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永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

 ――夕刻・法王の壁――

 ラキオスのスピリット隊を率いるエトランジェ・悠人は、沈んだ表情で法王の壁から臨むサーギオス帝国の大地を眺めていた。

 法王の壁攻略作戦に於いて、ラキオスのスピリット隊中核メンバーは活躍著しかった。
アセリアが血路を開き、オルファリルが薙ぎ払い、エスペリアが固める。そして隊長である高峰悠人は、その全ての局面においてエトランジェの名に恥じぬ、むしろ更に高めるほどの活躍を見せていた。
 その甲斐と、帝国軍の下策もあってラキオスは法王の壁を手中に収めたが、しかし戦力は消耗していた。このままリレルラエルに向かうのは、さすがに得策ではない。自身の疲労を自覚していた悠人は、そのエスペリアの進言をいれ、自身を含めた主力を率いてケムセラウトへ引き返し補給と回復を行った。
 そして再度法王の壁へと向かう中途で立ち上る煙を目にし、法王の壁が奇襲されている事に気付いたのだ。
 速力のある青、黒のスピリットを先行させて全速で戻ったものの、敵部隊は既に撤退した後だった。

 辿り着いて彼らが見たものは、まず壁の周辺に散乱する正規軍の兵士の遺体と焼け焦げた外壁。次に、同士討ちしたと思われる、廊下に転がる無残な遺体。そして実質半数が戦闘不能状態に陥った防衛部隊の仲間の惨状だった。

 死者四十二名、重軽傷者六十五名。特に指揮権限を持つ士官はほぼ全員が死亡。
 法王の壁突破の気勢を殺ぐ、手痛い損害だった。



 修羅場は何度も潜り抜けた。殺されかけた事もあるし、殺した事は数え切れないくらい。大切な親友二人の死をも乗り越えても来た。
 そんな悠人でも、一年以上の間、生死を共にしてきた戦友たちの傷ついた姿を見るのは、堪える事だった。

「ユートさま」

 そんな浮かない顔の悠人の背後に人影が立つ。
 ラキオススピリット隊の最古参にして、隊の副官的なポジションにあるエスペリアだった。こちらは悠人とやや異なり、疲れが色濃い表情をしている。

「負傷者の治療がひとまず終わりました」
「……そっか。様子はどうだった?」
 
 悠人の言葉にエスペリアが顔を顰める。

「ネリーにシアー、ニムントールの容態は比較的軽く、二、三日もすれば戦線に復帰できるでしょう。ですが……」

 重い溜息を一つはさむエスペリア。

「ですが、セリア、ハリオン、ヒミカの三人……特にセリアとヒミカはかなりの重傷で、暫くの間、復帰は望めないでしょう。早期の治療が充分に受けられなかった事が響いています」
「……やっぱりハリオンが戦闘不能になったのが痛かったな」
「はい……。わたしが不在の場合の回復は、彼女がほとんど一手に引き受けていましたから……。三人はいったんエーテルジャンプで王都に戻って回復に専念させた方がよろしいでしょう」

 拠点防衛という事で、悠人たちは防衛隊にハリオン、ニムントールの二名の優秀なグリーンスピリットを編入した。
 しかし、ニムントールは攻撃補助や防御補助を得意としており、回復系は使えないわけではないが、回復量・使用可能回数ともに少なく、不得手としていた。そのため、エスペリアが戻るまでは応急処置程度しか出来ず、症状を悪化させてしまったのである。

「敵がそれを見越してた、って事は、ありえるかな?」
「……個々人の細かな特徴まで見切られていたかはわかりませんが、ある程度の情報は流出していた、と考えた方がよろしいでしょう」
「というと?」
「……ネリーとシアーの報告によると、先の戦闘ではセリア、ハリオン、ヒミカの順に無力化されたそうです」
「……年長のスピリットばっかりだな」
「はい。この事から、隊員の顔と特徴、ある程度の力量は把握されているものと思われます。経験豊富な指揮官を先に抑えて、効果的な反撃を封じ、回復を断つ……。力押しが主体の帝国軍にしては珍しい戦い方です。あと、これも珍しいといえば珍しい……いえ、在り得ないといっていいのですが……」

 明朗だった口調がここで濁される。よほど信じがたい内容なのだろうか。そう思いつつ悠人は続きを促して。

「ハリオンと……おそらくセリアを倒したのは、信じ難い事ですが……スピリットではなく、人間の兵士、であるらしいのです」

 意を決したエスペリアの発言に、文字通り絶句する事となった。そしてそれも想定の範囲内だったのだろう、エスペリアは悠人が再起動するまでの五分間を、律儀にもそのままで待っていた。

