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永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜



「――?」

 真っ先にそれに気付いたのは、機動突撃分隊のメルシアードだった。
 エドネスが逃げ切りの態勢に入り、悠人がレスティーナに通信を行ってから三日。それまでじりじりとしか進めずにいたラキオス軍に動きがあった。

「炊煙……というわけではなさそうですわね」

 もくもくと立ち上る幾条もの煙。いくらラキオス軍が監視されている事を自覚しているだろうとは言え、こうもあからさまに炊煙を立てるというのは、考えにくい。

「……正しくきな臭い、ですわね」
「ラキオス、動く?」
「の、ようですわね。問題はどう動くかですけれど……」
「……見てくる?」
「……お願いいたしますわ」
「ん」

 エドネス隊最速にして、気配遮断も得意なイズラが、するするとラキオス軍の陣へと接近する。これまで幾度もこうして接近し、襲撃の基点となってきたイズラ。今回も見つかる事なく接近を果たし――ソレを目にした。

「――!」

 陽が出ているのに轟々と燃え盛る幾つもの篝火と、それらに囲まれて、その身にマナをうねらせているレッドスピリット……! 祭壇もないのにこれほど赤の属性が強まっているとは――そのための篝火か、と思い当たる。
 あまり真っ当な方法ではないが故に効率は悪そうだが、
 しかし、と状況をメルシアードに神剣通信で伝えながら思考する。こんなところで大魔力を練って、一体どうするのか?

「とにかく知らせないと――ッ!?」
 
 ――右腕では間に合わない。瞬時の判断で左手で左腰の神剣を逆手で抜き、神速の居合いを……なんなく防御する。

「?」

 ちら、と疑問が頭をよぎるも、さておいて。防御時の体勢の不味さと体重差で数メートル吹き飛ばされながら、イズラは体勢を整える。

「……ウルカ」

 吹き飛ばされつつ相手を確認し、顔を顰めるイズラ。
 元・帝国軍最強のスピリットにして「漆黒の翼」の二つ名を持つ、【拘束】のウルカがそこにいた。
 単純に速さだけで言えば、イズラはウルカを多少なりとも凌駕する。しかしそれ以外の点、即ち膂力、体力、体重、経験などで大きく劣る。正面から遣り合うと、かなり厳しい。
 そう判断し、吹き飛ばされた勢いを利用して一目散に離脱を図る。

「逃がしませぬ!」
「っ!」

 どう、と地を爆ぜさせてウルカが迫る。
 ウルカに背を見せながらイズラは必死に逃げる。
 ウルカほどの実力者に背を見せるのは、はっきり言って恐怖以外の何物でもない。しかしイズラは迎撃より最速での移動を選択した。襲ってきたのがウルカだけで、他に敵がいないのは不可解ではあるがまさに幸運。迎撃に時間をとられ、その幸運をふいにするわけにはいかないからである。
 余人には立ち入れぬ神速の逃走劇、或いは追走劇。剣閃はない。ただ逃れ、追うだけ。
 後方でラキオススピリットのものと思われる気配が、遠く感じられたけれど。それさえ置き去りに。

 ……置き去りに?

 ちらりと、距離を詰められる事を承知でイズラは肩越しに振り向いた。間合いから二歩離れた……たった今一歩に縮まった、そこにあるウルカの姿。それを観察する。
 納刀している……これはウルカの、というかブラックスピリットの基本的戦闘態勢なので違う。
 ……鞘、それと柄に手を添えていない。一つ目。
 ……気迫はあるが、害意がない。二つ目。
 これに、事ここに至ってウルカが単独行動を取っている事、更に、最初の交錯時の疑問を加えると……イズラの中で、一つの答えが導き出された。

「……うん」
「?」

 何かに納得したのか。イズラはふ、とスピードを落とし。怪訝な顔をしつつも、あわせてスピードを落としたウルカに向き直った。

「走りながらじゃ、落ち着いてお相手できない」
「―――。く、ふふふっ。流石はエドネス殿の部下」

 寸時呆気に取られた顔をして、ウルカは笑いながら立ち止まった。
 
「用があるなら、そういえばいい」
「そういうわけにも参りませぬ。手前は未だ、ラキオスでは新参の範疇であります故」

 どこかぶすりとしたイズラの物言いに、ウルカは苦笑を混ぜて返す。そこに流れる空気は、少なくとも追う者追われる者の空気ではなかった。

「いつお気づきになられましたか?」
「最初の。速いけど、軽すぎた。刃筋も立ってなかった」
「成る程。見えておりましたか」
「ぎりぎり、だけど」

 そう。そもそも、ウルカにはイズラをどうこうしようという意思が、最初からなかったのだ。最初の殺す気があるとは思えない一撃だけなら、捕虜にして情報を引き出すため、と考える事も出来たが、先程までの追いかけっこを思えば疑問点が多く。
 追撃、というよりは。

「仲間に内緒のお話?」
「……そ、そういう事になります」
「ん〜……」

 既に緊張感の欠片もないイズラの言い様に、ウルカは気が抜けてしまいそうになるのを耐えた。既に半分くらい抜けてしまってはいるが。
おおよそ帝国軍のスピリットとは思えないイズラの言動。しかし、それはどこか喜ばしいものであるようにウルカには思える。

