- k a r e s a n s u i -

昏君†無双

 帝辛を保護した後。
 張遼は手近な所で陣を張っていた。張遼に出陣の命令を下した丁原から、そろそろ次の指令を携えた伝令がやってくる予定になっていたのである。

 その陣の片隅にある天幕に、帝辛は拘束されていた。
 拘束といっても、さほど厳重なものではない。身体検査の上で着替えをさせられ、武装した兵士が監視している程度である。身体検査の際も着替えの際も、抵抗のそぶりを全く見せず、唯々諾々と従っていたため、むしろ担当をした兵士の方が戸惑ったくらいである。

 ……同時に。帝辛の身体に刻まれた、その首と、右肩から左脇腹にかけてに残る、醜い大きな傷跡。貴人の身体には余りにそぐわぬソレも、兵士たちを大いに戸惑わせた。
 胴体の傷跡は、その大きさからしてまず十中八九致命傷となるだろうものである。恐らく長剣の類によるものだろう、とは居合わせた兵士の談で、張遼も同じ見解である。
 首のソレはなお不可思議だ。首を一周して回る傷跡は、まるで首を打たれたかのような。普通はあり得ない傷跡である。

 そして、多くの者は気付かなかったが。衰えながらも刻まれた、逞しかったろう筋骨の名残。張遼が一目見、また触れたなら、全盛期にはとんでもない武勇を誇っただろう、と舌を巻いた事だろう。

 しかし、それらも今の帝辛にとっては関係の、関心のない事。
 今は、まだ。



 張遼との問答で、帝辛が千百年以上もの時を越えて現れた、という真実が明らかになったが。
 張遼軍の多くの者にとっては、明らかになったのは帝辛という頭のおかしい老人を保護した、という事実だけである。
 とはいえ、それも無理のない事ではある。ぽっと出の老人が、自分は千年前の人間である、などと言い出しても、普通はそれを真に受けたりはしない。
 そして、多くの者が笑い飛ばした真実を、事実として気に掛けている者が一人。
 誰であろう、張遼その人である。

「あかんなぁ、どないしよ……」

 くぴりと杯を傾けながらも、その表情はあまりすっきりしたものではない。
 自身が生きていた――と主張する――時代から千年以上の時が過ぎ、殷も周も既に遠い歴史の彼方へと過ぎ去っていると知り。しかし帝辛は、僅かに一時の動揺を見せただけで、すぐに落ち着きを――否、無気力さを取り戻してしまった。

「ふつーアレやろ、そないな事知らされたら、笑い飛ばすとか断固否定するとか、もうちょい違う反応があるやろ」

 だというのに、帝辛が示したのは「……そうか」だけである。

「……なんやねんそれ。……なんやねんあの態度」

 ふつふつと湧き上がってくるのは、不満の念。
 下手に錯乱されたりするよりは、大人しくしていてくれる方がありがたいのだが。張遼には、帝辛の捨て鉢というか、自身を蔑ろにした態度が気に入らなかった。

「あ〜、あかんあかん。せっかくの酒が不味くなるわ」

 気を取り直してもう一杯。今度は個人的な感傷を抜きにして考える。
 ただの同姓同名ではなく、千年も前の人間本人であると言い放つ。普通に考えて、頭が可哀想な人……いってしまえば狂人の類である。
 であるが。

「ただのオカシイ人、とも思われへんし」

 何故ならそこには真実の感情が感じられたから。
 そして……王者の器、その片鱗とも残滓ともつかぬ何かを見出していたから。

 張遼は、自分の眼力に自信を持っている。そうでなければ、いかに武勇秀でるとはいえ女の身、こうもこの乱世で名を馳せる事は出来なかっただろうから。
 しかし、自分の眼力を信用するとなると、帝辛の言葉も同時に信用する事になるも同然である。

