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永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

 ずぞーずぞーと麺をすする音が食堂に響く。
 今日のようにハードな訓練を行なった日の食事は、大抵消化がよく食べやすい麺類になる。エドネス謹製の手打ち麺は隊員からも好評で、常日頃時間がある時に作り置きを確保しているほどだ。

「あー、食べた食べた、っと」
「ん……♪」
「私、いつも思うのですけれど……この早食いは、淑女としてどうなのでしょう?」

 逸早く食べ終えて満足げなフィルフィとイズラを横目にメルシアードがぼやく。
 清廉潔白を地でいくメルシアードにとって、軍人の必須スキルとはいえ、この早食いには思うところがあるらしい。

「とか何とかいいつつ三番目に食べ終わってるじゃないですか……」
「あはっ、リリスっていっつも最後だもんね」

 これはエドネスも他の隊員も意外に思っている事だが、食べるのが一番遅いのはリリスだった。あれだけ早く舌も口も回るくせに、いざ物を噛むという段になると、途端にゆっくり丁寧になる。

「む〜、これでも頑張ってるんですけどね〜。もう暫くしたら落ち着いて食事も出来なくなると思うと急いで食べるのがもったいないと思ってしまうわけですよ」
「ああ、そういう事ならわからないでもないわね」
「私個人の考えは別としても、私たちの小隊にとっては久方ぶりの落ち着いた食事ですから、なおの事味わって食べたいところですけれど……そうも言っていられませんわね」

 付け足すように紡がれたメルシアードの呟きに、静寂が導かれる。
 第零独立遊撃隊の面々は、錬度にややばらつきがあるものの、総じて熟練兵である。
 しかし、経験した戦闘は須らく小規模――戦闘の激しさは別として――であり、いわゆる「戦争」を経験した事は、ない。

 ――否、今回の戦争は、誰しもが経験した事のない規模になるのだろう。
 大陸を二分する大戦争。両軍合わせれば優に百を超えるスピリットが動員されるだろう世界大戦。
 食事は愚か、満足に眠れない日々が続く事になるのだろう。激しさを増せば、命は愚か、五体の安全さえ儚いものになるのだろう。
 それは、なんて――。

「……シェリオ、怖いかい?」
「!」

 フィルフィの声量は、ほんの囁く程度のものだったけれど。抱いていた思いを見透かされたシェリオにとって、それは何よりも大きく聞こえた。
 隊への加入が最も遅く、戦闘経験も乏しいシェリオ。初めての本格的な戦闘が、こうも大規模な物になるとは思いもよらず、それ故に抱く不安もひとしおであった。

「……は、い……。怖い、です……っ」

 言葉にする事で一層その念を強くしたか、シェリオの青い瞳からぽろぽろと雫が零れ落ちる。
 
 怖い、怖い。
 死んでしまうかもしれない事が怖い。
 たくさんたくさん、自分の同胞を殺さなくちゃいけない事が怖い。
 頼もしくて優しい隊のみんなが傷つけられたり、殺されたりするかも知れない事が怖い。
 そしてなにより、最愛の姉、リリスと死に別れてしまうかも知れない事が、怖くて怖くてたまらない。
 その未来を想像して、シアスはとうとう嗚咽をあげ始めた。みっともない、情けない姿を見せてはならない、そう思いはするけれど、恐怖に囚われた身体は思うように言う事を聞いてくれない。
 ――その呪縛をふわりと断ち切ったのは、思いもよらぬ一言だった。

「そう……。なら、その恐怖を忘れずにね」
「――え?」

 涙を零しながら呆けたような顔を向けたその先には、穏やかに微笑むフィルフィ。後ろではメルシアードやリリス、もちろんエドネス達にも責めるような気配は見せず、むしろ穏やかに、ぐずる幼子をなだめるような。

「な、んで、ですか?」
 
 シェリオにはわからない。
 だって、怖くて剣を握る手が震えてしまう、恐ろしくて呪文を紡ぐ唇が強張ってしまう。これじゃあろくに戦えない、みんなを守れない、自分を守れない――。
 そんな不甲斐なさを、隊長たるエドネスや、フィルフィを始めとする指揮官クラスが容認するとは思いもしなかった。

 涙を零しながら戸惑うシェリオに、フィルフィは優しく微笑みかける。

「ねえシェリオ。あんたは生きてる?」
「え? ……はい。生きてます、けど」

 何を、と困惑しつつも答えたシェリオに頷いて。フィルフィは己の胸に手を当てる。血潮が流れ、命が脈動する、そこに。

「そう。あたしたちはね、生きてるんだ。確かに、死ねばマナの霞になって消えちまうけど、それでも、暖かい血が流れる生物なんだ。殺されたら死んじまう生物なんだ」
「いき、もの……」

 生物。無害に等しいエヒグゥから凶悪な黒狼まで。
 さらには――人間。
 ――それらと、同じ?