 ――あの御仁の部下らしい、といえばらしいのでしょうか。

 内心で苦笑しつつまだ歳若い同属を見やると、納刀したままの神剣を目の前に掲げて、なにやらむにむにと唸っている。

「……ん。向こうも切羽詰ってる……だろうから、簡潔に」
「? はい、手前もそれほど時間があるわけではありませぬので。……話とは……エドネス殿に、ラキオスに降っていただけぬかという提案です」

 すぅ、と。ほんの少しだけ、イズラの目が細くなる。それを知ってか知らずか、ウルカは話を続ける。

「勿論今すぐにという訳ではありませぬ。ただ……帝国時代の手前が見た限り、エドネス殿の生き方は、或いはユート殿に近いのではないかと。そう、手前には思えるのです。手前も帝国からラキオスに降った身、悪いようには致しませぬし、手前も口添えします故……」

 これは、ウルカにとって一つの賭けだった。
 この接触は、飽くまでウルカが独断で行っているもの。ラキオス上層がどのような判断を下すかは未知数であるし、露見すれば密通の疑いを持たれるかも知れない。帝国から寝返ったウルカを疑う者は未だ多く、またその疑いは正当のものといえる。そうなれば、ウルカのラキオスでの立場は非常に危うい物となる。
 歴戦の将であり、かつスピリットの尊敬を集めうるエドネスは、ウルカにとって己の立場を賭けてまでして引き入れておきたい人材であったといえるだろう。

「ん……伝えておく。どうするかは、エディ次第」

 しかし、そんな決意を秘めたウルカの言葉も、飄々としたイズラには届いているのかいないのか。あっさりと言伝を請け負って、反応はそれだけ。今すぐにとは、と言ったのはウルカなのだから仕方がないといえばそうなのだが、気勢を殺がれた感があるのは否めなかった。

「……もういい?」
「は? ……あ、はい」
「ん……じゃあ行く」
 
 ばさり、ウィングハイロウをはためかせ、イズラは微妙な表情で自身の背を見送るウルカを、一顧だにせず去っていった。





 時をやや遡って、イズラを送り出したメルシアード。イズラからもたらされた情報によると、ラキオス軍はなにやら大量の篝火を使い、レッドスピリットの強化を図っているらしい。

「私たちの分隊の殲滅……ではないでしょうね」

 食らえば消し飛んでしまうだろうが、食らわなければどうという事はない。
 しかし、かといって楽観視出来るわけでもない。自分たちがやや本隊と離れて突出している事は、これまでの戦闘から割り出されているだろう。とすると、自分たちを抜いて本隊を先に叩く事もありえる。

「……とにかく、一旦場所を変えましょう」

 指揮下のリリスとニルギスにブロックサインで指示を出し、メルシアードはそろそろと移動を開始する。
 現在、司令部たるエドネスとフィルフィの元へ、メルシアードからの報を受けた対魔支援が急行しており、火力支援はラキオス軍と対魔支援の中間点に、メルシアード以下の機動突撃は、最前線に位置している。敵に大規模な魔法行使の兆候がある今、対魔支援が構成する対魔法防衛線の内側に入っておきたかった。

 と、そんな移動中。

『メル……』
『! イズラ? どうなさいましたの?』

 神剣を通じての、イズラからの通信が入る。接続は微弱で、隠れながらの通信である事が伺える。

『漆黒の翼が接触してきた……。単独行動してるから、足止めされる代わりに足止めしておく。詳細は、あとで』
『そうですか。それは朗報ですわ。私たちは、一度対魔法防衛線の内側まで移動致しますわ。ポイントP−28で合流致しましょう』
『ん……了解』
「……通信?」

 メルシアードの様子から察したのだろう、ニルギスが聞いてくる。その間も三人とも足が鈍る事はない。

「ええ。イズラから、ウルカが接触してきたと」

 メルシアードの説明を受け、途端にリリスが眉間に皺を寄せる。

「ん〜このタイミングで漆黒の翼が単身で接触ですか、これは怪しいですねぇ怪しいですよ」
「……罠?」

 ラキオス軍に大きな動きがあり、そのタイミングで元帝国のスピリットが接触してくる。裏があるのではと勘繰るのも無理はない。
 しかしメルシアードはしばし黙考し、その可能性を否定する。

「ニルの懸念もわからなくもありませんが……ウルカは実直な性格であると聞き及んでおりますわ。卑怯と評される作戦をとっても、卑怯な行動はとらないとも」

 確かに、とニルギスもリリスも頷いた。
 ウルカの従事した作戦の中には、イースペリアでのマナ消失を誘発したり、ラキオス王都から高峰悠人の妹を拉致するなど、卑怯、卑劣と呼ばれる物も多い。
 しかしその背景には、部下の命脈を握られている、という事情があり、また高峰悠人の妹、高峰香織に対しては、不器用ながらも精神的フォローをし、仲良くなって茶飲み相手にもなるなど、性根はまっすぐで誠実といえる。

