- k a r e s a n s u i -

昏君†無双

 太原から洛陽まで、凡そ千里。
 業、陳留を経由し、また幾度となく行った戦闘を含め、凡そ一月半。
 月たちと共に洛陽から太原に向けて出発したあの日から、凡そ十月。
 それだけの距離と時間を経てたどり着いた洛陽は、それに見合った変貌を見せていた。

「………」

 無言のままに歩く帝辛。
 商隊が各々の商売のために一度解散し、兵たちにも休養を与え、諸々の事務仕事に精を出していたところを丁原から呼び出されたのである。
 離れたとはいえ并州は自分の地盤であったところ、そして董卓は自身の配下である……と丁原自身は認識している。
 なので当然、并州と董卓の動きは気にしており、その繁栄ぶりは把握していた。
 自身が可愛がっていた商人や官吏への対処こそ気に入らなかったものの、それらは丁原を大いに喜ばせ、今回の呼び出しへと繋がったのである。

「別にアレに好きにされるためにやった事ではないが……」

 呟いた声は、決して潜めたものではなく、現に近くを足早に歩いていた某かの官吏がちらりと帝辛の事を伺う程度には、周りに聞こえるもの大きさである。
 だがしかし。誰も――その官吏でさえ――急に独り言を呟いた帝辛に気を払う者はいなかった。
 誰もが、そんな余裕を失っているように見え、帝辛は一つ、溜息を吐いた。

「……この雰囲気では仕方のない事か」

 丁原は騎都尉として働いているため、帝辛は宮中にまで足を運んでいるのだが、その宮中の雰囲気がひどく不穏なものになっていたのである。
 帝辛が霞に拾われて間もない頃も、黄巾党の騒乱もあってピリピリした面はあったのだが、今はそれの比ではない。
 後継争いか派閥争いか……。いずれにせよ、某かの政争が巻き起ころうとしているだろう事が見て取れた。
 そしてそんな中に呼び出された自分――即ち董仲穎の重臣。丁原の後ろには一大勢力を築いている何進大将軍がいる事を思うと、最早嫌な予感しかしない帝辛であった。





「うむ、お前が仰聞とやらか」

 通されたのは、それなりの広さを持つ、おそらくは政務を執り行うための部屋。華美な装飾品や宝剣が棚やら壁やらに飾られ、執務を行う机の上には、申し訳程度の書類竹簡しかなく。
 そんな部屋の主が目の前の男、丁原である。

「は。姓は子、名は受、字は仰聞と申します。河内郡にて隠遁しておりましたところを召し出され、こうして末席を汚しております」
「うむうむ、董卓が新しく部下を取り立てたという話は聞いておったが、アレもなかなかいい拾い物をしたようだな。人手不足とはいえ、一年に満たないうちにアレの別駕従事になるとは」
「過分なお言葉を……」
「今日の并州の発展にも、少なからず功があると聞いておる。儂にいわせれば……まあかなり過激な推し進め方だったが……結果が出ておるしな、何進大将軍も喜んでおられたので構わんだろう」

 丁原としては、内心自分と癒着していた商人たちが軒並み罰せられているので面白くないわけではないが、現在の并州は非常に潤っている。董卓は丁原の部下である、という朝廷での認識からすれば、これは董卓を推挙した丁原の功績でもある……という事で、丁原もおいしい思いをしている。
 なので大っぴらにそれを叱責する事もできないのだ。

「アレらは涼州で儂が見出してな、出来はそれなりにいいが経験が足りんし、特に董卓は甘さが過ぎる。張遼を貸しはしたが、アレも掴みどころがないのでな。お前のような分別のある大人がいるのは、今後を考えれば好ましいからな」
「は……微力を尽くします」



「うむ、うむ。要は并州の……董卓の軍事力はまだ伸びるという事だな?」
「は。少なくとも私が太原を出立する時点では、軍に志願する者はそれなりの数を数えていました。加えて今回の行軍で得た捕虜の事もありますれば」