「って、それはありえないだろっ!?」

 それは悲鳴か懇願にさえ近い言葉だった。
 悠人は知っている。スピリットとただの人間の実力差を。
 自分がまだ神剣を手にする前。この世界、ファンタズマゴリアに来て間もない頃。神剣を手にしたエスペリアと対峙させられた事があったが、その時の絶望的な無力感は、今も脳裏に残っている。
 それを思えば、人間がスピリットを戦闘で打倒したなど、到底信じられるものではない。
 しかし、そう思う一方で、悠人はそれが事実である事を半ば以上認識していた。
 エスペリアは、間違ってもこのような重要な案件の時に冗談を言わない。彼女の補佐を長い間受けてきた悠人は、それをよく知っている。

「セリアの負傷は、背後からの刺突によるものである、との報告は既にご覧になったかと思います。セリアは熟練のスピリットです。その彼女が、そうやすやすと後ろを取られるとは考えられません」
「それは、そうだな。俺もセリアには訓練で散々痛い目に合わされてるし」

 悠人の戦闘能力は、彼の神剣、【求め】の出力の高さに依存している。【求め】の位階は第四位。ラキオスにある神剣で、それに次ぐ位階の神剣は、ウルカ、ハリオン、ヒミカ、ファーレーンが持つ、それぞれ【冥加】【大樹】【赤光】【月光】の第六位である事を考えると、悠人はラキオスでもダントツの実力者のはずである。
 しかしながら、悠人の実力は確かにトップクラスではあるが、抜きん出ているわけではなく、訓練ではアセリア、ウルカといったトップエースだけでなく、セリア、ヒミカといったエース格の面々に苦杯をなめる事も多々あった。
 セリアの神剣【熱病】は第八位でしかない。そんな彼女に悠人が後れを取るただ理由は一つ。実戦経験の差と、技術の差である。
 平和な国で、不幸な人生を送っていたとはいえ概ね普通の高校生として暮らしていた悠人に、戦闘に関する技量が備わっているはずもない。戦闘奴隷として徹底的に鍛えられてきたセリアのようなベテランならば、力が強いだけの相手を制する事は不可能ではないのだ。
 そのセリアが、ただの人間に後れを取るなど信じ難い。信じ難いが、信じざるを得なかった。

「負傷したセリアを屋上まで連れてきたのは正規軍の兵士でしたが、この人物は、負傷したセリアを救護した事、自身も負傷している事、涙ながらにスピリットに頭を下げて救援を願った事などにより油断を誘い、ハリオンへの奇襲を成功させました。この事から、この人物がセリアを他のメンバーを襲うための餌として確保するために、ハリオンたちを騙したのと同じ手口で不意打ちしたものと考えられます。また、各種の破壊工作も、その男の手によるものでしょう」

 まかれていた油、煙を吸った兵士に見られる軽度の薬物中毒反応。森の中には一撃で絶命したらしい見回りの死体があった。

「……本当に、してやられましたね」

 自嘲まじりの声には悠人も同意せざるを得ない。
 帝国は、先のエスペリアの言葉どおり、圧倒的な物量と錬度で押しつぶすスタイルが主流である。故に、こんな搦め手で攻めてくるとは思っていなかった。
 もちろん警戒していなかったわけではない。ないが、それでもやはり油断はあったのだろう。

「瞬に痛い目にあわされたばっかりだっていうのに……くそっ」

 悠人が思い出すのは、今は味方のウルカ率いる帝国の部隊に、妹の香織を奪取された時の事。あの時も、隠密行動をとった少数精鋭によって煮え湯を飲まされた。
 だというのに、悠人は香織を奪われたという点にばかり意識を向けてしまい、敵のとった行動に対しての考察などを怠ってしまっていた。それが今回の被害に繋がった面もある事を思えば、悔やみきれない失態である。

「今までにない相手だもんな……。なんか情報ってないのか?」
「今のところ、諜報部には目立った情報は入っていないようですが……あるいはウルカなら……何か知っているかもしれませんね」
「そうだな、ウルカに聞いてみるか」



「なるほど……」

 悠人から敵部隊についての情報を聞いたウルカは、そう呟いてしばし沈黙した。表情はどこか複雑そうで、微量に悲しみ、そして尊敬を含んでいるように、悠人には見えた。

「手前が知る限り、帝国軍人で斯様なスピリットの運用をする人物は唯一人。【欠損者】エドネス・ノア・ディード殿でありましょう。……帝国軍人において、唯一手前が尊敬した人物でいらっしゃいます」



