- k a r e s a n s u i -

昏君†無双

 ――并州の日常・帝辛編――



 并州は、漢帝国の版図の中でも北方に位置しており、また匈奴など異民族の住まう地とも隣接している。
 洛陽から見れば、辺境のど田舎、と言えるだろう。
 現在の董卓政権の面々は、ほとんどが涼州や并州出身なので、あまり気にしていない者が多いし、社会情勢も不穏当であったから、どうこうするという話はなかった、のだが。
 それをあまりよしとしない男が一人。

「――このように、文化というものはしばしば品性と関連付けられる。洛陽は、なるほど確かに文化の中心地だ。栄えている地であるならば、それと同じように文化や芸術の程度もまた高いものになりやすいといえるだろう。……ようは教養がなければ田舎者と見られ、侮られる元となり得る、というわけだ」

 太原の政庁、その一角にある小部屋で、その男、帝辛は垂れていた講釈を一段落させた。
 室内には月、詠、霞、そして華雄という董卓政権の首脳陣が一堂に会していた。

「もちろん得手不得手はあるだろうからな、誰でもが一流になれるわけでもなし。しかしそれなりの立場にあるならば、それなりの教養は身につけておいて損はないとは思う」
「ふぅん……。ま、ボクたちも似たような経験した覚えあるから納得出来る話ね」

 そういう詠の視線の先では、帝辛が檀板を弄んでいる。
 彼女らは、仕事に一段落がついたのでちょっと皆でお茶でも、と茶室へ向かっていたのだが、その最中にどこからともなく聞こえる歌声に興味をそそられてやってきたのである。
 侍女に檀板の名手がいると聞いた帝辛が、願って指南を受けていたところであったのだ。因みに指南役の侍女は、恐縮しきりとばかりに部屋の隅で平伏したまま小さくなっている。

「ふむ。確かに女の身であればなおさらだろうな。……とにかく、要は昔とった杵柄をむざむざ腐らせるのが惜しいのだ。よい師がいる事だし、先の事を思えば、これもいい機会と思ってな」
「へ〜。しかし辛に指導できるっちゅうんは、考えて見れば凄い事やなぁ。なあ、アンタなんて名前なん?」
「こ、鯀捐こんえんと申します」
「も、勿体無きお言葉……」

 更に縮こまる鯀捐だが、霞の言うとおり帝辛に指導できるという事は一国の王に指南ができる水準であるという事になる。恐縮どころか胸を張ってもいいくらいである。
 とはいえ、一回の侍女に過ぎない彼女にしてみれば、雲の上の立場の人間に囲まれた状態で堂々と誇れ、というのも酷な話ではあるのだが。

「そうだ。この機会だからお前たちも指導を受けてみるといい。特に霞と華雄。お前たちも高い地位にあるのだから、こういった一芸も持っておくべきだろう」



 で。
 帝辛主催の芸術教室音楽篇が始まるわけであるが。

「て、帝辛! た、確かに酒宴やらでは、そういった芸術やらの才が求められる事もあろう、だから学んでみるべきだというのはわからんでもない! だが、だが何故こんな格好をせねばならんのだ!?」
「何故もなにも、そういった場で正装するのは当たり前だろう。いいではないか、存外似合っているぞ?」
「そうね……素材はいいんだし、着飾ればなかなかどうして、大したものじゃないの」
「う、うん……確かに似合ってます、似合っちゃってますよ華雄さん……」
「あれやな、馬子にも衣装ってやっちゃな」
「う……そ、そうは言うがな……っ」

 場所を変えて、帝辛が主に使用する私室の一つ、そこに先程の面々は集まっていた。
 ただ、さっきと違うのは、それぞれがある程度の格式の式典になら出席できる程度に正装している事である。
 誰も彼もが普段見慣れた姿よりも美しく、或いは可愛らしく着飾っており、帝辛をして唸らざるを得ないほどである。
 月はどこぞのお姫様か良家の令嬢か、といった風で、初めて見たわけでもない帝辛でも視線を惹きつけられざるを得ない。
 その横で感心したように華雄を眺めている詠も、普段の服装よりもやや柔らかな印象を与えるような意匠がなされており(これは恐らく月の差し金であろう)、普段の怜悧な印象を抑え、かつより美しく見せている。
 霞などは、普段の非常に露出の高い格好とは一変、極一般的な範疇の露出に抑えた服を着てきて帝辛を大いに驚かせると同時に、これはこれでよしと喜ばせていた。
 しかしながら、帝辛のみならず、月たちの視線さえも惹きつけたのは、間違いなく華雄であった。

