お呼びでしょうか」
「うむ。月や詠を含めて昼時に集まりたいのだが、予定を確認してきてくれ。出来るようならそのまま調整をつけて構わぬ」
「畏まりました、帝辛さま」
「苦労を掛ける」
「いいえ、勿体無いお言葉です

 ぺこり、と一礼して去っていく鯀捐。その背を見送って、さてと振り向いた帝辛を迎えたのは、霞のじと目であった。

「……なんや辛、えらいあの侍女と仲良さそうやないの」
「それはそうだろう。あれは私の檀板の師であるし、よく尽くしてくれる侍女。無碍に扱えよう筈もないだろう」
「そらまあ……そうやけど……」

 しれっと答える帝辛の表情からは、特に妖しい雰囲気は見出せず。霞は何となく釈然としないものを感じつつも、まあそういうならと疑問を飲み込む。
 ……ついでに、なぜ自分がそんな事・・・・でむっとしているのか、という疑問にすらならないような疑問も。



 そして鯀捐が戻ってきたのは、すっかり霞がそれらを飲み下した後の事。明るい表情からはよい知らせが窺えた。

「董卓さまも賈駆さまも、急ぎの仕事はないとの事でしたので、御史府の一角にある東屋を確保しておきました。酒食の手配も済ませてあります」
「へえ。こら手際がええし都合もええやん」
「おお! これで久方ぶりに気心の知れた者同士で楽しく飲めるというものだな!」
「うむ、よくやってくれた。相変わらず手際がいいな」

 これも日頃の行いだな、いやそれはありえへんやろ、という二人のやり取りも楽しげで、仄かに鯀捐の表情も緩む。

「ありがとうございます。では、私は午後の仕事に備えて準備をしておきます」
「うむ。頼む」
「いいえ」

 ――しかし彼女はそれをすぐに隠して静かに身を引く。帝辛もそれを引きとめようとはしない。
 彼女は自身が侍女に過ぎないという事を熟知しており、またその範疇からはみ出すつもりもなかった。
 その分別が帝辛からの寵を受ける事になり、またこの朝廷という名の伏魔殿において彼女を守ってもいるといえよう。





「ふふ、こうして皆で集まるのって、久し振りだよね、詠ちゃん」
「そうね……ここ暫くは激動の日だったものね」

 さて、そんな鯀捐のお膳立てした昼食会は、陽が中天に差し掛かった頃に始まった。
 東屋の円卓を囲むのは、月、詠、霞、華雄、帝辛の五人。久し振りの集合に、雰囲気も和やかである。

「そうだな。特に月と賈駆はかなりの重職であるからな。大変だったろう」
「あ、ありがとうございます」
「あら、気が利くじゃない。……っとと」

 まずは一献、と帝辛が手ずから二人に酌をする。因みに残りの二人は着席した瞬間から手酌で飲み始めていたりする。

「んっ……んっ……っかぁ〜! いやぁ働いた後の酒は美味いなぁ!」
「うむ! それが気心知れた者と飲むとなれば、また格別だな!」
「ふふ、華雄さん、嬉しい事言ってくれますね」
「ふぅ……。そうね、もう下心見え見えの連中と飲む酒なんかこりごりよ」

 誰も彼も、よほどこの時が嬉しいのだろう。帝辛に対してまだしこりを抱えていたはずの詠も、嬉しそうに酌を受けていく。
 洛陽に来ただけでも大事なのに、あれよと動きに動いた状況。かなりの心労を強いられていたのも当然だろう。
 愚痴や自慢を肴に酒食は進み、暫し和やかな歓談が続いた。



「さて……。ところで月よ、これからどうするつもりなのか、聞いてもよいか?」

そう帝辛が切り出したのは、酒食も話題も尽きかけて、一段落がついた頃。
 【これまで】を語り尽くせば、【これから】に意識が向くのは当然だろう。自然、皆が居住まいを正して傾聴する姿勢に入る。

「現状、我々は何進派の一角を担っているわけだが……。同じ何進派の袁家二人とは、あまりよい関係とは言えん。あれらの影響力を考えれば、無視する事は難しい。どう立ち回るべきだと思っているのだ?」