「常識を信じるか、ウチ自身を信じるか……。いつもならわかりきった二択なんやけどなぁ」

 どないしょどないしょ、と悩み考えつつも酒は進む。悩みを肴にして飲めるあたり、凄いんだか駄目なんだかよくわからない。



 そんな妙な一人酒宴に終焉を告げたのは、丁原からの伝令だった。

「張遼さま、建陽さまからの伝令です」
「ん、ようやくかい。ええよ、通しぃ」

 言うと、天幕に伝令兵が通される。一瞬酒の匂いに顔を顰めかけたが、そこはもう慣れてしまったのだろう、すぐに気を取り直して一礼した。

「こほん。失礼します。建陽さまよりの伝令です。目標の黄巾党を撃破し次第、一度洛陽に帰還せよとの事です」
「洛陽に? 并州には戻らんのか?」
「は。建陽さまは、并州刺史から騎都尉に昇進なされましたので、現在は洛陽におられます」
「は〜。そらめでたいやん。お祝い申し上げなあかんな。わかった、すぐに戻るわ。建陽さまにもそう伝えたってな」
「は、了解しました」

 一礼して去る伝令を見送って、張遼はぐいと最後の一杯を飲み干した。

「んっ……ぷっはあぁ〜! あ〜、建陽のおっさん、最近何進にべったりやな……。大方今回の昇進も何進の後押し受けたんやろな。なんやウチ、何進にはいい印象ないんやけど……しゃあないか。――誰かある!」
「はっ」

 呼び立ての声に素早く兵がやってくる。先程までのダレた気配は既になく、凛々しい驍将の振る舞いである。

「洛陽に向けて出立する! 隊を纏めぃ! 準備が出来次第出発するで!」
「はっ!」

 指示を飛ばし、自身も準備に取り掛かる。

(まあ……厄介事を考えるんは、腰落ち着けてからの方がええやんな、きっと)

 そんな事を考えながら。



 数日後。洛陽に戻った張遼を迎えたのは、丁原だけではなかった。その傍らには、どこか儚げな印象を覚える少女が控えていたのだ。
 肥え気味な身体で、どちらかといえば粗野な印象を与える丁原と、その少女との取り合わせは、どことなく……こう、犯罪の気配を感じさせた。

「おお、おお。来たか張遼。此度は大儀だったな」

 そういいながらからからと笑い、丁原は手招きをする。

「いえ、あんくらいわけないです。それより、そちらのお方は?」
「はは、目敏いな」
「(んなもんこれ見よがしに立たせてんのやから当然やろ……)」
「ん? 何か言ったか?」
「いえいえ、なーんも言うてまへん」
「そうか? まあよい。これは董卓といってな。儂の後任で并州の刺史になった者じゃ。ほれ、挨拶せい」

 言って、丁原はぐいと少女――董卓の背を押して前に押し出す。ふらつきながら張遼の前に出た……というか出された董卓は、「あ、う」とわたわたと面白いくらいに動揺している。

「うあっ……。え、と。わたし、建陽さまにご推挙いただいて、并州の刺史になりました。姓は董、名は卓、字は仲穎……です」
「これは丁寧におおきに。ウチは建陽さまに仕えとる者で、姓は張、名は遼、字は文遠いいます。よろしゅうな」

 なんや怯えとる子犬みたいで可愛いなあ、とは張遼の内心。猫っぽいところのある張遼にとって、これは高得点である。にまぁ、と内心笑みを浮かべた事に気付いたわけでは、多分きっと恐らくないのだろうが、董卓はフルフルと震えていた。
 その震えを緊張ととったのだろう、丁原は肥えた身体を揺らしながらまた笑う。

「ははは、これは見てのとおり自己主張が薄くてな。背を押してやらんと、なかなか前に出れんのだよ。気の強い副官がよく補佐しとるようだが、お前のような気風の者がついてやると、なおいいだろう。よくしてやってくれ」
「はあ。そらええですけど。何でまた急に?」

 張遼の問いに、丁原はうむ、と一言唸って表情を引き締める……のだが、物理的には全然締まっていない。具体的には、肉が、こう、たるんでるままだった。それこそ、締まらない。

(いや、いやいや、あかんで。笑ったらあかん)

 口許がヒクつくのを必死に抑えながら、丁原の話を聞く。

「最近、黄巾党なる賊どもが増えているのは周知の事実だが……その勢力は見過ごせないところまで増大してきておる。何進大将軍も憂慮しておられた」
(いや、気付くの遅いっちゅーに)

 実際、既に官軍では対処できないところまで事態は拡大してしまっているのだから、遅きに失した観は否めない。

「儂の地元である并州も、黄巾党出没の報が出始めておる。并州は儂の権力の基盤だ、何とか守護しておきたいのだが、儂は既に并州刺史の職を離れておる。そこで、後任である董仲穎殿にはぜひとも奮戦してもらいたく……」
「ウチが力を貸したれ、ちゅーこっちゃね」
「うむ、そういう事だ」

