- k a r e s a n s u i -

永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

 夜も更けに更け、東の空が微かに白み始めた頃になり。エドネス達は法王の壁を視認出来る地点までやってきた。罠を仕掛けそれを隠し、或いはわざと発見されやすいように調節する、などといった作業をしながらの行軍だったので時間が掛かったが、どうにか夜が明け切る前に辿り着けた。
 ここからが本番である。

「さて、早速仕掛けるが……直接攻撃を仕掛ける突入部隊、各種ディバインマジックで突入部隊をサポートする支援攻撃部隊、作戦実行そのものを支援する支援部隊の三部隊に構成しなおす。まずレイオン、メルシアード、イズラ。お前たちは突入部隊だ。後の事はあまり考えないでいいからとにかく押し捲れ。イズラは撤退時に私の支援を頼む」
『了解』
「次、支援攻撃部隊。シアス、ユウラ、リリス、フィルフィの四名はタイミングを合わせてディバインマジックを最大火力で叩き込め。指揮はフィルフィに任せる」
『了解』
「最後にシェリオ、ニルギス。お前たちは移動しながら要所要所で気配を飛ばせ。後続の部隊がいるように錯覚させろ。混乱した状況でなら誤認させるのは十分に可能だ」
『了解』

 言いながら、エドネスは背負っていた荷物を下ろし、装備を確認する。つや消しされた短めの剣。ナイフが数本。ロープ、針金、何かの小瓶etc…。それらを整えて、

「私は先鋒として最初に侵入し混乱させる。突入部隊は機を見計らって突入してくれ」

 いつものように、この世界における常識から大きく逸脱した発言をぶちかました。

 本来なら、人間が前線に出る、況してや先陣を切るなど危険極まりない。スピリットと人間の能力差は歴然としており、戦力のほぼ全てがスピリットで構成されているからだ。
 が、逆にそういう先入観があるからかえって動きやすいという側面がある。何より、神剣を持たない人間の侵入を察知するのは、スピリットの侵入を察知するより格段に難しい。
 そして、エドネスは気配遮断に絶対の自信を持っている。エドネスの部隊で潜入に最も適しているのは、他ならぬエドネス自身なのだ。

「それに今回は秘策もある」
「秘策、ですか?」

 皆の疑問を代表してメルシアードが問う。

「ああ。潜入にはもってこいの、な」
 不適に笑うエドネスの背で、【仕込み】ががちゃりと音を立てた。



「――さて」

 数分間の説明と質疑応答を終えて、エドネスが各員を見回す。返ってくる視線は、皆力強く。戦意と信頼とに満ちていた。

「最後だ。……生きよう、生きろ、生きるんだ! 俺は、お前たちは、先の世で生きねばならん! 剣林を掻き分け魔法の雨を潜り抜け、その先まで! 行くぞ!」
『応ッ!!!!!!!!!』





――法王の壁内部――

 ラキオスとサーギオス帝国との隔てる法王の壁。打倒帝国を目指すラキオスにとって、文字通り一番最初に乗り越えねばならぬ壁である。
 しかしラキオスにとって好都合な事に、事前に発生した野戦で敵戦力を大幅に減らす事が出来た。
 また、その野戦に於いて中核を担ったのは、イースペリアやマロリガンといった、ラキオスに滅ぼされた、或いは吸収された国々のスピリットたちだった。
 新参である彼女たちは、今後新天地でうまくやっていくためになんとしても信頼を得なければならない。そして法王の壁攻略前に降って沸いたこの露払い。新参組にとっては忠義を示す絶好の場であり、ラキオス軍幕僚にとっては忠義を測る格好の機会であった。
 結果として、新参組はその実力を遺憾なく発揮し、滅びた祖国の名を穢す事なく、新天地での立場をも得る事が出来た。そして力を温存させる事が出来た主力部隊は、見事法王の壁を攻略して見せたのである。

  さて、そんな経緯があった法王の壁。現在駐留している部隊は、実は僅かなものだった。成る程、法王の壁は確かに手強い敵ではあったが、しょせんは第一関門に過ぎない。今回の最大の目的はリレルラエルの陥落。いかにリレルラエル方面軍が壊滅状態とはいえ、立ちはだかるは帝国屈指の大都市、法王の壁攻略での消耗を回復させずに挑むのは愚の骨頂である。
 故に、特に消耗が少なく、且つ防御と回復に優れたグリーンスピリットとアイスバニッシャーが使えるブルースピリットを中心とした、古参の二個小隊六名……ハリオン、ニムントール、セリア、ネリー、シアー、そしてヒミカが防衛に当たり、他はケムセラウトに引き返していた。リレルラエル方面軍には今更攻めてくる余力はなく、援軍が来たとて、法王の壁に寄せる頃には主力が戻ってこれるとの判断である。