 丁原と顔を合わせてから既に半刻程が過ぎていたが、面会はやがて会談の様相を呈しながら、まだ続いていた。
 話のネタとして并州に向かうまで、そして到着してからの経緯を喋ったまではよかった。しかし次第に丁原の興味が行政や経済……そして特に軍事面にある事がわかってくると、宮中の空気もあってどうにもきな臭い。
 幾度か話題の切れ目に暇乞いを切り出そうとはしたものの、丁原がそれを察して――宮廷暮らし故か、話の流れを察するのが妙に上手い――話を繋げてくるのでそれも叶わず、結局帝辛は「実はな……」と丁原が声を潜めて切り出すのを黙って受け入れるしかできなかった。

「その董卓の軍事力を貸して欲しいのだ」
「……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 それ見た事か、との思いを飽くまで内心に押し込め、帝辛は流れからしてもうこれは逃れられまいと覚悟を決めた。
 確かに宮廷は権謀術数の渦巻く危険地帯ではあるが、上手くすれば大幅な勢力強化が見込める事も確か。加えて帝辛自身、かつての人生、その大半を宮廷の中枢で過ごしたのだ。時代や立場に違いはあれど、その雰囲気に飲まれる事はまずありえないだろうという判断も、それを後押しした。

「……この漢帝国は、もちろん天子たる霊帝陛下によって統べられる国だ。しかし昨今……宮中に住まう害虫が、陛下のご威光を穢しておる。それがなにかわかるか?」
「……宦官、ですか」

 お前たち自身の事だろう、とつい口をついてしまいそうなところを堪えてそう答える。
 思い返すは詠との授業。現在の政治形態について説明を受けていた際に、その名前が出ていた事を思い出したのだ。
 男性機能を失っているために後宮においてよく仕え、権力を世襲できないために、特に皇帝に重用される事も多かった……と記憶していた。
 そして今代の天子、霊帝は非常に暗愚であり、政治の実権は十常侍と呼ばれる宦官らが握っている、はずである。

「そうだ、あの穢らわしい宦官どもだ! 陛下を擁立したからといって好き勝手に国を振り回しては疲弊させ、軍才がないがために黄巾党ごときに遅れをとる」

 果たして、丁原はさも憎々しげに言い捨てる。自身も軍権を握っている何進の腰巾着である事を忘れているような言い草である。ひょっとしたら、自覚した上での同族嫌悪なのかも知れなかったが、それは帝辛の知るところではない。

「最早この国にとっても陛下にとっても、宦官の存在は害でしかない、と何進大将軍は考えておられる。もちろん儂もそうだ」
「……つまり、大掃除に人手が必要である、という事ですか」
「話が早いな、そういう事だ」
「………」

 詠から聞いた話や、自分で集めた情報から判断するに、確かに宦官の専横がこの国に悪影響を与えているのは間違いないだろう。そこに関しては帝辛も同意する。それを排除する必要がある、というのもわからなくはない。
 しかし……。

「……あの仲穎どのが納得するでしょうか」

 月、あの優しい少女が、そんな強引な、そして恐らく数千の血が流れるだろう凄惨な計画に賛同するだろうか。

「説得すればよかろう。それがお前の役目だ。賈駆も計算のできる奴であるからな、命令されれば嫌は言うまい」

 そんな月を思い遣った帝辛の言葉は、しかし丁原には届かない。何進一派の中ではどうやら既に規定事項となっているらしい。そして恐らく、何進一派と見做されている董卓軍がそれに加勢する事も、また。
 それに、正式に大将軍より命令されてしまえば、抗う事はほぼ不可能である。

「……わかりました。文和どのと共同して説得いたしましょう」
「うむ、頼むぞ。これも何進大将軍の……ひいては陛下のためだ」

 そう満足げに頷く丁原の表情に、欲の色がある事を帝辛は見逃さない。
 もとより丁原はそんな大層な大義を掲げて動くような人間ではない、と思っていた帝辛だったが、やはり何進に寄生して宦官から権力を奪い、自分たちが甘い汁を吸うための策謀でしかなかったのだ。
 取ってつけたように陛下のためとは言っているが、こんな奴らが素直に皇帝に権力を返還するとも思えなかった。

