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永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

 もぞり、と。夜も明けきらない暗い室内で身をよじる影が一つ。
 影――エドネス・ノア・ディードの朝は、早い。というか、速い。
 身をよじったかと思うと、もう既に身を起こしている。身を起こしたかと思えば既にベッドから降りて立ち上がって――いるのがいつもであるが、今日はまだ傍らで眠っているフィルフィを起こさないように、ゆっくりそっと立ち上がる。
 そこからドアまでの、起き抜けだというのにそれを微塵も感じさせない機敏な動作は、しかし殆ど音を立てない静かなもの。普段はぎしぎし不服ばかりの床板さえ、眠るフィルフィに気を使うかのように静かだった。

 部屋を出たエドネスが向かうのはまず裏庭の燃焼室。火を入れて、後から起きてくる皆がお湯で洗顔を、好む者はシャワーを利用出来るようにしておくのが倣いである。

「……少し臭うか」

 ついでに自身もシャワーを浴びる事にする。身だしなみを整えるのはもちろん、ニルギス、レイオン(年長組み)とリリス(耳年増)に余計な詮索されないようにするため、そしてメルシアードにお説教されないため、である。

 ざあ、と頭から熱いシャワーを浴びれば当然汗やらなにやら、諸々の汚れを伴って肌の上を湯が走る。石鹸もつけずに手拭いでごしごしと、身を削がんばかりの力で身体を清める。
 どこかヒステリックなまでに己に纏わりつく何物をも取り払おうとするその行為は、身削ぎ、禊ぎ。
 決して、ついさっきまで寝所で触れ合っていたフィルフィを汚らわしいと思っているわけではない。潔癖症であるというわけでもない。
 では何が駆り立てるのか、何に駆り立てられるのか。

「……どうか迷わず進めるように」

 祈る神も知らず、ただ何かに祈る言葉は、自身を迷わせる物を削ぐためだと。
 ならば何に迷うというのだろうか。
 長く連れそうフィルフィにさえ、未だ明かさぬその迷いは、何なのか。

「……よし」

 エドネスが一つ頷いて、それで吹っ切れたつもりでいるうちは、それを外に漏らす事はないのだろう。


 身体を拭き拭きエドネスがシャワーから出る頃には、館も少しずつ起き始める。
 頭上で板のきしむ音、階段方面からも同様で、こちらは気配が数多い。

「あら隊長、おはようございます。今日もお早いですわね」
「ん〜、やっぱりどうあがいても隊長よりは早く起きられないのよね〜。何故だ何故だろう何故なのでしょう?」
「も〜、リリスったら朝から元気すぎるよぉ……」
「寝起きにはちょっときついわね」
「全会一致。リリス、黙って」
「みなさん辛辣ですね……。寝起きだからですか?」
「―――」
「皆おはよう。口も頭もきちんと回っているようだな、結構」

 メルシアードにリリスシアス、レイオンニルギスシェリオにユウラ。
 若干眠そうな者はいるが、それでも全員ちゃんと起きている。となると上の気配はイズラと部屋に戻ったフィルフィか。
 そんな予想は正しく、遅れてどたばたと二人がやってくる。

「やあ、寝過ごしたってほどじゃあないにしてもちょいと遅れちまったねぇ」
「寝る子は育つ……けど、フィルはもう十分だと思う」
「二人とも、おはよう。これで全員起きたな。ちょうどいい、今日の予定を伝える」

 途端、全員が一糸乱れず気を付けの姿勢をとる。

「第一小隊及び第二小隊」
『はッ』

 第一小隊(フィルフィ・イズラ・ユウラ)と第二小隊(リリス・シアス・シェリオ)の計六人が鋭く返事。
 因みに、これが第零独立遊撃隊の基本編成になる。もちろん、状況や作戦内容によってメンバーをいじる事は多々あるし、3・3・3だけではなく5・2・2や6・3など変則的な編成にする事も多々あるが。
 閑話休題。

「〇六〇〇までに準備を整えて訓練所に集合」
『了解!』
「第三小隊」
『はッ』
「一三〇〇……いや一四〇〇まで詰め所で待機。以降は自由時間とする」
『了解!』
「……見逃すと思ってか?」

 伝え終え、がらりと空気を変えてエドネスが笑い、

「もう、お見通しでしたのね、やっぱり」

 メルシアードが姿勢を楽にして困ったように笑っている。
 彼女は訓練の虫である。というか鬼。それはもう三大欲求が食う寝る訓練なんじゃないかというくらいに。体の維持、増進に必要な最低限の食事睡眠は摂るものの、飽くまでそれは最低限でしかない。