「ん〜、うあ〜」

 その法王の壁の屋上で。ネリー・ブルースピリットが溶けていた。こう、でろーんと。

「ネ、ネリー、もうちょっとしゃんとしようよ……」
「だって〜。タイクツなんだもん」
「あらあら〜、みなさん余裕ですねぇ〜」

 一番気の抜けたような緊張感のない声でハリオンが言う――がしかし、実際は絶えず神剣の気配を探り警戒している。そこはやはりベテランの業。

「まあ、敵が接近している様子もないからまだいいけど、いざって時にこれだと不安が残るわね」
「そうならないための私たちでしょう。でも、余裕と油断は別物なの。その辺りはちゃんとしなさいよ」

 苦笑するヒミカに相槌を打ちつつ、セリアが釘を刺す。ベテラン組である二人は、今はまだまだ序の口でしかない事を理解していた。

「はーい」
「は〜い……」

 かたや元気のいい、こなた恐縮したような返事。やはりどこか間が抜けていた。

「はあ……。面倒」

 それらを横目で見ていたニムントールが呟く。
 法王の壁は、一応平穏を保っていた。
 
 ……その瞬間までは。



 微妙にだらけ気味のスピリット隊がいる最上階から、十数メートル下。分厚い扉に守られた門の周りを、ラキオス正規軍の兵が二人組になって規定のルートを巡回していた。彼らの担当は、門から始まってしばらく道なりに進み、脇の森を抜けてまた門へと戻るというルートである。

「なあ、この巡回って俺たちがやってて大丈夫なのか?」
「あ? どういう事だよ」

 疑問の声に、最初に呟いた兵士が表情を曇らせる。

「だってよぉ……もし今スピリットが襲い掛かってきたら、俺たちなんて瞬殺されちまうぜ? こういう奴こそスピリットにやらせるべきじゃねえのか?」
「あ〜、まあな。でも諜報部が帝国軍はリレルラエルでの籠城戦に持ち込む構えだ、って報告してるらしくてよ、襲撃の可能性は低いから、人間でも大丈夫だろう、って事らしい。まあ、にしたって以前だったらそういうのは全部スピリットに任せてたんだがなぁ」
「そりゃあ……やっぱり女王陛下の?」
「ま、そーいうこったな」

 女王陛下――レスティーナ・ダイ・ラキオス。スピリットにのみ負担を強いてきた旧体制を批判し、スピリットの地位向上を進めている若き指導者。その理想は、スピリットが戦争で傷つきながらも戦い続ける――否、戦わされ続けている現状や、英雄の再来と謳われ始めたエトランジェの存在もあり、軍にまで影響をもたらし始めていた。
 つまり、これまでスピリットに一任してきた任務の一部を、人間で構成される正規軍に振り分ける動きが出ているのである。
 これまで正規軍のやる事といえば、スピリット隊が制圧し終わった後の“事後処理”程度で、直接的な戦闘はもちろん、被害が出る事が予測されるような任務、作業にはほぼノータッチであった。
 この状況を改め、ともに艱難辛苦を味わう事で連帯感を生み出し、まずは軍内部での人間とスピリットの融和を図り、ゆくゆくは……というわけである。スピリットにばかり負担や苦労をかけるわけにはいかない、という短絡的な感情論も含まれてはいただろうが。

 しかし、これは些か軽率であったとしか言いようがない。何せ人間の部隊にはノウハウがないのだ。長く戦闘から離れ、微温湯に使っていた兵たちが、いきなりいっぱしの軍人に変化するわけはなく。またなぜ俺たちがやらなくては、という感情も残らないはずがなく。
 結果、前線任務に従事する人員の錬度は、急激に低下していた。
 そして、彼はその隙を逃すほど甘い人間ではなかった。

「スピリットはスピリットを……ああいや、神剣をか。とにかく感じ取れるっていうだろ?だから敵のスピリットが接近してきたらわかるんだそうだ。で、わかればあの身体能力だ、俺たちがやられる前に援護に来れる。それにこの一帯はもうラキオス軍の勢力圏内だからな。のこのこやって来たりはしねぇよ」
「ふぅん……なら大丈夫か」
「ああ。もうじき夜も明けるし――」


「仕掛けるにはもってこいというわけだ」

 
 え、という思わず漏れた戸惑いの声を最後に、兵士二人は文字通り二の句を告げる事が出来なくなった。

「……温いな。所詮はスピリットの陰に隠れていた烏合の衆か」

 兵士の頭上、木の枝から逆落としに襲い掛かり、その喉を掻っ捌く。そんなアクロバティックな不意打ちの反動も見せはしない。代わりに呆れと嘲りの念が思わず漏れた。
 予想通り、いかに体制が変わり、上層の心構えが変わったとしても、現場まで急激に変わるわけがない。現に交代の間隙をついたとはいえ、樹上に潜んでいたエドネスに気付いた者は、皆無だった。