(……成程、どうにも似た輩を見た覚えがあると思えば)

 昏君紂王には、商容、比干や箕子といった離れていった忠臣もいたが、逆に擦り寄ってきた佞臣もいた。費仲に尤渾、悪来と飛廉らがそれにあたる。

(王が暗愚であれば佞臣は必ず湧く、という事か……。身に染みる事よ)

「さて、これで見通しもついたでな……。一つ……いや二つ褒美がある」

 内心忸怩たる思いで平伏する帝辛に気づかずに、丁原は機嫌よさげに切り出した。

「儂はこの度、執金吾に昇進する事になっておってな。まあ同時に董卓も州牧に昇進するのだが……。それでだな、昇進に伴い当然やらねばならん事も増えるだろうから、下院大将軍の命により儂の手駒から一人貸してやる事になったのだ。……ついさっきまで軍を率いていたようだが、呼びつけたからじき来るだろう……と、噂をすればか」
「建陽さま! 遅くなりました!」

 謝罪の声とともに飛び込んできたのは、白銀の髪が美しい長身の女。肩と腹部の大きく露出した艶っぽい服装でありながらも、その自信に満ちた勇ましい面立ち眼差しが、色気より勇ましさを際立たせている……というか。

「……華雄将軍?」
「うん? ――おお、貴公はさっきの……仰聞といったな」
「なんだ、顔見知りであったのか?」
「先程の黄巾党との交戦時に、少々」
「我が方の窮地を救ってもらった恩があるのです。私が無事にここに来れたのも、仰聞どのの助けがあったればこそといえましょう」

 帝辛と華雄の返事を聞いて僅かに眉をひそめる丁原。
 あれやこれやと回り道をしてこの話題へとたどり着いたのも、偏に腹に一物持っての事であった。そしてそれに於いて華雄の存在と、その貸与は極力秘しておいて、不意に眼前に突きつけたいものであった。
 しかし二人は僅かとはいえ既に言葉を交わし、華雄に至っては帝辛に対し一定の恩義と敬意を持っているように見受けられた。

(これだから突進しか能がない猪は……)

 内心でそう蔑み、今回の策の失敗を丁原は受け入れた。
 もとより策といっても保険程度のものでしかなく、失敗しても僅かに董卓の戦力が増し、華雄という使い勝手の悪い駒を失うだけでしかない。そして力が増したとて、董卓は結局何進大将軍の配下でしかない。
 そしてなにより――。

(黄巾党ごときに遅れを取るような弱将なぞ、失ったとてなんの痛手でもないわい。あんなものとは比べ物にならぬ、まさに無双の武威を持ち、そしてもっと扱いやすい手駒が儂にはあるのだからの……)

 今回の丁原の小細工とは、つまるところ最近隆盛著しい董卓一派に対して首輪をつける事であった。
 并州刺史という役職の斡旋に加えて兵力の貸与、并州での過激な政策への目溢し、そして今回の州牧への昇進。
 これらはいずれも丁原の尽力なしにはなし得なかった事であり、それに対して董卓が恩義を感じるのは当然であり――それは即ち丁原に対して弱みがある事と同義でもある。
 そして今回の華雄の貸し出し。
 丁原の【切り札】には圧倒的に劣るものの、その単純な武力は音に聞こえたものである。
 その華雄を貸与という形で董卓の喉元におく事により、さらなる首輪とする……。これが丁原の考えた策であった。

「……まあ顔見知りなら都合がよかろう。――華雄よ、事前に話してあったように、お前は今後董卓の下で働くのだ。その武を以てして、しっかと働くのだ、よいな?」
「……はっ。ご命令、拝命いたします!」
「……うむ。まあそういう事だ。では、よろしく頼むぞ」