「……もちろん、立場は違う。戦闘奴隷であり消耗品であり、省みられる事のない、ただのモノに過ぎない。……でも、それは人間から見たあたしたちだ。あたしたちまでそれに合わせる必要は、ないんだ」

 言葉と共に向けられる、その視線。シェリオはその瞳に目を奪われる。
 見慣れた茶目っ気ある輝きではない。
 希望しか知らぬ無垢な光ではない。
 絶望しか知らぬ空虚な瞳ではない。
 酸いも甘いも知り、希望と絶望を等しく抱き、曇りも濁りも光も清さも湛えた、足掻きなお目指す者の瞳。
 
「恐れを知る事は、自らが限りある命を持つ生き物だと知る事。だから、あたしはそれを忘れて欲しくないんだ。まあもっとも、戦闘中は押さえ込んでもらわなきゃ困るけどね。……恐れと、それを屈服させるだけの何かを見つけたら……きっとシェリオも強くなれるよ」

 そう言って、フィルフィはからからと笑った。その後ろではメルシアードやリリスたちが、そしてエドネスが、同じような瞳で、同じような笑みを浮かべている。
 それは、なんと逞しく頼もしい笑みか。

 この人たちとなら……いつか、きっと。

 気付けばシェリオは、まだ涙の残る顔で、それでも笑顔を浮かべていた。



 法王の壁が突破されたという一報が届いたのは、それから一月ほど経ってからの事だった。





「さて、全員揃っているな」

 決して大きくはないスピリットの詰め所の、決して広くはない食堂から、食卓や椅子を退けてどうにか確保したスペース。そこに一堂に会した面々を、エドネスは見回した。
 厳しい任務をこなし、幾度もの死線を共に越えてきた、頼もしい九名の部下たち。
 集まった理由は他でもなく、新たに下された任務のためのブリーフィング。幾度も繰り返してきた光景だが、今回はいつもと勝手が違っていた。
 今まではどこかうきうきした様子を見せる事が多かった年少組も、雑談交じりで砕けた感じだったベテラン組も、今は一様に緊張した面持ちをしている。
 いつも能面のような表情のマインドの低い面々でさえ、どこか表情が硬い。
 それも仕方のない事なのだろう。まだ伝えられていないとはいえ、状況的に、今回の任務はこれまでのものとは一線を画すものになるのが明らかなのだから。

 手にした封書を開き、作戦指令書を取り出し一瞥する。見れば見るほど胃が痛くなりそうな内容だが、それを顔に出すような事はせず、エドネスは努めて事務的に言葉を発する。

「知ってのとおり、リレルラエル方面軍は先日の法王の壁防衛戦で敗北し、法王の壁を奪取された。保有戦力の八割以上を投入したにもかかわらず、だ。防衛部隊は壊滅、残存兵力は既にリレルラエルに撤退を始めているが、この先控えているリレルラエル防衛戦に於いては使い物にならないだろうと予想される」

 ラキオスの総戦力は、帝国のそれに遠く及ばない。帝国とソーン・リーム中立自治区を除く全ての国家を吸収した今、潜在的な戦力は帝国に比肩するだろうが、如何せん時が足りない。各国の残存兵力を吸収したとはいえ、防衛戦であるならばリレルラエル方面軍だけでも押さえ込める見込みであった。
 だが現実には法王の壁は陥落、リレルラエル方面軍は壊滅状態という悲惨な有様である。

「やれやれ……。何だって補給も援軍も十分見込めたっていうのにわざわざ野戦を仕掛けちまったんだろうねぇ。いくら今まで攻める戦いばかりだったからって、お粗末過ぎて笑っちまうよ」
「仕掛けるのでしたら、もっと戦力をつぎ込むべきでしたわね。軽率なくせに臆病、なんとも救えない指揮官ですこと。……もっとも、救う気なんてさらさらありませんけれど」

 フィルフィが鼻で笑い、メルシアードが冷淡に蔑むのも無理はない。法王の壁防衛部隊を任された将軍は、中途半端に優位を笠に着たか、事もあろうに堅牢な要塞である法王の壁から出て、野戦を仕掛けてしまったのである。それも法王の壁に後詰めとも最低限の防備ともいえない、なんとも中途半端な戦力を残して。
 これに喜んだのはラキオス軍。頑強な甲羅に籠っていた亀がのこのこと頭と足とを出したのだ。これに手もついて五体満足の状態になられていたら厄介だったろうが、そうでないならやりようはある。これ幸いと徹底的に叩いて叩いて、粉微塵になるまで叩きのめした。
 結果、防衛部隊は法王の壁に残っていた部隊を含めても、開戦前の半数以下にまで数を減らしてしまった。攻撃三倍、とまではいかないが、これによってラキオス軍が楽になったのは確かである。
 結局、以降の篭城戦――ラキオス的には攻城戦――で法王の壁の防衛力を活かしきる事が出来なかった防衛部隊は哀れ壊滅。片手で足りる残存兵力は、ほうほうの体でリレルラエルに撤退した。