「まあ、好都合。急がねば」

 ぬらり、と。艶の消された刃が、月光を浴びて妖しく鈍く光を放った。



 一方、ラキオス軍。法王の壁屋上。

「夜が明ける……」

 空との境目から光を溢れさせ始めた山並みを、目を細めて眺めながらセリアが呟く。徹夜明けの目には眩しいのか、数回目をこすって、そして大きく伸びをした。

「結局夜襲はなかったわね……。やっぱりリレルラエルで徹底抗戦の構えかしら」

 傍らで剣を抱きながら壁に寄りかかっていたヒミカが呟く。

「でしょうね。緒戦で出鼻を挫かれたも同然だもの」
「……戦わなくて済むならどうでもいいけどね、面倒だし」
「ニム、あなたねぇ……」

 呆れたようなセリアの声を気にもせず、ニムントールは眠そうに欠伸をしている。

「気持ちはわかるわ、ずっと気を張りっぱなしだったもの。早く交代してもらいましょう」

 ヒミカが苦笑しながら立ち上がり、伸びをした。

「それもそうね」

 長い髪を軽く手で梳きながらセリアも同意した。不規則且つストレスの多い生活が続いているためか、自慢の髪にやや痛みが出始めている。その事実に顔を顰めつつ、毛布に包まって眠っているネリー、シアーの姉妹を起こしにかかる。向こうではヒミカがハリオンを起こしている。

「ほら、二人とも起きなさい。交代の時間よ」

 ゆさゆさと頭を揺さぶる。……その時に感じた髪の手触りが、明らかに自分のそれよりもさらさらしているという事実が、セリアの自尊心をちくちくと刺激した。

 ――やっぱり歳の差かしら……。って、何考えてるのよ私。

 一瞬脳裏をよぎった敗北宣言にも近い発言を即座に打ち消す。

「むぅ〜……眠いよぉ……」
「それは私も同じよ、ほらしゃきっとなさい。シアーも毛布に潜らないの」
「はぁい……」
「ヒミカ、そっちは?」
「大丈夫よ。ハリオンはこういうところはしっかりしてるから」
「あら〜? それってどういう意味ですか〜?」

 ハリオンの問いを華麗にスルーしながらヒミカは引継ぎ事項を伝えている。

「今回も攻撃の兆候はなし。神剣の気配も感じられなかったわ。そうね……昼過ぎにはユート様たちも戻られる予定だし、一番危険な時期は脱したと考えていいかしら」
「そうですね〜、ユート様の強さは帝国にも知れているでしょうし、リレルラエルでの防衛を考えたら、このタイミングでこちらに戦力を割く事は考えにくいですね〜」

 ……普段はあんなだが、ハリオンは優秀なスピリットである。特に今回は相手が相手だけに真剣さが増している。口調が口調だけに、それが周囲に伝わりにくくはあるが。

「ハリオンさんがハリオンさんじゃないみたい……」
「ネ、ネリーったら、ちょっと失礼だよ……」
「シアーはそう思わない?」
「え? あ、う〜……うん」
「遊んでないで貴女たちもちゃんと聞きなさい」
「はーい」
「は〜い」

 その後、五分ばかり打ち合わせをして引継ぎが終わる。

「……こんなところね。セリア、ニム、あなたたちからは何かある?」
「いえ、ないわね」
「わたしも」
「そう。なら、後はよろしくね、ハリオン」
「はい〜、任されました〜」
「たー」
「た〜」

 ネリシアコンビの声にセリアもヒミカも表情を緩ませた。ユートたちが戻ってくるという安心感もあっただろう、その瞬間は、確実に緊張感が緩んでいた。

 ――あたかも、それを狙っていたかのように。

「――待って!!」

 ヒミカが急に表情を引き締める。

「……何かあったのね?」

 まずセリアが、続いてハリオン、ニムントールやネリシアコンビも遅れて表情を引き締める。
 ヒミカは目を閉じて何かを探るように意識を集中させている。

「……熱……火ね、火の気配がするわ」
「正規軍の炊事の火じゃなくて?」
「多分違うわ。もっと大きくて猛々しい感じがするもの」
「っ!」

 咄嗟にニムントールがしゃがみ込み、床に耳を当てた。

「……階下が騒がしい……何かあったみたい!」

 セリアの表情がますます厳しくなる。

「ネリー、シアー、敵スピリットの気配は!?」
「……ダメ、何も感じない」
「です……」
「……どう思う? 事故なのかしら?」

 ヒミカがセリアに問う。

「わからない……。でも、迂闊に動いて隙を作って、それで敵スピリットの接近を許したら元も子もないわ。……私が階下の様子を見てくるから、ヒミカたちは何かあったらすぐに援護に出れるよう待機してて」
「わかったわ。一応、気をつけてね」

 ヒミカの声を背中で受けて、セリアは駆け出した。



「何なのこれは……!?」

 屋上から一階降りただけで、そこは既に煙が充満していた。階下からは悲鳴とも怒号ともつかない叫び声が聞こえ、微かに剣戟の音さえ聞こえる。

 ――敵襲? でもスピリットの気配は感じなかった! まさか、人間だけで攻め込んだって言うの!?