 しかし既に興味も失せたのか、丁原はそれまでの好待遇とは打って変わって、ぞんざいに手を振って帝辛に退出を促す。
 帝辛はそんな小物っぷりに内心で呆れつつも、それを表に出すような下手はせず、飽くまで礼儀に則って部屋を辞したのだった。



「………」
「………」
「「……やれやれ」」

 丁原の執務室を辞して暫くの間無言のまま歩いていた二人だったが、溜め息混じりに声を発したのはほぼ同時であった。

「お疲れのようですな」
「うん? まあな、やはりあのようなまどろっこしい会話は私は好かん」

 肩が凝ってかなわん、と首をぐきぐきと鳴らす姿は豪快の一言。先の戦闘で垣間見た戦い方も突撃主体の、良くも悪くも愚直なもの。
 なんとも大雑把ではあるが、しかし丁原とのまどろっこしい会話に辟易していた帝辛にとって、この華雄のさっぱりとした単純さは心地よいものに感じられた。

「おお、そんな事よりも仰聞!」
「は、なんでしょうか?」
「今日の戦闘の事だ! 貴公の援軍のお陰で、私は多くの部下を死なせずに済んだ。その事について、改めて礼を言わせてもらうぞ」
「……いえ。礼を言われるような事ではありませぬ。私はなすべき事をなしたまでです」
「うむ、だろうな。だが最近はそのなすべき事さえ満足に理解していない輩が増えている。しかし貴公はそれを理解し、そして実践する事ができたのだ。もっと胸を張ってもいいじゃないか!」

 そう言って華雄は呵々大笑、バシンと帝辛の背中を叩いて胸を張らせる。

「ごほっ!? けほっ、ふ、はははっ! ではそうさせて頂くとしましょう。ははははははっ」

 不意の事に一瞬胸を詰まらせたものの、つられて帝辛も笑い出す。
 その武勇、その豪快さ。なんとも気分のよくなる人物だと思っていたが、不意に腑に落ちたのだ。

(この華雄が纏い生み出す雰囲気、武成王のそれに似ているのだな……)

 ともなれば、余計に親しみも湧くというもので。

「将軍、宜しければ今後は私の事は帝辛とお呼び下さい」
「なに? 貴公、それは……」
「はい、私の真名となります」

 月たちと相談して、基本的に帝辛という名は真名扱いとしてなるべく伏せるようにしていたが、帝辛は華雄に対しては隠す必要はない、と会って間もないのにそう思っていた。
 交わした短い会話からも、彼女がそういった小細工を弄するような性格ではない事は明らかであったし、なにより。

「わかった。そのなんとも不敵な真名、しっかと預かったぞ」

 そう、こんなふうにからと笑う彼女が、そんな瑣末事をいちいち気になどしないだろうし、そんな彼女に隠し立てをしたいとは思えなかったのだ。

「そうか。私も真名を預けれればいいのだが、生憎私の名前は唯一無二、華雄というものしかないのだ」

 聞けば、別にどんな名であろうとも自分である事には変わらず、また堂々と掲げてこその己の「名」である、と思っての事らしい。豪快さ、ここに極まれりである。

「というわけで、貴公……いや帝辛も、将軍などと堅苦しい呼び方でなく、華雄と普通に呼んでくれ。敬語も不要だ。もちろん、場は弁えてもらう事もあるだろうがな」
「……では遠慮なく華雄と。これからよろしく頼む」

 官職の位階としては華雄の方が上位であるのだが、こう言った以上彼女がそれを気にする事はない。
 事実、受け入れてそう呼び捨てた帝辛に、華雄は気持ちのいい笑顔で応じたのだった。





「……どうしてこうなった?」

 場所は官軍の使用する練兵場。華雄と連れ立って徐栄や兵たちの待つ駐屯地に向かっていたはずの帝辛は、いつの間にか刃を潰した練習用の偃月刀を手に、同じく練習用の大斧を手にして喜色満面の華雄と対峙していた。