「当たり前だ。訓練熱心なのは結構だが、もうじきろくに休めなくなるんだ。特にお前たちは任務を終えたばかりなんだから、しっかり休んで体調を整えておく事」
「……そうですわね。しかと了解いたしましたわ」

 先程の緊張とは意味を違える緊張が一瞬張り詰める。たった九人が出動が近いという事を聞いただけで、何百人集まっても醸し出される事のなかった緊張感に廊下が満たされる。

「頼むぞ」
『はいッ』

 唱和する力強い声を聞き届けて踵を返す。
 戦いの時は近く、心構えは既に出来ている。後は力を磨くだけとなれば、訓練を控えて気合も入るというものだった。



「……さて。では始めよう」

 〇六〇〇ちょうど。十分前に既に勢ぞろいしていた第一、第二小隊の面々を前にエドネスが宣言する。

 訓練といっても、ただでさえ人間とスピリットでは身体能力で差がある上に、隻腕隻眼というハンデまで抱えているエドネスが彼女らに戦闘稽古をつける事は出来ない。
 何より、そういった訓練をつけるために、訓練士という専門家がいるのだ。
 ……いるのだが、居並ぶ面々はかつて訓練士の歴々から匙を投げられた者ばかり。匙を投げたはいいが、蓋を開けてみれば一流になりました、となれば訓練士にしてみれば面白くない事この上ない。加えて今は下賎なエドネス・ノア・ディードの部下ときている。土下座と袖の下でやっとこ稽古を片手間にでも見てもらえるかどうか、といった具合である。
 自然、エドネスが稽古をつける事が多くなる。

 ところで、怪我の巧妙というかなんというか、彼女らが他で芽が出なかったのは、偏に自我水準が低すぎた事にあるらしく、自我を取り戻すに連れて才能が開花するという結果になった。
 閑話休題。

 エドネスがつける訓練は、まっとうな専門家がやらないものがメインである。
 成る程、確かにエドネスの戦士としての能力は決して高くない。スピリットは言わずもがな、相手が人間であっても、一流の戦士と面と向かって戦っては勝機は薄い。
 しかし隻腕隻眼になってからの六年間、常に過酷な戦場を駆け回ってきたのに、彼は今も生きている。
 スピリットにだけ戦わせて自分は安全な後方に下がっていれば出来なくもないだろうが、エドネスはそれを自分に許さなかった。常に前線に立ち指揮を取り続けた。
 負った怪我など数知れず、命の危機など枚挙に暇がない。
 それでも彼は生き抜き、そしてここにいる。

 それを可能としたのは、常に少数で敵陣を駆け回った豊富な経験と、隻眼となった事で研ぎ澄まされた、類稀な気配察知及び制御の業である。

 現在を含め、エドネスがこれまで所属してきた部隊は、どちらも少数で単独行動をとる事が多かった。『第零独立遊撃隊』しかり『対マロリガン機動諜報隊』しかり。
 どちらの部隊も質はともかく、量が心許ないのは否めないため、奇襲を仕掛けでもしなければ勝利は難しく、同時に奇襲を受ければ全滅は免れず、そもそも戦闘を極力回避しない事には、存続すら危うい始末だった。
 必然的に、損害を受けにくく、かつ敵に出血を強いて確実に戦果を挙げる戦法を採る必要があった。
 即ち――ゲリラ戦である。

「よし、では準備してくれ」
 
 目の前には各員の神剣の形状を模した木刀、それに目隠し。目隠しの方は完全に視界を奪うものではなく、数メートル程度ならばぼんやりと見透かす事が出来るものである。

「うあー、私この訓練って疲れるから嫌なんですよね〜。主に精神的に。肉体的に疲れても痛くても打ちひしがれても格闘訓練とかの方が気楽ですからね〜」
「……無駄口叩けるのは今のうちだけだからな、見逃してやろう」

 これから行われる訓練は、神剣の加護を断ち、視覚を制限された状態で第一小隊と第二小隊とで鬼ごっこをするというもの。
 フィールドは彼らがいる森の中全域で、制限時間は二時間。前半の一時間は第一小隊が、後半の一時間は第二小隊が鬼を担当する。
 ルールは単純、逃げる側は一撃を身体に貰った時点で捕まった事になる。逃げる側が鬼に攻撃を仕掛けてもいいが、鬼が退場する事はなく、規定の時間行動不能になるだけである。