 セリアの驚愕も無理はない。スピリットへの対応が軟化したラキオスでさえ、戦争の尖兵は飽くまでスピリット。人間で構成される正規軍は、スピリットによる敵勢力の掃討が終わり、直接戦闘がある程度終息してから投入されるのが常識である。

「……でも、確かに盲点ではあるわね」

 だがそれも推測に過ぎない。一刻も早く正確な情報を得なくてはならない。セリアはそう焦る。その時だった。

「た、大変だ!」

 セリア目掛けて、血塗れの正規軍兵士二人組が駆け込んできた。渡りに船とばかりにセリアも駆け寄る。そしてそのうち片方が片腕を失っているのを見て目を剥いた。

「あなた、その怪我……!」
「て、敵襲だ! 帝国の奴らの奇襲だ!」
「火を放たれて、もう何十人もやられちまった……もうお仕舞いだ!」
「なっ……もうそんな被害が!?」
「ああ、何十人も潜入してるみたいで、もうどうにもならねぇ!」
「頼む、援護に来てくれ!」

 青褪めた表情で訴える兵士、状況は一刻を争うと判断したセリアは一瞬で決断した。

「わかったわ。あなたはその腕じゃあ戦えないでしょ、屋上にいる皆に知らせてきて!」
「屋上だな、わかった!」
「頼むわよ! それじゃあ行くわよ!」

 そう言って、セリアは背を向けて駆け出すために、そのしなやか且つ強靭な足に力を籠め――

 どす、という鈍い音を聞いた。
 
 え、という声の代わりに出てきたのは鮮血だった。

「あ、え?」

 セリアの代わりに声を出した兵士。その顔にセリアの胸から噴出した血飛沫が跳ねる。

「ごぼっ……」

 もう一度盛大に吐血し、セリアはうつ伏せに倒れこむ。霞みゆく意識で必死に状況を把握しようとして――後頭部に衝撃を受け、意識を手放した。



「かっ……」
「ぐげっ……」

 ここで場面と時間は切り替わる。
 法王の壁内部への入り口付近、セリアが意識を失う十数分前。門の番をしていた兵士二人が、死角からの斬撃で喉を裂かれて殺された。下手人は……ラキオス正規兵の軍装をしていた。

 裏切りか、内通者か? 事切れるまでの僅かな瞬間に、番兵の脳裏を過ぎったのはどちらであったか。

 その男は、腰に結わえていた鍵縄を、法王の壁がサーギオスの手の内にあった頃の間取りから割り出した、ある部屋の窓に引っ掛けてよじ登る。登る様子はぎこちなくはあるが、その速さはかなりのもの。あれよという間に登り終えると窓に張り付き、気配がないのを確認してから内部へと侵入した。

「さて……」

 男の目の前に広がるのは非常用の燃料が入った樽の群れ。ここは、非常用の資材が収められた倉庫であった。
 その中から、特に燃えやすい油が入った樽を確保して、今度は兵士の詰め所へと向かう。
 途中、男は階段や主要な通路を遮るように、それでいて目立たないように油を撒いて行く。基本石造りの法王の壁ではあるが、木材が使われている箇所も数多い。そして男は的確にその燃えやすいところを逃さずに油を撒いていた。
 そして最後に、指揮官クラスが詰める区画を封じ込めるように重点的に油を撒いて……躊躇いもなく火を付けた。油を撒いてあるだけあって火が大きくなるのも早い。煙が上の階まで広がっていくのは時間の問題。
 男には、その前に行動を起こす必要があった。

 一つ大きく深呼吸をして。男は下級の兵士が眠っているであろう部屋のドアをそっと開け忍び込んだ。
 起床時間が近いからだろう、室内では既に数人が目を覚まし何事かとこちらを見ていた。そんな彼らを、男は。

「どうした? なにか――ぎゃっ!」

 最後まで言わさずに袈裟懸けに斬って捨てた!

「な、なんだなんだぁ!?」
「錯乱したのか!?」
「裏切りか!?」
「ぐっ!」
「ぎゃっ!」

 混乱に乗じ、男は斬撃を放つ、放つ、放つ。
 そうして、ものの一分も経たないうちに、十人いたこの部屋の兵士は、全て男一人の手によって葬られていた。

「……温すぎる」

 起き抜けという事を考慮しても、半数近くが寝たままだった事を含めても容易すぎた。
 とはいえ、男にとっては有り難い。休むまもなく細工にかかる。
 持って来ていた【とあるもの】を近場に放り出す。そしてそれを包んでいた油紙と布袋、そして、何かの粉末をこの部屋まで回り始めていた火の中に放り込む。
 自分の身体が血塗れ――無論返り血で、だ――になっているのを確認して。

「て、敵襲―――っ!!!」

 これ以上ないというくらいの大声で、男は絶叫した。

「敵襲! 敵襲だーーーっ!!!」

 バタンバタンとドアが開く音がし、一気に騒然とし始める。それを確認して、今度は蹲り、苦悶の表情を浮かべる。 「どうした……!?」「敵襲……って、うわあぁ!?」

 やってきた武装した兵士たちが室内の惨状に驚愕の声を上げる。部屋の中は死屍累々、熟練兵ならまだしも、碌に戦場に出ない正規兵では動揺を抑える事は難しい。
 そして男はその動揺で生まれた心の隙を逃さず大声で怒鳴る。