「ん〜、そう言われればそうかも知れませんが〜。でもでも、イズラはこと機動に関してはダントツですから心配しなくてもいいかもしれませんね〜むしろ救援にいく方が数が多くなって邪魔かも知れませんね」
「……雰囲気で、煙に撒ける。心配ない、きっと」

 ウルカの性格、イズラの実力と性格。これらを考慮して、三人は大丈夫だろうと判断を下す事にした。
 勿論不安はある。あるがしかし、それに負けてしまえば更なるリスクを負いかねない。何より、彼女らは仲間を強く信頼している。

「隊長が待っているんですもの。イズラは必ず帰ってきますわ」

 だからこうして、笑みを浮かべる事さえ出来るのだった。



 その頃エドネスは、フィルフィと共にじっと仲間の集結を待っていた。
 イズラを除く隊員の動向は既に把握しており、そのイズラも、ウルカと接触したという情報は入ってきている。

「まあ、イズラならば切り抜けられるだろう。ウルカのような実直な性格なら、イズラの掴み所のない対応は苦慮するだろうしな」
「そうですねぇ、そこんとこはあたしも心配してないです。問題は……」
「強化しているレッドスピリットをどう運用するのか、だな」

 エドネスが命ずるまでもなく、対魔支援は既に魔法の発動を抑えるサイレントフィールドを展開済みであり、またアイスバニッシャーによる迎撃態勢も整っている。サイレントフィールドは同時に物理攻撃の威力を格段に跳ね上げる効果も持つが、接敵よりも機動突撃が効果範囲に帰還する方が早いので、そちらの対応も問題はない。

「火力で押しつぶすにしても、サイレントフィールドがある限りそれ一辺倒というのは考えにくいな」
「そうですねぇ。第一、ここで盛大にぶっ放しちゃあ肝心の攻城戦で息切れしちまうだろうに……。だっていうのに、物理攻撃を狙う部隊は未だ姿を見せず、と。なんかこう……首筋がチリチリしますね」
「ああ。予感がする、な。大方ろくでもない事だろうが」

 積み重ねた経験と、身近に接してきた死の気配とがもたらす予感は、割とよく当たる。
 果たして今回はどうだろうか。

「……集結を急がせろ」
「了解」

 どうであろうと、警戒するに越した事はない。そう考え、エドネスはそう指示をするのだった。



 程なくしてメルシアードから伝達が入る。

『機動突撃より、対魔支援と合流いたしましたわ。イズラも遅れて合流出来そうですわ』
『了解』

 ふう、と胸を撫で下ろすフィルフィ。これでどうにか敵の攻撃前に態勢が整った事になる。数の不利、火力の不利は変わらないが、それでもこれでどうにか出来る。
 しかし、肝心のエドネスは浮かない顔をしていた。

 間に合ったのはいい。これならやりようはある。
 だが、ラキオスからしてみれば、間に合わせてしまった、となる筈だ。こうも簡単に合流を許すものなのか?

 そして疑問の答えがもたらされる。

『対魔支援より。敵部隊に攻撃魔法の発動の兆候あり』
『迎撃!』
『了か……!?』
『メル? どうし……!?』

 フィルフィの疑問の声よりも早く。攻撃魔法による爆撃の音が轟き、木っ端諸共土煙が上がる。が、しかしそれはエドネスたちとは離れた所で巻き起こっていた。

「あたしらを……狙ってない?」

 そのフィルフィの呟きを切っ掛けに、エドネスとメルシアードがハッとした表情になる。

『! そういう事でしたのね! 隊長、ラキオスの狙いがわかりましたわ!』
「ああ、俺も今気付いた! 奴ら、端から俺たちを狙ってなんかいない! あの方向はリレルラエルへの最短ルートだ! 罠をふっ飛ばして強引に俺たちを抜いて、最速でリレルラエルを落とすつもりだ!」

 司令との打ち合わせでは、エドネス隊の帰還を以ってラキオス接近すの印とする算段になっている。その鳴子の役割を果たすエドネス隊が抜かれては、リレルラエルは強襲を受ける事になってしまう。
 
『馬鹿な! ここで私たちを潰したとしても、リレルラエルに着く頃には息切れしてるわ!』
『となるとそれを補う何かしらの手を打ってきてるって事になるんじゃないですかねそこんところ隊長のお考えは?』

 声を荒げるレイオンと対照的に、いつになく真剣な声色で問うて来るリリス。そのギャップが、熱くなりかけていたエドネスの頭を冷やす。

「……対処法を用意しているものとして行動する。とにかく、ここにいても始まらん。追撃をかけるぞ! 隊列を――」
『た、隊長!』

 指示を出していたエドネスを遮るように、メルシアードの焦りに満ちた声が響く。
 冷静沈着なメルシアードがここまで焦る事態。それは。

『ら、ラキオス兵力の大半が、リレルラエルではなくこちらに向かっていますわ!』
「なんだと!?」


 交戦を始めてから約一ヵ月半。ラキオス軍に主導権が渡った瞬間だった。



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