「うむ、確かに友誼は結んだが、武人が真に分かり合うにはやはりコレが手っ取り早いのでな! 早速一手仕合おうじゃあないか!」
「……騒がしさまで似ずともよいだろうに……」

 言葉こそは呆れた風だが、表情には喜色を浮かべ構えをとる。なんだかんだといっても、やはり帝辛も武人。戦う事が嫌いなはずもなく、またかつての武成王・黄飛虎との鍛錬を思い出して乗り気になったのも、後押ししていた。

「では……行くぞ帝辛!」
「来い! 千年ものの剣技、とくと味わうが良い!」

 先制は……華雄!
 彼女の本来の得物である巨大な戦斧【金剛爆斧】を模した大斧を大上段から豪快に撃ち下ろす!

「むっ!」

 華雄自身の膂力に加え、武器そのものの質量を最大限に生かした一撃は、迎え撃たんと振り上げた帝辛の偃月刀とぶつかり合うやいなや、ジリジリとそれを押し込み始める。
 重力を味方につけたこの一撃に無理に抗するは無謀と悟った帝辛は、籠めていた力を抜いて華雄の剛撃を受け流さんとする。

「ぬ、ぅううおおおりゃっ!!!」
「なんと!?」

 寸時体の泳ぎかけた華雄は、しかしそこから更に一歩踏み込む事で強引に体勢を立て直し、踏み込みの勢いを利して、密着状態からの切り上げを放つ!
 偃月刀ごと吹っ飛ばされた帝辛は、木の葉か何かのように宙を舞い……すとん、と撃ち込み用の木人の上に着地した。

「……ふん、浅かったかと思ったが、逆か。意趣返しとはいい趣味をしているじゃないか」
「それ以外にあれをどうしろというのだ」

 密着した状態から逃れず、逆に体ごと押し付ける事で、威力が乗り切る前に自ら接触し、押し出されるように放り投げられたのだ。
 もし一歩でも引いていれば、適切な助走距離を得た剛撃が、肋の骨ごと帝辛の意識を断ち切っていただろう。

「その身軽さ、身のこなしも大したものだが、なかなかどうして度胸もあるな!」
「師の教えが厳しかったのでな。……では今度は私の番だ」

 とん、と身軽に木人から降り……その勢いを殺さずに突進、そして柄をしごいての突き、突き、突き!
 そのいずれもが、かつて霞との鍛錬で見せた剣閃よりも、確実に速く正確に、そして重くなっていた。

 この世で再び歩み始めてから絶やさなかった鍛錬と、ここ暫くの実戦は、帝辛の武威に往年の輝きを取り戻させ、それ以上に王ではないというある種の身軽さが、自ら敵を切り伏せるという機会を増やしていた。
 敵の実力が大した事はなくとも、生々しい、まさに命の殺り取りの只中にある事は、強者との鍛錬に勝る事もあるのだ。

(技と速さは霞の方が一枚も二枚も上手だが……膂力はやや華雄が上回るか。しかしそれでも――)

 連続突きから、基本九種の剣撃を、時に石突をも使って様々に組み合わせて、力ではなく速さと手数、そして反撃に出んとする呼吸を上手く潰す事で、華雄を押し込めていく。

「ええい、まどろっこ……しい!」

 斧を盾になんとか帝辛の猛攻を凌ぐものの、もとより守勢は華雄の好むところではない。
 何とかして攻勢に出たいが、しかし先程のように踏み込もうにも、警戒されているのか、石突での攻撃が多用されていて隙がない。
 つけ込むとしたら、石突を使っているために、僅かながらも失われているリーチ、そこしかない。
 故に華雄はじっと、そして必死に好機を待つ。……待つ……待つ……待つ……。

(――ッ! 今だ!)