 では儂は何進大将軍と話があるので、と言い残し。丁原はそそくさと去っていった。
 その後姿を見送って……はあ、と張遼は溜息をついた。

「あ〜、あのおっさん最近がっつき過ぎやな。董卓ちゃんも大変やったやろ?」
「えっ?」
「建陽のやつ、ちょおっとばかり品が足りひんからなあ、しんどかったんとちゃう?」

 張遼の持ち味は三つばかりあるだろう。
 一つ、神速の進軍。一つ、これまた神速を誇る武芸。そして一つ、人懐っこくて姉御肌、人好きのする性格がなせるのか、相手の警戒心を薄める事が出来るのだ。言うなれば……神速の打ち解け?
 裏に含ませるもののない、その率直な接し方が、薄皮一枚下にどろっどろの策謀を隠した洛陽の妖怪爺たちとばかり接していた董卓には、酷く清涼に感じられて。心地よさに董卓もふわりと表情を緩めた。

「ふふっ……。お気遣いありがとうございます。ちょっと、圧倒されちゃいましたけど、大丈夫です」
「そか。まあ悪党っちゅーか、小悪党やからな。そこまで害はないやっちゃで?」
「え、そ、そんな事言ったら……」
「だーいじょうぶやって。あのおっさん、あんな身体して昇進とか金目の話が絡むと素早いんや。もうとっくに何進のトコいっとるって。聞こえへん聞こえへん♪」
「そ、そういう問題ですか……?」
「そういうコトにしとき」
「……ふふふっ。はい、そういう事にしておきます」

 出世欲旺盛な丁原と縁があったせいで、董卓の人脈はそれなりに広い。広いが、それぞれの人間的な深みはほとんどない。利権と駆け引きに基づくものがほとんどだ。生来の性格的に、そういった世界にはあまり馴染まない董卓にとって、それは苦しさを伴うものだったろう。
 そんな彼女にとって、この張遼との出会いは、幸福なものであっただろう。

 事実、張遼は今後長く董卓を支えていく両翼の、その一方を担う事となる。



 張遼との顔合わせが終わったあと。董卓は張遼を自室へと招いていた。

 トップ同士の間に友好関係が結ばれたとはいえ、実務レベルではまだ何の接触もないのだから、お互いの保有する兵数、装備、糧秣、情報その他諸々、交換し合わなければならないものは数多い。
 加えて董卓は并州刺史に就任したばかりであり、基盤がしっかりしているとはとても言えない状況なのだ。資金や人材、情報が増えても使いこなせなければ意味がない。

 なので、それらの要素を正に使いこなせるだろう重要な人物を含めて、情報交換を行おう、というわけなのだが。
 董卓にとっては、むしろその人物を紹介する方が重要だろう。途中で厨房に寄ってお茶の用意をしているところからもそれが伺える。



 洛陽宮中にある宛がわれた一室の前まで張遼を案内した董卓は、ここで少し申し訳なさそうな顔をした。

「あの……張遼さん。申し訳ありませんけど、ここで少し待っていてもらえますか?」
「ん? 別にかまへんけど?」
「すみません。ちょっと、散らかっちゃってると思いますし、お持て成しの準備もしたいから……」
「ん〜、別に気ぃつかわんでもええんやけど……。せっかくやから、ありがたくもてなされますか」
「はいっ、ありがとうございます」

 お礼を言うんはウチの方なんやけどなー、と内心思う張遼に嬉しげに微笑みかけて、董卓はいそいそと部屋の戸を叩く。

「詠ちゃん、わたし。いま大丈夫?」

 おや? と董卓の発言が張遼の意識に引っかかる。
 董卓とのまだ少ない接触からでも、彼女が極端に気の弱い性格をしているのは張遼にも理解できていた。その彼女が、なんの気負いもなく……むしろ嬉しげに声を掛ける。よほど信頼している相手なのだろう。