「普段散々こき使うくせに、こういう時にあたしらを使わないなんて……。ああ、いや、使えないのかねぇ。ったく肝っ玉の小さいこって」
「理不尽に使いまわされるのもイヤですけど、使われなかったせいで理不尽な負け戦に付き合わされるのもイヤですね……」

 あからさまに不機嫌なフィルフィに怯えつつも、やはりシェリオも不満げである。

「まあそう言うな。単純な兵力では、やはり此方が圧倒的だったんだ。俺でも勝てると踏むさ。それに俺たちの投入だが……司令はそのつもりでいたようだが、参謀本部が頑強に抵抗してな。士気と統制の低下との天秤で、断念したらしい」
「プライドだけは一流ね、全く」
「ハリボテ野郎」
「は、ハリボ……に、ニルギスさんも言いますね……」
「そりゃニルギスも言いたくなるわよ実より皮を取るっていうのか外ッ面ばっかり気にしてワタクシはキチガイ部隊などと関係ない真っ当な帝国軍人なんですぅってあなた馬鹿ですか真っ当なら必要な十全をきっちりやっとけっていうのよそれが出来もしないのにうだうだうだうだアホらしいって事なのよシアスわかった?」
「……お前が今日も舌好調なのはよくわかったよ」

 今日は誰も彼もがちょっぴり有毒。黙ったままなのはイズラとユウラ。ユウラは無口で周囲に無関心だし、イズラはエドネスと隊の仲間に直接的な害が及ばない事象に対して興味がない。それに、こんな状況も。

「ねぇ、エディ」
「なんだ? イズラ」
「よくわかんないけど、結局いつもどおりなの?」

 きょとん、と。エドネスにしては珍しい表情。「ん?」とイズラもそれに首を傾げて返す。イズラにしてみれば、確かに経緯や規模は違うけれども、いつもどおりに厄介事が舞い込んできて、いつもどおりにそれをエディと解決しに行く、という認識でしかないのだ。

「……くくっ、はははははっ。ああ、そうだな、いつもどおりだ。大した事じゃあない」
「ん。なら、いい」
「……お前は大物だよ、イズラ」

 周囲なぞどこ吹く風。在るがままのイズラに、羨望と安堵を感じるエドネスであった。

「さて、続けるぞ。現在、ラキオス王国軍は補給のため、防衛隊を法王の壁に残し主力はケセムラウトに撤退しているが……再侵攻は時間の問題だ。当然それを放置するわけにはいかない。しかしながら、リレルラエル方面軍は法王の壁防衛戦で被った痛手から全く脱却出来ていない。つまり他の方面軍からの援軍を待たなければならないのだが、現状ではその時間がない。なんとしても援軍到達までの時間を稼がねばならない。そこで遊撃部隊として各地を転戦してきた我々が抜擢されたわけである。……ああ、今更だなんて思うなよ。それこそ今更だ」

 再び膨らみかけた不満の空気に釘を刺し、続けるエドネス。

「さて……今回の任務で実際に採るだろう行動は、敵の主力が法王の壁に帰還する前に防衛部隊を叩く奇襲と、敵が侵攻を開始してからの遅滞防御になる。拠点に留まる事なく、常に敵の隙を窺い圧力を掛けて進軍を遅らせ、あわよくば戦力、戦意を削ぐ。精神的な消耗戦だ。また、リレルラエルに帰還して補給を受ける事は許可されていない。これはリレルラエルへの移動ルートを悟られる事を回避するためである。つまり我々一部隊のみによる、無補給無支援での作戦行動となるわけだ。そして相手はエトランジェを含めたかつてない最強の敵である。厳しい任務になる事は疑いようもないが、奮起してもらいたい」

 ……と、エドネスはここで一息を吐き。

「まあ、要するにあんまりにも敵が強そうだから、今更だけど私たちの力を貸して欲しい、という事だ」

 にやり、不敵な笑みを浮かべてやった。

『………』

 一同は一様に呆けた表情を見せた後。ベテラン組はエドネスが浮かべたそれと同質の笑みで応え、年少組は苦笑いで応えた。

「ま、エトランジェ率いる部隊に太刀打ち出来る兵なんざ、あたしらぐらいしかいないってこったね」
「自信はよろしいですが過信は禁物ですフィルフィ殿。……まあ、仰っている事自体は、強ち間違いではないでしょうけれど」
「メル、言うね。私も、攻撃、全部受けきってみせる」
「わ、わたしは避けれるものは避けといた方がいいと思うんだけど……。うう、お子様だからわかんないのかなぁ……」
「……リリスお姉ちゃん」
「うんうん私にお任せだよシアス。ちゃんと守ってあげるからねっ」
「一大決戦ね、腕が鳴るわ」
「………っ」
「今度も、エドネスが一緒……」