「っああっ!」
「むっ!?」

 間近で何度も何度も防ぎ続けた華雄だからこそわかった、ほんの僅かに大振りになった唐竹の一撃。それを無理矢理に受け流し、押しやるようにして円軌道を歪ませる。帝辛の斬撃は、最適な軌道を逸れ、華雄が待ち焦がれた離脱の好機がようやっと訪れた。

「ッ!」

 両の足に力を籠め、一足、二足で一気に間合いから逃れる華雄。素早く刃の起動を正した帝辛も、追いすがるように鋭い突きを放つ! が、しかし。

(――ッ! 間合いを抜け、た!)

 ほんの二、三寸ではあったが、研ぎ澄まされた華雄の感覚は、自身が確かに帝辛の間合いから抜け出した事を告げていた。
 ならば、今の帝辛は無防備そのもの――!

(――勝った!)

 そう確信し、華雄は戦斧を振り上げ――



「――焔消し」



 どすん、と重苦しい音を立て、それは大地に落下した。
 立っているのは――華雄! しかし帝辛も倒れてはいない。
 ならば先程、大地に轟音を立てて落ちたのは――華雄の戦斧であった。

「……馬鹿な」

 呆然と呟く華雄は、己の首筋に突きつけられた帝辛の偃月刀を見、赤く腫れ上がった己の両手を見、そして地面に転がる戦斧を見た。

「……予の勝ちだな、武成王」
「武成王?」
「む……いや、なんでもない。とにかく……私、の勝ちでよいな?」
「……悔しいが、得物もなく、この死に体ではな……。さっきのはなんの手品だ?」

 すぅ、と一歩下がって礼をし、負けを認めながら華雄が問う。

「私は確かにお前の間合いの外にまで退いたと思ったのだが……」
「……昔仕込まれた棒術の秘奥でな。つまりは遠当ての技だ」

 しれっと言ってのけた帝辛ではあるが、内心では以前と同等かそれ以上の練度に達した己の技に満足していた。
 今の一撃も、もし渾身の力で放っていたならば華雄の手は原型を留めていなかったはず。それをきちんと制御し、打ち据えて得物を弾くという使い方ができた事は大きな収穫であった。

「遠当てだと!? ……なるほど、私の斧を弾き飛ばしたのはそれか。道理で間合いを見誤るわけだな」

 対する華雄は驚きもひとしおである。
 あの時、確かに華雄は偃月刀の間合いからは逃れていたのだ。しかし帝辛は焔消しを用いて華雄を実質的な間合いの中に収め、その威力でして戦斧を彼女の手の内から弾いたのである。
 直接的な威力もさる事ながら、その間合いを操る事ができるというのは、戦闘において重要な意味を持つ。正に秘奥に相応しい技であるといえよう。

「……なんにせよ負けは負けだ。だが次はこうはいかんぞ? 私は最強だ、今破れても次には必ず勝つ!」
「ふ……その意気だ。だがまあ……次にじっくりやるなら并州に戻ってからだ」

 負けた悔しさはあれども、それを引きずらず、自分は最強だと吠える。たった今敗北を喫していながらの言葉ではないのかも知れないが、それでもその姿勢が帝辛には好ましい。

「そうだな……。私もどうせ仕えるなら、一廉の人物の下の方がいい。小難しい政治の事はよくわからんが……音に聞こえし并州の董仲穎の方ができた人間だという事はわかる。建陽も何進大将軍も、確かに力はあるが、それはただの権力で、暴力にすぎんからな。――要は、意志の力だ」

 それはつまり、先程彼女自身が吠えてみせたように。

「――まあ、実際のところは会ってみないとわからんがな」
「……もし眼鏡に適わなければ何とする?」
「まあ、大人しく建陽の命に従って、首輪の役目でも果たすだけだ」
「! ……隠しもしないか」

 丁原が華雄に命じた時の言い回しに、なにか含むものがあるように感じて鎌をかけてみたのだが、肩透かしを食らった気分である。

「裏でこそこそするのは、私は好かんからな」

 呆気にとられる帝辛を尻目に、しれっとそう言って見せる華雄は、本当に大物なのかも知れなかった。

 

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(c)Ryuya Kose 2005