「敵だ! 帝国軍の襲撃だ! しかもスピリットじゃねえ……人間の部隊だ! この火災も奴らの仕業だ」
「なんだと!?」
「くそっ! 消火急げ!」
「奴ら、十人以上でこの部屋に忍び込んできやがった……俺も、片腕をやられちまったが、なんとか……ぐうっ!」

 苦しそうに見えるように呻き、【三分の二ほどを残して断ち切られている己の左腕】を示して見せた。

「あいつ等ただ者じゃねえ……! 会話からして既に何十人も忍び込んでいるぞ! 早く皆に知らせろ! 急がないと皆殺しにされちまう! ごほっ、ごぼっ」

 咳き込む振りをしながら口元を濡れた布で押さえる。煙を吸わないようにする意味合いもあるが……。

「くそがぁあ! 帝国の豚野郎どもが! ぶっ殺してやる!」
「全軍を叩き起こせ! 戦闘準備だ!」
「うおぉおおおっ!」

 ラキオス兵たちは、異様に血走った目で騒ぎ始めた。煙の臭いに仄か混じる、甘いような独特の香りに気付ける者は、既にいない。
 
 ――火にくべておいた興奮剤が効いてきたようだな、と内心ほくそえみながら、男はなおも声を張り上げ、部屋を飛び出した。

「急げ急げ急げ! 早く剣を取れ! 大変だ! 襲撃だ! 大軍だ!」

 男が叫んでいる内容自体は、ほとんど意味も根拠もない言葉なのだが、興奮状態のラキオス兵は、もう不自然さに気付けない。指揮系統も燃え盛る火によって文字通り分断され、興奮剤の影響を受けていない兵士たちも、異様な空気に飲まれて冷静さを完全に失っていた。

「どこだぁ! 敵はどこだ!」
「外だ! 外で俺たちを完全に包囲してるぞ!」
「違う、地下だ! 地下から攻めあがってきている!」
「三階だ、上下階を寸断してから蹂躙するつもりだ!」

 階段を下りては昇り、通路を行っては帰し。あちらこちらでデマが流れ、もはや混乱は男がどうこうせずとも、勝手に拡大していくような状態になりつつあった。
 収拾がつかなくなっているのを悟り、男は手近な兵士をひっ捕まえて、胸倉を掴んで怒鳴りつける。

「駄目だ! 混乱が大きすぎる、スピリット隊を呼んでこよう!」
「……そうだ、あいつらなら帝国軍なんざ蹴散らしてくれる!」
「もう俺らじゃ手に負えねえ!」

 男の科白に数人が賛同し、それは瞬く間にスピリットに援護を求む、という流れを生む。スピリットに対する感情の良化が、スピリットに頼るという行為への躊躇いを払拭していたのは、幸か不幸か。

「スピリットはどこに!?」
「最上階だ!」
「よし……、腕をやられちまって一番役に立てない俺が呼んでくる! 一人だけ同伴させてくれ! すぐにスピリット隊を連れて戻るから、それまでは死ぬんじゃねえぞ!」
「ああ、持ち堪えてやるさ!」

 交錯する視線に決死の思いを乗せて。
 あとは振り向かず、男は兵士一人とともに上階へ。兵士たちは帝国兵が押し寄せているはずの階下へ。
 ともになすべき事を果たすためにひたすら駆ける、一心不乱に。
 
 ――故に。男が様子を見に降りてきていたスピリットに気付いた時に浮かべた笑みが、安堵から生まれた自分の笑みとは全く違う、どこか禍々しい笑みだった事に、兵士は気付けなかった。