 前述したように、何進派では袁紹、袁術が大きな発言力を持ち、派閥の政治的な舵取りを行っている。
 その袁家二人なのだが、自尊心が高く、また己の血統に高い誇りを持っている。そんな二人から見れば、北の片田舎からのこのこやって来て九卿の一角をかっさらって行き、また何進からの信任厚い月たちは、面白くない存在なのだろう。
 帝辛も事あるごとに難癖をつけられたり余計な仕事を回されたりと、摩擦が生じていたのである。
 同じ事は当の月や詠にも言える事で、二人も頭を悩ませていた。

「あー、そうよね……。派閥としての方針も、あいつらが決めてるようなものだものね。別に何進がお飾りだってわけじゃないけど、あの人どうしても政治には疎いみたいだし」
「せやなぁ。肝心の宦官に対しての行動も、何進が指針を明確に打ち出してないのをいい事に、かなり強硬な姿勢を採ろうとしてるみたいやな」
「ああ……そういえば、宦官は全員抹殺やせよ! とか騒いでいたな。我が金剛爆斧の錆にしてくれるのは吝かではないんだが……」

 そこまで言って、華雄はちらと月を見た。
 この話題が始まった時から、既に考えていたのだろう。華雄の視線を受け、さして言いよどむ事もなく、己の思いを口にする。

「袁紹さんたちは……きっとそれが国の為だと思って善意で言ってるんだと思うんです。宦官の悪行は、確かに目に余りますから……。でも……真面目に働いている人だっているかもしれないのに、宦官は皆殺しだ、って言うのは……。そんな非道は、私は認めたくないんです」
「ま、月ならそう言うやろな」
「そうだな、それでこそ私が主と仰いだお方だ!」

 その答えは、きっと誰もがわかっていた答え。
 甘いとさえ思えるほどに優しい。それが月という少女であるが故に。

「私もそれでよいと思う。理由としては、もう一つあるがな」
「……今まで政治を牛耳ってきたのが宦官たちであるから、でしょう?」
「うむ……そのとおりだな」
「へ? せやかて、それは宦官を排する理由のはずやろ?」
「うむ……。これも宦官の専横が故ではあるのだがな」

 宦官が皇帝を影響下に収め、権勢を振るうようになってから、既に数十年が経過している。
 その間、真っ当な志を持つ役人たち、いわゆる清流派は党錮の禁などを経て、政治の中心から遠ざけられていた。

「つまり、その才や実力はともかく、実際に政治を動かしてきたという経験を持つ役人は、宦官を除けばあまりに少ないのだ。そこでいきなり宦官を完全排除してしまえばどうなるか」
「……理想やら大義とは裏腹に、政治は混乱するやろな。なるほどなー」
「もちろん権益を奪い影響力を殺ぎ、というのは早急にやらねばならんが……。経験を積み、或いは盗み。宦官なしでも政治が回るようになるまでは、一掃なぞという無茶は避けねばならないのだ」

 何の事はない。
 感情的な面で、月ならばこうするだろう、というのは全員が分かっていた事。
 あとは、そこに理性的な支持理由をつけるという、言ってみれば通過儀礼のような、確認事項。
 それを経ながら、詠は思う。

(正直……宦官を思い切って排除する、っていうのは、乱暴だけど、間違った手じゃあない、ようにも思える。……こんな風に思うのが、若さ故の先走りなのだとしたら……)

 袁家にも、宿老の家臣はいるはずなのだ。なのに、あの二人には止まる気配がない。これが袁家の一致した意向だからなのか、二人の暴走によるものなのかは定かではない。

(どちらなのかはわからないけど……。少なくともボクたちにとって、帝辛の落ち着きと経験は、月の意向とも噛み合いやすいし、華雄のバカを抑えるのにも効果があるし、有り難い……と、思わざるを得ないわね)

 詠の帝辛に対する複雑な気持ちは、決して拭い去られたわけではない。
 ないが、しかし并州といういわば自分の庭での実務経験しかない自分に、朝廷という魔窟での立ち回り方を教えてくれたのは彼である。恩義は大きいし、その実力はもうどうしようもないくらいに認めてしまっているのだ。