「こ、こんな……こんな男物の服装が似合うと言われても、全く嬉しくないわ!」

 つまりは男装。そういう事であった。

「う〜ん、華雄っちは背ぇ高いからなぁ。顔つきも凛々しいし……ホンマに男やったら、ウチ惚れてまうかもしれへん」
「嬉しくもなんともない! そもそも! 何故男物の衣装なのだ!?」
「へえ? 女物でよかったの?」

 キラン、と詠の眼鏡が不気味に輝く。放つ光は知性のそれというよりも稚気のそれ。帝辛と出会って暫くは、そういった茶目っ気を見せる事はなかったのだが、ここ最近は心身ともに余裕が出てきたからか、そういった側面を見せる事も多くなってきた。

「こんな事もあろうかと、しっかり女物の衣装も用意してあるわ。月、お願い」
「う、うん」

 促された月が取り出したのは、もちろん衣装。それも女物だ。
 しかし、それはただの衣装ではなかった。

「な……なんだそれはッ!!??」

 これでもかッというくらいに付けられたフリル! 少女趣味全開なデザイン! 巨大なリボン!
 月が着るならばまだしも、華雄が着れば噴飯間違いなしな、世が世ならばロリータファッションと呼ばれるであろう衣装だったのだ!

「さあ華雄! その男装が嫌なのならば、この少女趣味全開の服を着るがいいわ! ボクと月が夜なべして考え、街中の服屋・針子を総動員して創り上げたこの一着を!」

 はっきり言って才能の無駄遣いとしか言い様のない裏事情である。しかしそんな事ができるほどの、時間や資金、資源の余裕ができたという事でもある。
 そう考えれば、別に悪い事ではないのかもしれんなぁ、と何処か遠い目をして思う帝辛であった。

「くッ……さ、さすがにそんなものは着れんぞ! というかこらそこの張遼! 霞! こっそり想像して笑うな!」
「せ、せやかてあの衣装を……ぷっ、くくくくく……」
「こっ……こンの……くぁwせdrftgyふじこlp!!!」
「し、霞さん笑いすぎ……。華雄さん、顔真っ赤だよっ? 詠ちゃんもやめてあげようよっ」
「ふふっ、月は優しいわね。だが断るわっ。普段あの猪に散々手間かけさせられてるんだもの、ちょっとぐらいは意趣返しさせてもらわないと釣り合いが取れないわ」

 どうやら稚気の影に復讐の炎が潜んでいたらしい。
 何かと華雄には苦労させられているだけに、比較的穏当であるといえなくもない手段で鬱憤を晴らそうというのだろう。
 そういう事ならば、大いに共感できる帝辛にはそれを止める理由はない。
 そうして、華雄はその後暫くいじられ続けるのであった。



「あ、あの……指導の方は……」
「「「「「……あ」」」」」

 どっとはらい。





 ――并州の日常・華雄編――



「まったく……酷い目にあったぞ」

 太原の繁華街で、華雄は大きな溜め息をついた。
 霞や詠に散々からかわれたあの後。本来の目的を鯀捐の恐る恐るの訴えで思い出した彼らは、気を取りなおして改めて鯀捐から指導を受けた。
 受けたのだが、もともとそっち方面の素養が乏しかった華雄は、それまで散々に受けてきた精神攻撃の影響もあって早々に脱落。
 逃げるのかとおちょくられ、「べ、別に逃げるわけではないッ! これは……そう、あれだ、お前たちのよく言うせんりゃくてきてったいという奴だ! 勘違いするんじゃないぞ!」と言い捨ててここまで走ってきたのである(さすがに衣装は普段の物に着替えてはいる)。

「確かにああいったものも必要なのかも知れんが……やはり性にあわんものは仕方がないな、うん」

 そうやって自己弁護を済ませると、華雄はさて、と考える。
 もともと時間が空いたから茶を飲もうとしていたのだ、要は休みと同じである。
 ……それならば、せっかく街まで出ているのだからひやかして回るのもいいだろう。
 そうと決まれば話は早い。

「まずは腹ごしらえだな」

 呟いて、華雄はふらりと繁華街を歩き出した。



「毎度ーっ」
「うむ、まずまずの味だったな。さて……どこを巡るか」

 店主の声に見送られて店を出た華雄。ひやかして回る事は決めたものの、どこからとは決めていなかった。
 服飾店……は、正直さっきの今で行く気にはなれない。武具店は論外だ。華雄ほどの豪傑ともなれば、そこいらで売っているような武器では吊り合わない。装身具は興味がないし、飲食店は、今さっき腹ごしらえをしたばかりだから行く必要がない。