 そして時と舞台は再び戻る。

「だ、誰かっ!」
「!」

 けたたましい音を立てて屋上のドアが開かれた。即座にネリシアコンビが神剣を構え、ヒミカがディバインマジックの準備に入る。そして。

「――セリア!?」
「セリアさんっ!?」

 次の瞬間、血だらけの兵士に背負われた、これまた血だらけのセリアの姿を見て血相を変えた。

「どうしたんです、何があったんですか〜!?」

 ハリオンが駆け寄りながら問う。息も絶え絶えな兵士がハリオンにセリアを預けながら辛うじて応えた。

「て、帝国の奴らが……潜入してて……破壊工作を……。味方に化けてた奴に、俺が襲われて腕を持ってかれて……こいつが、俺を庇って!」

 状況を理解するに連れてヒミカの表情が曇っていく。

「くっ、やっぱり襲撃だったのね。ハリオン!」
「もうやってますぅ!」

 緑色の輝きがセリアを包む。必死な表情でハリオンは意識を集中させている。
 沈黙のうちに長い十数秒が過ぎ、ハリオンが大きく息を吐いた。

「……ふぅ。意識はありませんけど、これで一命は取り留めました〜」
「よ……かったぁ〜」

 へろへろとネリーがへたり込む。隣ではシアーがぽろぽろと泣いていた。他の面々も安堵の溜息を吐く。しかし状況は変わらない。

「よくもセリアを……」
「帝国の、それも人間なんかに後れを取るなんて……っ」

 ヒミカが怒り、ニムントールが歯噛みする。同じく悔しそうにセリアを連れてきた兵士が訴える。

「敵は階下にまだ何十人もいる……。正規軍はもう混乱状態でまともに動けない。頼む、力を貸してくれ!」

 床に擦り付けるほどに頭を下げる。

「心配しないで」

 頭上からの声に兵が顔を上げた。そこには怒りの表情のヒミカ。

「私たちがそいつらを蹴散らしてやるから……!」
「く……すまないっ」

 兵士が思わず涙を流す。その姿に頷いて、ヒミカが仲間を振り返る。誰もが目に怒りをたたえていた。

「ハリオン、セリアをお願い! みんな、行くわよ!」

 そう宣言した瞬間だった。

「――! 上ッ! ディバインマジック!」

 ネリーの叫びを掻き消して、白い極太の閃光が世界を薙ぎ――一番反応の遅れたシアーが熱線の向こうに消えた。

「きゃぁあああっ」
「シアーーーーっ!」
「これはアークフレア! いつの間にスピリットが!?」

 シアーの悲鳴、ネリーの絶叫。それらを耳にして焦りの色を隠せないヒミカに追い討ちをかけるように、ニムントールが悲痛な叫びを上げる。

「西に一人、南西に一人! 更に離れて……二人、いや四人!? 気配が混乱しててわかんない!」
「最低でも四――まだ来ますうっ!」

 目を見開いたハリオンの視線の先で、緑色の閃光が集い、大地のエネルギーが猛る。

「エレメンタルブラスト!?」

 驚愕の声を掻き消して、グリーンスピリットが使える最強の攻撃魔法が炸裂。今度は辛くも全員が効果範囲から離脱。
 しかし見えざる敵の猛攻は収まらない。地を蹴り身を投げ出すようにエレメンタルブラストの射程から逃れたニムントールの予想着地点、そこに闇が蟠る。

「! ニム、足元!」
「っ!?」

 ヒミカが鋭く叫び、ニムントールが咄嗟に神剣を地に突き立てて着地場所を必死にずらす。刹那の差でニムントールは闇色の竜巻、カオスインパクトから逃れ得た。しかし今度は一抱えもあるような火球が、無理な軌道修正の直後で身動きの取れないニムントールに迫る。
 詰め将棋のような連続攻撃に、それでもニムントールは抵抗を試み。

「ッ! ガイア」

 ブレス、と続けようとして、けれどきっと間に合わないと悟って、直後襲い掛かるだろう灼熱にせめて対抗しようと身を強張らせる。

「エーテルシンクッ!」

 だが間一髪、巻き起こる土煙の向こうから飛来した青白い光が、火球にぶつかり打ち消した。

「今の……シアー! よかったぁ……」

 エーテルシンクの発生源から、手傷を負いながらもひとまず健在なシアーが飛び出してくる。ネリーは安堵のためか思わずしゃがみ込んでしまった。

「よかった……ほんとによかったぁ〜」
「ご、ごめんね、ネリー」

 涙を零すネリーと、なだめるシアー。隙だらけの二人を守るようにヒミカが、遅れてニムントールが集まった。

「みんな、大丈夫!?」
「はいっ」
「なんとか……」
「でも、ムカツク」
「私も大丈夫ですぅ! セリアも無事ですよぉ!」

 離れたところから、抱えていたセリアを下ろしている最中のハリオンが声を飛ばす。

「取り敢えず、全員無事ね。上出来よ」

 ディバインマジックは、そう連発の利くものではない。最初の奇襲を凌いだ今ならば充分対処出来ると判断したヒミカは、平静を取り戻させるために強気の口調で年少組に声を掛け、同時に飛来した魔法の種類、数から敵の数を推測する。

「敵は最小で四人、属性もほぼ万遍なさそうね。でも、今のを凌いだ私たちなら大丈夫よ!」

 力強いベテランの言葉に、浮き足立っていた年少組が僅かに落ち着きを取り戻す。取り戻して……ふと、ネリーが気付いた。

「――! あの知らせに来た兵士は!?」
「!」

 失念していたのだろう、皆の表情が凍る。よもや、さっきの攻撃に巻き込まれたか、と最悪が過ぎる。
 ――と。

「俺なら……ここだ、一応生きてる……」
「! よかったですぅ〜、お怪我の方は――」

 すぐ傍からの声と土煙の中に動く影を見て、ハリオンが安堵の表情を浮かべて駆け寄り。

「――ッ!?」

 土煙を突き破って、自身の顔面目掛けて飛来したナニカを、咄嗟に神剣で打ち払う。
 その瞬間だった。
 ぱりん、と軽やかな破裂音と共に、打ち払われた瓶が、ハリオンに向けて内包していた液体を解き放ったのは。