『月? 建陽の用事は終わったの?』

 董卓の声に答える、扉越しのややくぐもって聞こえる少女の声。凛とした、意思の通った声だった。

「うん、取り敢えずね。入るよ?」

 そう告げて董卓は室内へ。
 常ならば、質素でありながらも清楚、部屋の主たる董卓に似た様相のはずの室内は、どこか刺々しい空気が充満していた。
 その発生源と思しきところは、書簡が山と積まれた机である。過去の使用者たちの書類仕事への怨念が篭っているのか、というとさにあらず。真の発生源は、その書簡山脈に囲まれた向こう側で書簡を処理し続けていた少女であった。

「お疲れさま。狒々爺どもの相手と建陽からの助っ人との顔合わせで、疲れてるところ悪いんだけど、月もちょっと手伝ってくれない? あの男、こっちが引継ぎとかで忙しい時期にねじ込んできて……忌々しいったらないわよ、まったく」

 書簡から視線を外さずに声をかける少女。うずたかく積まれた書簡に比例して、丁原への恨みもつのっているのだろう、書類をやっつける手こそ止まらないが、微妙に少女の周囲は空気が澱んでいるようだった。
 実際に、換気もせずに缶詰状態だったのだろう。室内の篭った空気に気付いた董卓は、窓を開けながら諭すように話しかける。

「もう……詠ちゃん、根詰めすぎだよ。これからっていう時に無理しすぎて倒れちゃったら大変だよ?」

 詠、と呼ばれた少女は、董卓の言葉に目を剥いて反論する。

「何言ってるのよ! 今のうちに少しでも片付けておかないと助っ人の……張文遠だったかしら? ソイツとの打ち合わせとかでまた書簡が増えちゃうんだから! それに、あの小悪党の建陽の部下よ? どんな性悪だか知れたものじゃないわ。無理難題を押し付けられて身動きが取れなくなったら、月を守る手が足りなくなるかもしれないもの! だから今のうちにやっつけとかなきゃいけないのよ」

(……その本人が聞いとるんやけどなぁ。まあ完全には否定できひんけど)

 酷い言われようだが、張遼はそれを咎める気はしなかった。
 董卓は、率直に言って美少女である。それも枕詞に「薄幸の」とかがついてしまいそうな。
 気弱で線も細く、しかしとても美しい可憐な花。
 そんなものが、前後あわせて四百有余年の腐敗が渦巻く漢王朝宮中にあればどうなるか。

 ――手折られて食い物にされてしまう可能性は、高いと言わざるを得ない。それを恐れるが故、と考えれば、まあ妥当な反応といえる。

「董卓ちゃんを守るため、一生懸命なんやなぁ。ん〜、ええ娘やっ」

 扉に耳を押し当てて盗み聞きをしながらほろりと涙ぐむ張遼。傍目にかなり怪しい格好なのだが気にしない。近くを通りすがった女官が怪訝な眼で見ていても気にしない。

「あ、あの……文遠さま? なにを――」
「シッ、静かにしい、今いいトコなんやから!」
「は、はあ?」
「あーもうっ、ええから気にせんときっ」
「はあ……」

「なんか騒がしいわね……。とにかく、油断は禁物! 多少の無茶は仕方がないのよ」
「……うん。書簡の事はそのとおりだと思うよ。でも、張遼さんはそんな酷い人じゃなかったよ? ううん、むしろとっても素敵で格好いい人だった」
「へえ……?」

 少女がやや眼を丸くして驚きの声を漏らす。普段が釣り眼がちなだけに、その変化は大きく見える。もっとも、張遼からは見えていないのだが。

「月が初対面の人にそんな風に言うなんてね。珍しいじゃない」

 意外そうな声。やはり常日頃の董卓を知る少女からしてみても、あまり考えられない行動なのだ。
 そして、董卓自身もそれを自覚しているのだろう、はにかみながら、こくりと首肯する。

「そう……だね。わたしも自分で、ちょっと驚いてる」

 でも、と言葉を切って。

「……きっとそんな安い嫌がらせとかはしてこないと思うの。だから、そこまで根詰めなくても大丈夫。ほら、お茶淹れる用意もしてあるから、一休みしよう?」
「……ふう。月がそこまでいうなら……まあ、警戒し過ぎるのはやめておくわ。それに、董仲穎さま手ずからお茶を淹れて下さるなら、断る方が失礼よね? そういう事なら、ちょっと一休みにしますか」