 【欠損者】と渾名されるエドネスが率いる『第零独立遊撃隊』、その設立の経緯は異常なものだった。

 前身として存在していたのが対マロリガン機動諜報隊。帝国に準ずる軍事力を持つマロリガンに対する牽制として、諜報活動や破壊工作を行っていた部隊であったが、もとより両国はダスカトロン大砂漠とミスレ樹海によって隔絶され、正面切っての戦争になる事は考えにくく、部隊の有用性は疑問視されていた。
 その割に、砂漠と樹海が主な任務地となる上、部隊の性質上、非常に神経を使う作戦が多く、過酷さだけは折り紙付きだった。

 そんな折に、帝国を、ひいては大陸の未来を揺るがす事になった出来事が発生する。
 時のサーギオス皇帝の突然死である。

 あまりに突然な世代交代は、軍組織内の派閥のパワーバランスにも影響を及ぼし、一時指揮系統が混乱した時期もあった。
 軍学校を卒業して二年目のエドネスが、先行き不透明な機動諜報部隊の隊長に“抜擢”されたのは、そんな時だった。上官が先帝派だったがための任命である事は明らかで、それはエドネス自身も理解していた。

 部隊には少数の、具体的には二個小隊六名のスピリットが配属されていたが、その全員が問題ありのスピリットだった。
 能力が低い、或いは育成不足。有用性の低い部隊だったためか、教育が十分に行われていない錬度の低いスピリットばかりで構成されていたのである。

「そんな状況下において、エドネス殿はスピリットとの連携を駆使し、数々の無謀な作戦を切り抜けていった、と聞いております。生き残るためとはいえ、スピリットに惜しみなく教育を施し、訓練をし、信頼関係を築き。人間もスピリットもなく、ただただ生き延びるため……そして強くなるために出来る限りの全てを行った、と」
「……帝国にそんな奴がいたんだな」

 悠人の中での帝国軍人の印象は、極めて悪い。
 悠人自身は、異世界からの来訪者という事もあり、最初から親スピリットの立場だった。
 悠人の来訪当時のラキオスにおけるスピリットの扱いは、まあ平均より若干いい程度だったが、悠人はそれでさえ納得出来ていなかった(奴隷など、教科書に出てくるものでしかないとされる世界で育ったのだから、無理はない)。
 だから、スピリットの自我を殺し、戦争用の備品かなにかのように扱っている帝国軍人は、許せるものではなかった。
 それだけに、これまでの帝国軍人のイメージから著しく逸脱するエドネスに、悠人は興味をひかれる。

「ですが、そのような人物の情報は一切流れてきていません。それほど特徴的で優秀な人物ならば、ある程度の情報が流れているのが普通です」

 悠人とエスペリアの疑問の視線。ウルカは幾分残念そうな色を浮かべる。

「……どんなに困難な作戦でも、重要性が低ければ余り注目はされないものです。それにエドネス殿の言動は、余りに異端に過ぎました。……一年ほど隊長を勤めはしましたが、最後の任務で戦死者を出した機動諜報隊は解散させられ、隊員は多くが新しくやって来た、腕利きの隊長兼訓練士……ソーマ・ル・ソーマの部隊に吸収されたのです」

 そして結果的に、エドネスは失脚した。
 己の部隊と、片目片腕を失ったエドネスは、スピリットを損失した責を問われて軍事裁判に掛けられる。
 派閥抗争は既に終結しているので所属派閥云々で責められる事は殆どなかったが、今度は非常識なスピリットに対する接し方が問題視された。

 曰く、任務で精神疾患を患った結果ではないか。
 曰く、妖精趣味者などに指揮官は任せられない。
 曰く、敵国のスピリットにも情けをかけ、見逃していたのではないか。
 曰く、曰く。

 悉くが批判的な意見。重要性の低さ故の怠慢な審判でなければ、即決で処分されていたであろう。

「遅々としながらも、最悪の結果へと進みつつあった裁判を大きく動かしたのは、リレルラエルの司令長官の発言でありました」

『錬度の低いスピリットばかりのあの部隊で、あの任務内容で、一年間責務を全うした指揮能力は惜しい。しかもスピリットと戦闘して生き延びたという運の良さもある』

リレルラエルの司令長官はそういって、己が責任を持つ事を条件にエドネスを預かり、己の手駒としたのである。

『実力不足のため、失敗が許されないような重要な作戦に投入される事はなく。元々処刑してマナに変換されていてもおかしくない者ばかりであるため、被害を抑える必要もない。優先度が低く、失敗しても困らない割に、危険度だけはでたらめに高い無謀な作戦にのみ投入される。功績によってのみ存続し、任務に失敗した時点で解散処刑だ。貴様が率いた対マロリガン機動諜報隊。それの焼き直しでも構わんのなら……貴様にこの部隊を預けよう』



