- k a r e s a n s u i -

- 人妖小噺 其之三 -

 さて、場所は更に変わって遥季の部屋。文明の利器への理解は、流石にある程度持っているようで、テレビや車などという比較的古くからある物にはさして興味は示さなかった。とは言え未知の物は多々あるようで。
「ね〜、はる〜。これってどんな飲み物〜?」
「え? ああそれは炭酸だから――」
「ひきょっ!? げほげほげほっ」
 ……とまあ見ただけではわからない物に対して果敢に挑戦していくのは葛の芽。
「……答え聞いてから飲みなさいよ……。……ぺろ。……〜っ」
 冷静を装って、おっかなびっくり臆病なほど慎重なのは御先(みさき)。性格が如実に現れているその様に、遥季はくすりと笑みを浮かべる。
「うわ〜、これ凄い……泡が出てて甘いんだけど辛いような痺れるような……でもおいしいかも」
「ん……果物よりずっと甘い……」
「そうだね、合成甘味料だから……」
「ごーせい?」
「あ、え〜と、なんていうのかな……。人工的に作り出した甘味なんだよね」
「……よくわからない」
「う……ぼくも詳しくは知らないけど……」
 考えてみれば人の世界には仕組みも何もよく知らない物が氾濫している。そんな未知の中でのうのうと暮らしている事を思えば、彼女等の様に何物へも好奇心を忘れぬ在り方というのは、魅力的に映るのであった。
 現に二人は今も興味の赴くままに視線をふらり、首をかくりと忙しい。
「ね〜、この小さな円盤なに〜?」
 と、今度はCDを摘まんで翳して右左、撥ねる光に興味津々、躍る心は尻尾を揺らす。そうかと思えば御先の方は顔を顰めて左右、光を逃れるかの如く。
「……これ、見た事ある。……烏除けの道具? 私の事、嫌い……?」
「え、ええっ? はる、烏嫌いなのぉ?」
「え? いやそんな事はないけど――あ」
 上目づかいの不安げな御先にどきり、素っ頓狂な葛の芽にびくり。これには遥季も戸惑って、けれども成る程CDがごみ集積所などにぶら下げられているのに思い当たる。
「えっと、論より証拠、ちょっと待ってて」
 言うが早いか電光石火、葛の芽からCDを受け取りコンポで再生。流れる調べは明るく軽く、御先の表情も連れて和らぐ。
「うわぁ……すごい……」
「これはCDって言って、元々は音楽を聴くための物なんだ」
「ふ〜ん、じゃあ、レコードみたいな物なんだね」
「あ、レコードはわかるんだ。まあ、そういう事。だから、別に烏が嫌いなわけでも、勿論御先が嫌いなわけでもないから」
 だから安心していい、とばかりに笑みを向ければ、頬を染めて俯いて。
「じょ……冗談、だったもの……」
 ぽつり呟き、今度は遥季が紅くなる。
 
その後といえば、その照れ隠しの言葉は結局葛の芽にからかわれ、益々顔を赤らめる結果に相成った。

 
さて、時は刻々日も暮れかけて、黄昏時が迫る頃。まだ茜射す空にゆらり雲が漂い、烏の鳴き声がどこか寂しく響いている。
「烏が鳴くから帰りましょ、か……」
「? はる、なにそれ」
 何気なく口ずさんだ一節に、耳をピコピコさせて遥季のベッドに寝転がり丸くなっていた葛の芽が問う。
「ん? ああ、なんて言うのかな。童謡なのかな、そんな唄があるんだ」
「ふ〜ん……なんだか面白いねぇ。御先が泣くから帰りましょ〜、ってね」
「……私、泣かないもの」
 軽くからかわれて頬をぷくり。けれども悪い気はしないらしく口元には仄かに笑み。仲睦まじいその様に、久しく覚えなかった暖かさを覚え、その喜びは笑みとなって溢れ出る。
「あはは、でも、遊びに出ていた子供達に帰る時間を教えてあげてるんだから、お姉さんっぽくていいんじゃない?」
「はる……。ほら、はるはわかってる……。葛芽(かずめ)はわかってない」
「そういうところが子供っぽいんだよ〜」
 そして三人で笑いあう。じゃれあうような笑い声は窓を抜けて茜へと溶けてゆく。暮れなずむ町を行く人がそれを耳にすれば、微笑ましいなと感じるであろう。
共に過ごした時は短く、交わした言葉も然程ではない。けれども既に傍から見聞けば、長い時を重ねた友と見紛わんばかり。
 友に飢えたる人の子と、人に焦がれた物の怪と。互いに幼い事も後押したか、その渇望の前には異種の壁など取るに足らず。ならば三者は既に友達であった。

「……さて、はるからいい事聞いたし、そろそろ帰ろっか?」
「……もう? まだもうちょっと……」
「駄々こねないの〜」
 姉貴風吹かせたるはここへ来て葛の芽。比較してまだぎこちないかと気を揉んでいた御先が別れを惜しむ。その事が尚更に嬉しく思え、ついつい引き止めたくもなる、がしかし。
「大丈夫だって。また明日も会えるから」
「そうだよぉ。友達だから、またねをしたら、また明日、だよ」
 
――友であるから今日は別れてまた明日。なにも特別な事ではない、ありふれた友人同士の別れの言葉。
 
寸時きょとんとしたものの、御先も遅れて照れ笑い。我が意を得たりと葛の芽も頷き遥季もまた笑みを浮かべ。
「……うん、そうだよね。烏が鳴くからまた明日、だね」


 それは稀有な出会いが齎した、何の変哲もない、されど大切な友情の生まれた日。旧き日の人と森との繋がりが、今のこの世に甦る。


 
十の歳を重ねた青年遥季が野を行き山を往く今日の日まで連綿と続く回想録は、未だ終わらず語られず。
けれども一先ず始まりの日の昔語りはこれにて閉幕。続きを物語るは、次の機会に。
戻る
(c)Ryuya Kose 2005