「あッ!?」

 それは、傷口の消毒にさえ使われる事のある、極めてアルコール濃度の高い酒だった。ハリオンは、そんな物をもろに顔面に、そして見開いていたそのくりっとした眼に、たっぷりと浴びてしまったのだ。

「いッ、ぎッ!」

 激痛に、反射的に眼を押さえてしまったハリオン。スピリットを相手にするような戦場では、十回死んでもお釣りが来るような絶望的な隙。
 そしてそれだけの隙があれば。
 投げた小瓶を追いかけるように突進していた兵士――エドネスの斬撃が、ハリオンの柔肌をざっくりと切り裂く事も、十分に可能だった。

「きゃぁああっ!」
「は、ハリオンさん!?」
「え、どうなってるの!?」

 下腹部から肩口までを深々と切り裂かれ倒れこむハリオン、シアーの悲鳴、困惑するネリー。
 味方だと、重傷者だと思っていた人間の男がいきなり自分の先輩を攻撃し、あまつさえ負傷させたのだ。動揺から復帰した矢先のまだ幼い二人が驚きに囚われるのも無理はないといえる。
 しかし、その二人の動揺が逆に冷静さに繋がった者もいる。

「はぁあああっ!」

 渾身の力で己が神剣【曙光】を投擲するのはニムントール。
 彼女も決して経験は多くないが、ベテランであるファーレーン・ブラックスピリットを慕い、また長く共にあった。
 その中で、常に冷静沈着に振舞う姉のような女性から、その心構えを少なからず学んでおり、冷静に次どうするべきかを考える余裕があったのだ。
 雷光の勢いで飛翔する【曙光】。
 ――速い。目では追えない。
 ただの人間の身体では避けきれまい。剣聖と呼ばれるような卓越した一握りの英傑や……その技を見慣れ、受け慣れた者以外には。
 自身の左胸に殺気が向けられているのがわかる。鋼の刃が心臓を食い破ろうと迫るのがわかる。わかっているなら対処のしようはある。そして何より。

 ――フィルフィのより遅いッ!

 フィルフィの放つ、グリーンスピリット汎用の最上位物理攻撃、ソニックストライクをイメージし、全力で右へ跳躍。もしも本当にフィルフィの技だったなら、数秒後には左脇がごそりと欠けた死体、もしくはその予備軍が転がっていただろうが。

「なっ……かわした!?」

 エドネスは生きていた。後の事を考えずにとった回避行動のせいで、地べたを転がる羽目になってはいても。【曙光】が穿ったのは、通常なら左腕があるはずの虚空と軍服のみ。

 ――っ、お前はほんと出来た女だぞフィルフィ!

 フィルフィに感謝しながら、回転の勢いを利用して立ち上がり、更に距離をとる。

「ニム、ハリオンをお願い!」

 ニムントールが驚愕に硬直しかけたところに指示を飛ばし、ヒミカがダブルセイバー型の神剣【赤光】を構える。

「化けてセリアを傷つけたのはあなただったのね! この外道!」

 憤怒の表情と科白、怒りを籠めてヒミカが地を蹴り、「赤光」が灼熱の炎を纏い、高熱に空気が揺らめく。

「いっけぇええええっ!」

 裂帛の気合と共に繰り出されるファイアエンチャント。ライトニングストライクをかわした先程とは違い、壁際にいるエドネスには退路はない。窮鼠とはいえ、二度目も噛み付けるほどスピリットの攻撃は甘くない。
 後先を考えない回避のツケ、絶対死の一撃を前にして、しかし彼は笑みすら浮かべた。

 ――何故なら。

「トリーズンブロック!」

 後先の「後」の時には、彼女らがフォローに来ていると知っていたから。

「なっ……くぅうっ!?」

 炎の一撃は、割り込んだイズラに手傷を負わせる。しかし斬ったのはしょせん肉、引き換えに放たれた斬撃は、ヒミカの骨身を打ち据える!
 カウンターダメージに体勢が崩れ、そしてそこに上空から迫る青い影。一切の減速なしに突っ込んだその影――レイオンは、

「ヘヴンズ……スウォード!」

 その勢いを乗せた最大奥義を、隙だらけのヒミカに叩き込んだ。

「――!」

 咄嗟に防壁を張るも空しく、ヒミカは声も出せずに襤褸切れのように吹っ飛ばされ、床に叩きつけられた。
 ただでさえ物理防御の弱いレッドスピリット、急作りの障壁では、ブルースピリット最上級のアタックスキルをしのげるはずもない。

「ヒミカさんっ! こ……んのおっ!」

 逆上したネリーが、勢いを殺しきれずに床を滑るレイオンに斬りかかる。

「!」

 一撃目を剣で受け流し、二撃目を身体を投げ出してかわし、三撃目をハイロゥで宙へ逃れてかわすレイオン。それを追おうとハイロゥをはためかせるネリーの視界に、黒い影が映る。

「っ! 新手!?」
「………」

 無言で宙に浮きつつ立ち塞がった影は、メルシアード。放たれる氷の刃の如き殺気が、追撃を図ろうとしたネリーを押しとめる。
 そしてその隙に、イズラはエドネスを抱きかかえて回収していた。年端も行かぬような少女に抱えられる様は、どこか間が抜けていたが、当の本人は意にも介さず、眼光鋭く指示を飛ばす。