「そして誕生したのが、第零独立遊撃隊……此度の襲撃の下手人でありましょう」
「………」

 聞き終えた悠人、エスペリアの表情は複雑だった。
 発端はどうあれ、帝国にも自分と同じ道を歩む人がいる事は嬉しいものの、いざそれが敵に回るとなると悩ましい悠人。
 記憶の中に仕舞い込んだ“あの人”の優しい笑顔が浮かび、またエドネスとやらの前にも“あの人”と同じくソーマが立ちふさがったという事実に胸を痛めるエスペリア。
 そしてウルカも、残念そうな表情を隠さなかった。

「ともすれば、同じ道を行く事もありえたやも知れませぬが……侭ならぬものです」





 一方、法王の壁から南東に離れた森の中。エドネス以下第零独立遊撃隊の面々は、あらかじめ設定されていた集合ポイントに集結していた。

「大成功、だな」
「こっちは隊長とメルが掠り傷だけ。いや、やるもんだぁね、あたしたちもさ」

 フィルフィの自賛の言葉に便乗して、各々が勤めを果たした成果……即ち、ラキオス軍相手に回し、戦闘不能が三、軽傷が同じく三のスコアをほぼ無傷で叩き出した事を、まずは喜び合う。
 
「皆、本当によくやってくれた。連携は完璧だったし、気配の欺瞞も見る限り有効だったな。これに関してはイズラの発案あってこそだ」
「そうですわね。お手柄ですわ、イズラ」
「ん……エディの訓練のおかげ」

 頭をぐりぐりと撫でられながら謙遜の言葉。それでも表情には笑みが浮かぶ。それを見て周りが口笛を吹き、囃し立て、また笑顔が生まれる。

 ……これから先、笑える余裕などなくなっていく。だから、笑える時には思いっきり笑おう。

 任務を重ねるうち、いつしか決まった不文律だった。



 ひとしきり笑いあい、感情の貯蓄が済んだ頃。それまで和やかだった空気が、自然と引き締まり始める。

「……さて。心の潤いの貯蔵は十分だな? 体力は? 気力は? 水、食料は? 装備品に不足はないか?」
『Sir! Yes,sir!』

 じゃれあいが必要ならば、引き締めも当然必要になる。飴と鞭、というより緩急の使い分け、といった方が近いか。

「よろしい。後はそれを食い散らかしていくだけだ。目減りする体力、磨り減っていく精神力。食うに事欠き飲むに苦労し、神剣の切れ味は鈍り、ディバインマジックも心許なくなっていく。どうだ、クソみたいでぞくぞくするだろう?」
『Sir! Yes,sir!』
「そんな中で、俺達は栄えある! 日の出の勢いの! ラキオス王国軍様と遊んでやらねばならんのだ。お遊戯の腕前は、帝国軍の先鋒部隊を一蹴出来るほどだ。どうだ、嬉しくて吐き気がするだろう?」
『Sir! Yes,sir!』
「だったら吐いちまえ。糞みたいな作戦への不満も飢餓感も汗も脂も、出るモン全部出してご立派なラキオスの連中にぶっ掛けてやれ! 最初のお出迎えはもう済んだんだ、後はいつもとやる事は変わらん。嫌がらせろ、やられる前にやれ、」

『やり返される前に逃げろ!』

 エドネスの言葉を引き継いで、九人の美声が唱和する。満足げに、獰猛な笑みを浮かべてエドネスは続ける。

「まあ、完全に逃げられないのが今回の辛いところだが、何、貴様らと俺ならどうという事はない。そうだろう?」
『Sir! Yes,sir!』
「よろしい……。それじゃあ楽しい楽しい、エンドレスパーティ第二幕の支度に行こうじゃないか。盛大に、嫌らしく、ネチネチとラキオスのお嬢さんたちを出迎えてやろうじゃないか!」
『Sir! Yes,sir!』

 森のしじまに響く声。
 第零独立遊撃隊にとっても、ラキオス軍にとっても、長い、長い一ヶ月が始まった。




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