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- 人妖小噺 其之一 -

 街を離れ山深く、樹々蒼々と茂る深林の中。一人の青年が茂みを掻き分け掻き分け歩いていた。人一人入れんばかりのリュックを背負い、頭にバンダナ腰に鉈、身体隈なく擦傷だらけの風貌は、人が見ればすわ遭難者かと見紛わんばかり。
ところが精悍な青年の顔には疲れこそ垣間見えれど、不安や絶望といったものは微塵も見受けられぬ。寧ろ子供が未知の世界に胸躍らせるかのような、期待と高揚がありありと浮かんでいる。
 
何故このような山奥にこのような若者がいるのかと言えば、それは彼の幼少期の体験に起因する。


 
彼の生家は、今彼がいる山から車で半日下った所にある。田舎といえば田舎だが、交通の便が悪いわけでもないので、まあそれなりの町である。町中からは緑が消えておらず、昨今巷で問題となっている猪や狸も現れんでもないが、畑を荒らしごみを漁るといった事は滅多になく、どちらかといえば上手い具合に里と森とが同化した空間となっていた。
 
人と森とが近い。
 ならば意識が向くのは道理であり、青年が少年であった頃、森はまさに秘密と不思議を抱えた宝物庫であった。
 
――さて、ここで御一考。
 身近に好奇心をそそられるモノが在ればそれに興味を抱くのは道理。現に、人は子供は、森や山に興味を抱いた。
 
――ならば逆はどうであろうか?
 世には数多の奇妙不可思議が存在するが、人間ほど奇妙で不可解なものはそう在るまい。
 森に住まう者が、その奇怪な「人」を知ろうと下界に下りて来た……。浪漫チズムと笑わば笑え、知は人のみの物に非ず。獣が人を学ばんとするわけがない、と断じる方が発想が固かろう。
 兎にも角にも人がどう思おうとも、この地に於いては獣がやって来るのは、まあそういう理由であったわけである。
 
 そしてまあ、その下りて来たモノの中に、人とも獣とも、あまつさえイキモノともつかぬナニカが混じっていたとしても、そこは八百万の神がおわす国、それほどおかしい事でもない……と、枉げて納得されたし。


 さてさて話が外れたが、青年が少年であった頃、彼の家には座敷童子がいた。座敷童子と言っても、偶々自宅にナニカがいる事に気付いた少年が、少ない知識の中から似たような存在を表す言葉を引っ張り出して差し当たって当て嵌めただけである。実際、時折廊下に狐の足跡が一つだけ残っていたり鳥の羽が少年の机の上にこれ見よがしに置いてあったりと、座敷童子というよりは物の怪といったところであったろう。
 まあ真実がどうあれ少年にとってソレらが座敷童子であった事は事実。そして座敷童子であるならば、数々の悪戯をしていくものである。
 寝ている時に不意にべろりと顔を舐められたり、机に向かい渋々勉強をしている時にふわりと首筋を羽で撫ぜられたり、お金を拾ったかと思えば木の葉であったり。悪さというにはどうにも他愛なく、少年はその都度ああまたやられたな、と悔しさ一割嬉しさ九割の気持ちを抱いたのである。
ところがどうして、少年の家には両親も住んでいたのだが、悪戯を受けるのはいつも少年ばかり。それどころか両親は家の中に何か別のモノがいる、という事にさえ気付いていない様子。少年が気配に気付いて辺りを見回すのを、いつも不思議そうに眺めていたものである。
 