「レイオン、メルシアード、第三段階!」

 潜入による混乱の誘発、それに乗じたスピリット隊への攻撃。これら第一、第二段階に次ぐ第三段階。即ち、エドネスの撤退支援を任せられたレイオンとメルシアードが前に出、それを盾にしてイズラはエドネスを抱えたまま南東へと進路を取る。

「逃がさない! シアー!」
「うんっ!」

 しかしそれをやすやすと見逃せるほど、ラキオスのスピリットもお人よしではない。ネリー、シアーがハイロゥを展開し追撃を試みる。

「させると思いますか? レイオン、行きますわよ!」
「……!」

 言葉ではなく気合で答え。青と黒の疾風がラキオスのスピリットに襲い掛かる。

「私が青いのをっ! 二人は黒いのを!」

 先程の攻防の間に神剣を回収したニムントールが指示を飛ばしながら前に出る。先程の一撃から、防御の薄いネリシア姉妹にはレイオンの相手は向かないと判断し、二人にはメルシアードの迎撃を指示する。

「フューリー!」
「デボテッドブロック!」

 ぎゃりん、と神剣が障壁に食い込む音がする。
 エスペリア、ハリオンという優秀なグリーンスピリットの陰に隠れがちではあるが、ニムントールもラキオスのグリーンスピリットの中では上位に位置する優秀なスピリットである。レイオンが放ったヘヴンズスウォードに次ぐ上位物理攻撃は、その威力の大半を殺がれてニムントールにたたらを踏ませるに留まった。

「ちいっ!」
「……ッ!」

 方や予想外の堅さに、こなた予想以上の威力にそれぞれ舌打ちしつつ。ニムントールは更なる斬撃に備え、レイオンは。

「シッ!」
「あっ!?」

 メルシアードの剣技に翻弄されつつも食らいつく、ネリーとシアーにあっさりと矛先を変えた。ニムントールも追いすがろうとするも、第二撃に備えてどっしり構えてしまったため、初動が遅れる。

「うわわっ!?」
「ね、ネリーっ!」

 予期せぬ横槍に体勢を崩したネリー、それをフォローしようとしてしまったシアー。それぞれが一手ずつ手遅れとなって。

「居合いの太刀ッ!」
「インパルスブロウ!」

 神速一閃、豪剣二閃。ニムントールの目の前で、姉妹は無念、切り伏せられる。

「くッ……あぁあああああっ!」

 残るは自分一人。レイオン一人を相手にするのがやっとだった事を考えれば、この状況は詰み。でもそれでも、とニムントールは己を奮い立たせ――。

「くぅうっ!? っああっ!」  それでも空しく倒れ伏す結果に終わった。

「………」

 睥睨する四つの瞳。まだ身体の動くネリーにシアー、ニムントールは苦痛に表情を歪めながらも、抵抗の意を視線に籠めて睨み返す。
 しかし青と黒の二人はそれすらも意に介さず。

「………」
「……よし」

 頷いて、空高くへと舞い上がり、きらりハイロゥを輝かせる。その輝きはネリーたちの目を焼いて、後方で指揮を取っていたフィルフィの目にもしっかりと映る。

「……頃合だね! 皆、退くよ!」

 第四段階、総員の速やかなる撤退。レッドスピリットは質より量を重視してフレイムシャワーをばら撒き牽制し、グリーンスピリットたちが大地の祝福で身体能力を向上させ、その恩恵と背の翼を以ってして、ブルー、及びブラックスピリットが仲間の手を引き空を駆け。
 昇り切った太陽に照らされて、夜闇がすうと消え行くように。あれよという間に、エドネス隊は撤退を果たしていた。



 正しく台風一過、先ほどまでの激闘が嘘のように静まり返った屋上で、まずあがった声が二つ。

「う……くっ。シアー、大丈夫?」
「な、なんとか……」

 神剣を支えによろよろと立ち上がるネリーとシアー。傷は浅くはなかったが、動けないほど酷いものでもない。氷結魔法で傷口を一時的に凍らせて応急処置とし、二人呆然と惨状を見回す。
 少し離れた所でニムントールがよろよろと立ち上がる以外に、動く影はない。ハリオンは意識を保ってはいるようだが、蹲ったまま動けずにいる。ヒミカは半ば瓦礫に埋もれて意識を失っているし、セリアも失神したまま。
 すぐにでも他の皆を助けに行かなくちゃ……。そう訴える思考はあまりに小さく。

「なんか……嘘みたい」
「うん……。でも、おなか、いたいよぉ……」
「うん……あたしも、腕、すごく痛い……。ほんとのこと、なんだよね……」

 冷やされて鈍くなっていながらも、なおずきずきと痛む傷は、嵐のような襲撃が現実であった事の証。



 立ち上る煙に気付いて急行した本隊が到着したのは、それから一時間と経たない頃だった。






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