「まいったな、本当にぶらぶらするしかないぞ……ん?」

 内心、もうただの散歩でもいいかと思い始めた華雄の視界に、何やら引っかかるものがあった。

「なんだ? 人だかり?」

 気になって目をやれば、そこには通りの片隅に十数人からの人だかりができていた。別に店が構えてあるわけでもないところを見るに、行商の露天か何かだろうとあたりをつける。
 他に目を惹く物がなかった事もあって、取り敢えずと足を向けてみれば、フード付き道士服に身を包んだ人物が占いをしているらしかった。しかもその占いの方法というのが面白く、華雄の興味を惹く。

「干物占い……だと? 聞いた事もないな」

 というか群衆の誰しもが見た事も聞いた事もないのだろう。
 何やらもにもにと唱えている占い師、その周囲を何故か浮遊している魚の干物。
 それらを見守る群衆の目は、好奇と疑念が入り交じっている。今占ってもらっているだろう男などは、どう見てもドン引きしている。金を払っていなければ逃げていたに違いない。
 しかし占い師は気にする事なく占いを進めている。

「干物よ〜、教えたまえ〜……ムウッ!?」
「ヒイッ!?」

 見えたッとばかりに目を見開き顔を上げる占い師。その拍子に、被っていたフードが脱げ、その顔が顕になる。

「ほう?」

 若い。ともすれば少年とみ間違えてしまいそうな童顔の男性だった。占い師といえばそれなりの年齢を重ねた者がやるものだとばかり思っていた華雄にとって、これまた興味を惹く要素である。
 いよいよ以て興味を持った華雄が見つめる先で、占い師は腰が引けている客の男に一言二言告げ、それを聞いた客はそそくさと去っていく――と。

「む?」

 すい、と。占い師の視線が自分に向けられたのを感じた。

「ふむ……。すまんが皆の衆、今日はこれで店じまいだ。ほれ散った散った」

 しっしっと手を振る占い師に未練を残す者はさすがにいなかったらしく、人だかりはあっという間に散り散りに。残されたのは、両手に魚の干物を握った占い師と、やや離れたところで彼を興味深げに見詰める華雄のみ。
 視線が交錯する中、徐に占い師が口を開く。

「うむ、そこのお主。何やら熱心に見ておるが……一つ占ってみるか?」
「いいのか? もう店じまいだと言っていただろう」
 「構わん構わん、むしろそのために人払いをしたようなものよ」
「ほう? ならば頼もうか」

 華雄の承諾を受け、占い師は再び占いを始める。近くで見ると、やはり怪しい占いだった。せっかく綺麗な顔をしているのに、はっきり言って目が血走っていて怖い。そりゃあさっきの客もドン引きするってもんである。

「ムウゥ……お主、どうやらなかなかに波乱に満ちた人生を歩みそうだのう……」
「ほう。それは好都合というものだな。平穏が悪いとは言わんが、どうせなら乱を駆け抜けるような生き方をしたいからな」
「フム、まあその点は問題なかろう。いずれ世は乱れに乱れ、群雄割拠の時代が来よう。なれば、お主が武をふるう機会は山とやってくるであろうな。そして天下に華雄の名は知れ渡るであろう。……まあ当たるも当たらぬも八卦であるがな」

 ニョホホ、などと笑ってはいるが、謎の占い師(笑)の発言は際どいものである。言ってしまえば漢王朝の滅亡を予言したようなものなのだから。
 だがしかし、それを気にするような華雄ではもちろんなく。

「ふん、董卓様をお守りし、かつ我が武を天下に知らしめる事ができるなら文句はない。良い占いをしてもらった」

 満足気な笑みを浮かべ、代金に色をつけて支払う様からは、不敬を働いたとも取れる占い師を咎める色は伺えない。むしろそういった意味を持つという事に気づいてさえいないかも知れない。
 だが、それでこその華雄である、とも言えるのだろう。

「ではな、よい占い、感謝しよう。次には私の仲間も占って欲しいものだ」

 言い残して踵を返す。思いもよらぬ出来事に上機嫌な後ろ姿。



「ああ、そうだ。――紂王……帝辛にはあまり聞仲をやきもきさせるなと伝えておいてくれぬかの?」



「――!!??」

 何故その名を知っている!?
 驚愕の思いと共に振り向いた先には、既に人影はなく。ただ干物が落ちているのみ。



 時代と共に、その裏側に隠されたモノも、いよいよ変化を迎えようとしていた。

 

戻る
(c)Ryuya Kose 2005