「全員準備はいいな? いつも言うように、神剣を使いこなすには、それを扱う自分の肉体を使いこなせなければならない。そしてそれは気配においても同様だ。神剣の気配を制御するには己の気配の制御の仕方を知らねばならない。それを踏まえて訓練に臨む事。成果の上がらん奴には居残り特訓を課すからそのつもりで」
「げっ……、あ"っ」

 嫌そうな声とやっちまったと言わんばかりの声はリリスのもの。仲間から憐憫の視線が向けられる中恐る恐るエドネスの顔を窺うと。

「嬉しそうだなリリス、特別にお前は午後の訓練を二割り増しで取り組ませてやろう」

 素敵な笑顔が張り付いていた。

「うっ……ありがとうございます!」
「では十分後に開始だ。第二小隊散開!」

 呆れたような笑い声と「鬼だぁ〜」という声を残して面々があっという間に森の中へと消えていく。見る限り目隠しをしているのが嘘のような速さである。

「ふむ。最初の頃とは別人のようだな」
「障害物にぶつからないように移動するだけで手一杯でしたからねぇ」
「物の気配も読めなかった……」

 懐かしむようなフィルフィとイズラ、その傍らのユウラはというと、見て取れるほどの憂鬱さを滲ませている。

「ん、ユウラはやはり苦手か」
「―――」

 こくりと首肯。
 神剣との同化が最も進んでいるユウラは、神剣の気配には敏感に反応出来るものの、自我の薄さ故か、気配を隠すのが非常に下手である。要は察知するのは速いがされるのも速いのだ。

「コツさえ掴んで化ければ、とんでもない事になると思うんだが……」

 敵に気付かれず接近しその大火力を叩き込み、そして悟られずに撤退する。そんな戦い方が出来るなら確かに怖いものはないかもしれない。

「そうそう、総合的な打撃力はメルの小隊より上なんだから、そこさえどうにかなればあたしら最強だよ?」
「最強なら、生き延びれるから。……がんばろ?」
「―――、――、努力、する」

 こくり、三人ともが頷きあった。

 その後柔軟やら準備運動を繰り返すフィルフィたちを眺めるうちに、エドネスの体内時計が時間を告げる。十分程度ならば三秒の誤差も生じないその感覚は、フィルフィたちにも根付いているのか、おもむろに目隠しを確かめた。

「では時間だ……第一小隊散開!」

 ざっ、と地を蹴る音も軽やかに、三人の鬼娘が森へ突き進む。
 その後姿が森へ溶け込むのを見届けて五分後。

「さて……俺も行くか」

 彼女らが鬼娘ならば、この男は真に鬼か。
 するりと流れるような動作は彼女らのそれとは比べるべくもなく遅いものだけれど。
 地を蹴ったというのに音もなく、枝を踏み台にしたというのに風のそれと見紛う程度にしか揺れもせず。
 枝葉の折れ具合や地面のへこみ具合を、速度も落とさず目敏く見つけ出し、静かに、しかし確実に森を突き進む。

「ん……」

 数多の葉音風声をくぐり抜けたその微かな音を聞き届け、エドネスは足を止め――る事なく走るリズムを維持して進路を変えた。
 最初の一音は、恐らく枝を蹴った際にしなって揺れた葉音だろう。ならば後に続くのは今し方耳に届いた木と木がぶつかる乾いた音。一つ二つ、三つ四つと続いた時点で、シェリオとシアスの迎撃――そう、迎撃である――を捌き切れなくなったユウラがダブルセイバー型の木刀を弾き飛ばされた……。
 視界に捉えてもいないうちから、エドネスの脳裏にはまるで見ているかのようにその状況が再現されていた。


「退いて!」
「はいっ!」

 果たして、エドネスから数百メートル離れた場所では、彼の思い描いたとおりの光景が展開されていた。
 指示を飛ばすシアスの鋭い声には、いつものおどおどしたところは微塵もない。上空から逆落としに突っ込んで来るユウラを事前に気配で察し、手信号でシェリオを呼び寄せ余裕を持って二人で迎え撃ったのだ。
 今その場にいないリリスはというと、持ち前の機動力でイズラとフィルフィを足止めしている最中である。その隙に二人は一目散に逃げて行き……十秒ばかり遅れて、リリスも先行した二人を追い越さんばかりの俊足でその場を離脱する。
 が、しかし。