(アイツの一言のあるなしで、こうも安心感が違うとはね……。………………きっと年の功ねそうよそうに違いないわ)

「なんや賈駆っち、顔赤くして」
「べっ……別に、なんでもないわっ。それより、性急な強硬手段には出ない、となれば、袁家の二人との対立は避けられないわね。向こうがわざわざこっちの考えに合わせてくれるとはとても思えないし」
「それはそうだが、宦官たちを弱らせる必要はあるのだろう? そもそも我らが召集されたのもその為であったはずだ。拳骨で追い出す事が出来ないなら、私には何をしていいやら思いつかんぞ」
「……宦官の人たちが幅を効かせてるのは、つまるところ彼らが陛下を手中に収めているから……で間違ってないよね? 詠ちゃん」
「……そうね。たとえそれが張譲やらの意思なのだとしても、陛下の口から発せられた以上は誰も逆らえない。だから宦官が強い……。一番の理由はそれでしょうね」

 もちろん、他にも数十年を掛けて創り上げられた利権構造やら伝手やらも理由に上がるだろうが、結局のところ、陛下のご意向である、という建前が宦官の影響力の源泉であると言えるだろう。

「ちゅー事は、や。陛下と宦官との繋がりをどうにかすればいいって事やろ?」
「でも、同じ事は今まで何人もやろうとして……失敗、しちゃってますし……」
「そうね。その結果が党錮の禁……。あれでますます宦官の権力は増したわ。排除するより、こちらと陛下との繋がりを何とかして強化して、そこから切り崩していく方がいいんじゃないかしら」
「宦官と変わらない……?」

 華雄のその言葉に、何か引っかかるものがあったのか。
 月は何かを考えるように暫し目を瞑り……そして言葉を選びながら切り出した。

「宦官の人たちとは違う……したくても出来ない事……。そっちから接触する事が出来たら……例えば……武芸の訓練、とか……」
「……成程。確かに月ならば、忠節やらで宦官を圧倒する事も出来ようが、やるなら宦官には到底出来ない、もっと刺激的で陛下の目を覚ます手がいいだろう。」
「あー、せやなぁ。確かにそれなら脳筋の華雄でも出来るしな。それに華雄の迫力ある動きなぞ、到底宦官には出来ひんやろ。なよなよした宦官に囲まれとるだろう陛下には、いい刺激になるかもしれんなぁ。それに陛下も男なんや、強さに惹かれんっちゅう事もないやろ。むしろ男だてらに強い辛に興味もつかもしれんな」
「ならば、例えば天覧の模擬戦を――」
「わざと宦官を追い散らすように――」

など、など。
 様々な意見が飛び交い、酒宴は討論会へと変貌していく。
 真に国と皇帝を案じるが故に議論は白熱し、たとえ今が初夏でなくとも熱気が立ち込めていただろう。





 そして、その百家争鳴もかくやと盛り上がる様子を、一人の男がそれと気付かれぬように見ていた。





「……ふん。面白い事考えるじゃねぇか……」





 その翌日、大将軍何進より、一つの人事案が上奏された。


 曰く――董仲穎を光禄勲に加官して侍中に命じ、また董侍中の部下たちに、これをよく補佐させる――、と。


 侍中は、皇帝直属の機関である侍中府に属し、宦官派の重鎮である張譲、趙忠らが就いている中常侍と同等の役職である。
 皇帝の側近に控え、質問や相談に答える事を主な職務としているため、皇帝に対する影響力は、常時皇帝の側に侍り、取次ぎ全般を行う中常侍に比肩し得る。
 当然、これに十常侍を始めとした宦官らは強く反発するも、何進は姉である何太后にも働きかけて頑として譲らず。
 最後は、政治に関心の薄い叔父の珍しい姿に興味を持った今上帝劉弁自身が、珍しく自発的にこれを承認、辞令が発行される運びとなった。
 これにより、何進と張譲ら宦官との対立は一層深まり、膠着しかけた状況が再び動き出すのは確実となったのである。

 

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