 過度の緊張状態にあった隊員の表情、雰囲気が柔らかくなる。
 ……一番最後に聞こえた呟きが、違った意味で若干気になったが……まあこの分なら大丈夫だろうと無視を決め込んだ。

「さて、大雑把な行動計画だが……まず今晩中にリレルラエル〜法王の壁間の各ルートに罠を設置する」

 壁に掛けてある該当地域の地図に、いくつかのバツ印が書き込まれる。

「このように……な。この際、必ずしも実際に全ての罠が効力を発揮する必要はない。罠がある事を認識させ、疑わせ、その進軍速度を殺ぐ事が第一目的だ。直接戦力を殺ぐのは二の次でもいい。……加えて言えば、法王の壁への奇襲で敵を殲滅出来れば、この下準備は見事に無駄骨となるわけだ」
「ははっ、そいつぁあいいね。逆に帰り道であたしらが引っかからないようにしないとねぇ」

 エドネスの軽口にフィルフィがにやりと笑いながら答え、不謹慎ですわよとメルシアードが苦言を呈し、つられて他の皆が笑う。
 ブリーフィングが始まって再び硬くなり過ぎていた空気が緩んでから、エドネスが仕切りなおす。

「罠を仕掛け終わったら、払暁に法王の壁に駐屯しているであろう敵部隊に襲撃をかける。ここでは、可能な限りの被害を与えた後、迅速に森まで撤退。以降は、仕掛けておいたトラップと、我々の移動経路で進軍方向の混乱を誘い、進軍を妨げ、且つ絶えずプレッシャーを掛け続ける遅滞防御を基本とする事になる。時折は攻勢にも出るがな。リレルラエルとの交戦圏内に侵入された時点で任務終了となり、以降はリレルラエル防衛部隊指揮下に入る事になっている。概略は、以上だ」

 しゃき、と伸縮型の指示棒を縮めて一段落。口元に手を当てていたフィルフィが、一つ二つと頷いた。

「ふむ……。特に疑問をはさむ必要はなさそうですね。細くも道中追々でもよさそうだ」
「よし。では十分後に出撃する。解散」

 本来ならこの任務内容で十分後に出撃、など無理な話だが、慌てたりする者はいなかった。
 これまでもいいように使われてきた経験上、全くの突然に作戦を与えられても、大掛かりな遠征のように物資を大量に必要とする作戦でなければ、凡そ十分以内に出撃できる態勢を常に整えているのである。



 そして十分後。仕度を整えて正門前に向かうと他の面子は既に勢揃いしていた。

「隊長ーっ、遅いですよーっ」
「すまんなリリス、みんなも。ちょっと仕込みを用意していたのでな」
「お構いなく。時間内ですから」
「などと言いつつ、一番早くやって来て「隊長、早く来ないかしら」と焦がれていたメルであった」
「フィルフィ殿! 変なナレーションを付けないで下さい!」

 やいのやいの。
 女三人寄ればなんとやら。その三倍もの人数が集っているのだから、賑やかにもなろうが、しかし。

「……ふふっ」
「……エディ、どうしたの?」

 これから決死の任務に赴くというのに、気負いの欠片も表に出さない部下たちを見ていたエドネスは、思わず笑い声をこぼしてしまう。
 けれどそれも一瞬。
 近づいて不思議そうに見上げるイズラの頭を一撫でして。

「よし……出発!」
『了解!』

 出立の声も高らかに、第零独立遊撃隊は出撃する。
 これが後の世にまで語り継がれる、一大叛逆劇の幕開けの瞬間となると予想できた者は、ただの一人も存在しなかった。



 一列縦隊で行軍を始めてしばらくした頃、フィルフィがエドネスに尋ねた。

「ところで隊長、仕込みって何ですか?」
「ん? ああ、あとで説明するつもりではいたが……今回は防衛施設攻略だろう? 法王の壁の強固さは知っている。如何にお前たちが精鋭でも、こんな寡兵でまっとうな攻撃は出来んよ。なら、まっとうじゃない方法で、内側から崩そうと思ってな」

 言って、フィルフィに自分の背負う荷物の一つを覗かせた。

「……ははぁ〜ん。なるほど。相変わらずあくどいですねぇ」
「はは、賛辞として受け取っておく」

 そんな一幕が、あった。






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