 若干苦笑混じりに少女は筆を置く。一々理由をつける辺り、しっかりした責任感を持っているのがわかる。

「ふふ、詠ちゃんったら、そんな言い訳しなくてもいいのに」
「う、うるさいわね。いいじゃないの、けじめよ、けじめ」

 照れ隠しの声を微笑みながら聞いて、董卓はお茶の準備をする。
 女官たちにその辺りを任せる事の多い立場のある人間にしては、なかなか堂に入った手つきである。鼻歌交じりで、董卓はご機嫌だ。それを温かい視線で見守る少女も、また。

 そして手際よく淹れられたお茶とお茶請けは、三人分。当然少女はそれを疑問に思う。

「あら? 月、一人分多いわよ?」
「ううん、これでいいの」
「?」

 そういって、怪訝な顔の少女に微笑み一つ残し、とてとてと入り口まで歩いていって。

「お待たせしました、張遼さん。どうぞ」
「……へ?」
「ど〜も、お邪魔するで〜」

 董卓は張遼を招き入れた。

「……え? ……え?」

 困惑する少女を置き去りに、張遼は董卓の隣に立つ。

「ウチが話題の張文遠や。あ、名は遼や。そっちには話通っとったみたいやから、知ってるんやろうけど、一応な。よろしゅうに」
「え? ……ああ……。姓は賈、名は駆、字は文和よ。よろしく……」

 張遼はにかっ、と笑って少女――賈駆の手をとり握手をする。賈駆はされるがまま、ぽかんと口を開けている。反射的に自己紹介を返したものの、どうやらまだ思考停止状態にあるらしい。
 そして張遼はそんな賈駆の再起動を待つつもりはないらしく、董卓の方に質問をぶつけ始める。

「ん〜、建陽のおっさんが言っとった優秀な副官っちゅーのは、文和殿の事やったんやなぁ。ずいぶん仲よさげやったけど、もう知り合って長いん?」
「はい……わたしと詠ちゃんは幼馴染だったんです。引っ込み思案のわたしをいっつも守ってくれる、大切なお友達……。それに、文官としても軍師としても優秀なんですよ。こんな素敵な友達がいるのが、私の自慢です」

 そう誇らしげに語る姿は、本当に嬉しげで、そして堂々として見えた。

「そか。董卓ちゃん、ほんまに文和殿の事が好きなんやなぁ」
「はいっ」
「……はっ!? ち、ちょっとあなた、人が呆けてるのをいい事に好き勝手言ってるんじゃないわよっ」
「あ、起きた」

 再起動した賈駆の顔は、董卓の率直な親愛の言葉と、初対面の相手に見せてしまった醜態で赤く染まっている。

「ふふっ、詠ちゃん顔真っ赤だよ?」
「せやせや。いやぁ、きっつい堅物や思っとったけど、なんやずいぶん可愛らしいんやなぁ」
「な、な、なぁーーーッ!?」

 顔を真っ赤にして口をパクパク。見事なくらいの動揺っぷりである。

「わあ……。詠ちゃんがこんなに取り乱すの、初めてかも」
「そーなんか? そらええもん見せてもろたわ♪ ……せやけどそろそろ顔の血管が心配やな。ほい、文和殿、お茶でも飲んで落ち着きい」
「――ッ、そ、そうね、ありがとう……ってあんたが動揺の原因でしょうが!」

 思わず受け取ってしまった湯飲みを机に叩きつける賈駆。見事なノリ突っ込みである。
 董卓も董卓で、茶器に被害が及ばないようにお盆ごと持ち上げて避難させてる辺り、なかなかしっかりしている。

「全く……」

 溜息を吐いてお茶を一啜り。ほう……というか、はあ、とやけに重たい溜息である。

「……誰かさんのお陰で、染み入るほどに美味しいわ……」
「いやあ、照れるわあ」
「褒めてないわよ……」

 ぐたり、と机に上半身を突っ伏す。さっきまでの事務仕事とは比べ物にならないほどの疲労具合である。一息入れるための時間だったはずなのに、微妙に不憫だ。

「はあ……。なんだかすっかり毒気抜かれちゃったわ。月の事もこうやって篭絡したのかしか? まさか月がこんなにあっさり打ち解けて、しかも自室に招くほどになってるだなんて思いもしなかったわ」

 前述のとおり、賈駆と董卓の付き合いは長い。そしてその長い付き合いの中で、賈駆は董卓の内罰的で気の弱いところを何度も目にしてきた。それが賈駆に、董卓は自分が守らなければ、と思わせたわけである。
 いつも自分が他者との間に立ってきただけに、今回の事は不意打ちもいいところだったのだ。 