 さて、そんなある日の事。
 両親は不在にして家には少年一人。こんな時には決まって彼らが姿は見せねど現れる。居間のソファに座って耳を欹てていた少年は、ほら見ろとばかりにしたしたという足音を耳にしてくすりと笑った。
さて、この足音だとどうやら今日は狐の方が来たのかな、と考えていた少年はそこではたと気付く。先程足音がした方とはまた違う方から、どうやら僅かに風が流れてきているのである。今まで隙間風などなかったこの家に、どうしてまた風が流れるのか、と思っていた少年は、どうもその風に一定のリズムがある事に気付く。
さてこれは一体どうした事か。慎重に視線を巡らせてみて、少年はどきりとした。食器棚のガラス戸や窓ガラス、壁に掛けられた鏡などが上手い具合に光を運び、少年の目は二階への階段の踊り場から黒っぽい影がちらりちらりと覗いているのを捉えたのである。
これには少年も驚いた。何せ今まで気配や痕跡はあれどその姿を一切見せなかった座敷童子のその姿を、ほんの一部なれどその目に捉えたのだから。高鳴る胸の鼓動と期待を抑え、一体どうしようかと考え込む。下手に騒いだら驚いて逃げてしまうかも知れない、いやいやここは自分から会いに行く方が、いやいや、いやいや。
あれこれ考えているうちに、したしたという足音もちらりと覗く影も、悩んでいるかじれったいのか、そわそわし始めた。
そこで少年は思い至る。
ああそうか、初対面だから恥ずかしいのだ、と。今まで悪戯をしていたのも、ひょっとしたら彼らなりの不器用なコミュニケーションだったのかも知れぬ。
そこで少年は自身を省みる。彼は生まれつきそういった見えない「ナニカ」を見る事に長けていた。幼い頃から何もない道端に向けてねえ猫君、怪我して痛そうだね、そっちの蛇君は虐められたんだねとやっていたのもだから、周りの人は気味悪げに奇異の視線を向けてくる。当然同年代の子供達からは敬遠され、少年は寂しい思いをしたのである。そして友達になろうと声を掛けるか掛けまいか、色々悩んだ過去があったのである。
さて、そういった事があったので、少年は「最初の一歩」の難しさをよく知っていた。きっと彼らも同じ様に、どう切り出していいものかわからないのだろうなぁと考えて、ならばとばかりに彼は一計を案じた。一計と言ってもごく単純。要は切っ掛けを作ってやればいいだけの話。
さて、わくわくしてきたなと。少年は逸る心を抑えて行動を開始する。

「あ〜あ……」
 びくり、と二つの気配が緊張するのを感じながら、少年はソファにごろりと横になる。
「退屈だなぁ〜……。父さんも母さんも、今日は帰るの晩いって言ってたし、どうしようかなぁ〜」
 今迄から推察するに、彼らは大人に警戒心を抱いているようであった。ついさっきまであった気配が、父母どちらかでも近付いてくるとさっといなくなる。そんな事が幾度もあった。
自分だって大人よりも子供の方が取っ付きやすいと考えて、まずは両親がしばらくは不在である事をさり気なくアピールするのである。果たして、気配は増してそわそわと落ち着きない。
さて、後もう一押し。
「やる事もないし……ちょっとだけ昼寝でもしよ〜っと」
 言うが早いか、クッションを枕にしてうつ伏せに。いつも悪戯をしてくる時と同じ条件を整えてやる。後は狸寝入りを決め込んで、いつもと同じ様に悪戯してくるのを待てばいい。

 さて、狸に化けて五分ほど。今か今かと待つ少年の耳が、そろりそろりと近付いてくる衣擦れの音を捉える。さらにはひそひそという内緒話。どうやら、二人とも居間まで入って来たらしい。さて、これからどうするのかと待ち受けてみる……が、それから更に五分、どうにも踏ん切りがつかぬと見える。
 さて、これでは蛇の生殺し、何とかせねばと考えて、再び行動を起こそうと決意する。
 ――が、どうやらそれは向こうも同じであった様子。
「うぅ……ん」
「「!」」
 寝ているぞ、寝ているから安心していいぞ、とばかりに少年は軽く唸り声を上げたが、どうやら同じタイミングで行動を起こそうとしていた彼らは至極驚いた様子。パニック状態に陥ったか、じたばたという物音が聞こえてきて――

「「え……、えいっ!」」
 という掛け声二つ。
 次の瞬間、どしんという衝撃と共に少年の背中に彼らは飛び掛ったのである。
 うわぁ、という声を上げる間も無く。哀れ少年は彼らの下敷きと相成った。
「ぐぇ……。い、痛いじゃないかぁっ」
 思わず抗議の声を上げ、しまったと思ったが時既に遅く。二つの気配はこれ異常ないというくらいに緊張して――

「「ご、ごめんなさぁいっ!!」」
 ……見事なまでの土下座を見せた。
「って、ああご、ごめんっ! 怒ってない、怒ってないから顔を上げてっ」
 逃げられてしまわなかった事に安堵しつつ、少年は慌てて声を掛ける。
 ……と。そこで少年ははたと気付く。目の前でひれ伏す二人の座敷童子のその片方。その背中には……。
「……羽?」
 そして、もう片方の頭と腰というか臀部というかには。
「……狐の耳、と……尻尾?」

「「……あ、あのぉ……ほ、ほんとに怒って、ないですか……?」」
 恐る恐る面を上げるケモノ座敷童子の言葉も耳に入らず。少年は予想の斜め上を行く事態に、暫し頭を白くしていた。
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(c)Ryuya Kose 2005