「ん〜? そらまあ董卓ちゃんは可愛いからなあ、仲よぉなりたかったんや♪」
「あら、文遠殿は女色のケでもあるのかしら。それならちょっと考えなきゃならないわね」

 張遼の言葉を聞いて、さっきまで散々おもちゃにされた賈駆の眼鏡がキランと輝く。ここは危険発言に付け込んで一矢報いる心算だった。

「いやいや、文和殿……賈駆っちもめっちゃ可愛かったで? なんや董卓ちゃんっちゅう仔犬を守ろうとする小型犬のお母さんみたいやったし。もお愛らしいわぁ〜♪」
「きゃあっ!? ちょ、ちょっと止めなさいよっ!?」

 だがしかし。そこは相手を可愛がるというか翻弄する事に於いては一流の張遼。賈駆のからかいもなんのその、満面の笑みでかいぐりかいぐりと賈駆の頭を撫で回し始めた。賈駆の抗議の声も気にしない。撫でて撫でてムツゴ○ウさんの如く撫でくり回す。

「ふふふっ、詠ちゃん可愛いっ」
「ちょ、ちょっと月! 笑ってないで助けてよーっ!?」

 賈駆の情けない悲鳴が、ころころと笑う董卓の笑い声をつんざいて響いた。



「うう……髪がぐちゃぐちゃに……」

 しこたま賈駆を可愛がった張遼が満足したのは、賈駆の髪の毛がいっそかわいそうなくらいぐちゃぐちゃになった頃だった。今は董卓が手ずから櫛で整えてやっているところである。

「いやあ、すまんすまん。ついつい熱中し過ぎてもうたわ」
「反省してるようには全く見えないわね……」

 賈駆の恨めしげな視線もなんのその。ナハハとお気楽そうに笑う張遼に、毒気を完全に抜かれてしまったのだろう。賈駆は大きく溜息を吐き……ふっ、と表情を緩めた。

「……詠、よ」
「ん?」
「さっきから耳にしてるでしょうけど、ボクの真名」
「詠ちゃん……」

 董卓の顔に笑みが花咲く。
 董卓としては、張遼に真名を預ける事に既に否はなかった。ただ、賈駆の気持ちが気がかりだったのだ。自分の事をいつも気にして守ってくれている、それを抜きにしても無二の親友である賈駆。
 もしも自分が真名を預ける人が出来た時は、二人一緒に預けたい。そんな願いを抱いていた。
 それが期せずして、賈駆の方から切り出してくれた。その事が嬉しかったのだ。

「よかった。私、張遼さんに真名を預ける時は、詠ちゃんと一緒がいいって思ってたから。えっと、私の真名は、月っていいます。……張遼さん、私たちの真名、預かってくれますか?」

 董卓の言葉に、僅かに瞳を大きくして。しかし想定の範囲内だったのだろう、賈駆は董卓と視線を交わし、頷きあっただけだった。

「あー、一応聞くけど、ええんか?」
「なによ、さっきまで頼んだって遠慮なんかしてくれなかったくせに。こんな時に限って遠慮するのかしら?」
「ふふ、そうですよ。私の大事な詠ちゃんをいじめた責任、とってもらわないと」

 じとっとした賈駆の視線と、どこか悪戯っぽい董卓の視線。
 真名の交換というある意味神聖な場になっては、さすがの張遼も態度はともかく、失礼な対応をするわけにはいかない。じっ、と賈駆の、そして董卓の視線を真っ向から見つめ返す。
 答えは、最初から決まっていた。

「……せやね。一つ条件があるんやけど、それを受けてくれるんならありがたく預からせてもらうわ」
「条件?」
「そうや。なに、難しいもんやあらへん。ただ単に、霞っちゅうウチの真名を預かってもらえばいいだけや」

 ニッ、と笑う張遼。意味を理解した董卓、賈駆の二人も少しの間の後に笑い返す。

「受け入れてもらえたみたいやな。ほな、これからよろしく頼むで、月、詠」
「うん。よろしくね、霞さん」
「頼りにするわよ、霞」
「おおともさっ」



 こうして、この外史における、運命の三人は出会ったのだった。

 

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