「逃がさない……ッ」

 追うイズラは更に速い。その神速を以ってすれば、逃げる三人を補足する事は容易いだろう。

「お待ちッ! 深追いするんじゃないよ!」

 ほう、エドネスがと感心したのはフィルフィの判断が適切だったのと、イズラがあっさりと追撃の足を止めたから。

「確かにあんたの足なら追いつくのは簡単だけど、三対一じゃあ返り討ちだよ。訓練とはいえそんな下手打つわけにゃあいかない」
「ん……じゃあ、立て直す」

 先程までの剣幕はどこへやら、刀も気合もあっという間におさめるその切り替えの早さは見事に尽きた。

「やっぱりユウラをどうにかせん事には始まらないかねぇ。単独で行動してたら今みたいに歯止めが効かなくて突出しちまうし、かといって抑えるために一緒に行動してたらばっちり読まれちまうし」

 こういう時、フィルフィは歯に衣着せぬ物言いをする。
 もちろん悪気あっての事ではなく、事実は事実としてしか認識していないだけ。遠慮して指摘できなければ命が危うくなるだけなのを理解しているからだ。イズラも同じ考えなのか、渋い顔をしている。

「がんばろうとは言ったけど……これじゃ駄目」
「―――、――」

 消沈しているのか、とぼとぼと木刀を拾って戻るユウラの足取りが物悲しい。彼女自身、理解はしているし努力もしてはいるのだが、どうにも上手くいかずにいる。訓練故にディバインマジックを使えないという状況も、ユウラの能力発揮の機会を奪っていた。

「ん〜……敵を見ると殺気立っちゃうってのは、もう条件反射みたいなものだから仕方ないかねぇ。年単位の時間掛けれるなら話は別なんだけど」

 一般的に、一度失われた自我を取り戻すのは不可能とされている。ユウラの場合、自我の片鱗とでも言うべきものが残っていたため、ここまで持ちなおす事が出来たが、それも奇跡に等しいエドネスの二年間の尽力の結果である。
 これ以上の改善は殆ど望めず、しかも短期間でなど夢のまた夢。

「そこんとこ考慮してなんか手立てを考えないとねぇ……」

 額を寄せて悩み顔。たっぷり三十秒も悩んだ頃。

「……木を隠すには森の中……」
「ん? どういうこったい?」
「つまり―――」

 ぽつりと呟いたイズラの案を聞くうちにフィルフィの顔がにやけていく。

「なるほど……それならいけそうだね。実戦にも活かせそうだし。それでいくよ!」
「ユウラが、頼り……お願い」
「――、う、ん」

 表情に自信を蘇らせた第一小隊の面々を満足げに見送って、エドネスは音もなくその場を立ち去った


 フィルフィたちの即席会議を見届けたエドネスは、今度はリリスたち第二小隊を捜し求めていた。
 正直なところ、彼は最終的に第二小隊は一蹴されると確信していた。
 個々人の戦闘能力は十分に高く、ブルースピリットがいないという防御面での不安を補って余りある攻撃力を有する第一小隊。
 対して、未成熟なスピリットを二名抱え、攻防共に不安の残る第二小隊。
 個々の能力を見れば、結果は火を見るよりも明らかだ。
 しかし、それを拮抗状態まで持ち込みえる要素が二つあった。
 一つは、ユウラというお荷物を抱える第一小隊を凌駕する、隠密性能の高さ。
 そしてもう一つが、隊員の――特にリリス・シアス姉妹の超絶的な連携である。

 スピリットには血縁という概念はない。しかしこの両者の間には極めて強い繋がりがあり、人間の双子も斯くや、という共感を見せる。
 その二人が連携して繰り出す剣技は、互いの一撃が、それぞれの布石となっており、確実に相手の逃げ場を封じて追い詰める、非常に嫌らしい代物だ。これでシアスのレベルが上がったら末恐ろしい事になる、とはメルシアードの弁。
 加えて、シアスは受身な性格のなせる業なのか、相手の動きに合わせるのが非常に上手いので、先程のようにシェリオとの即席コンビでもそれなりの実力を発揮させる事が出来る。

「とは言え所詮は即席だからね〜。ユウラさんだったからよかったけど、フィルフィさんかイズラだったらやばかったんじゃない?」
「う、うん……。で、でも、上手くリリスが足止めしてくれてたから、あんまり不安じゃなかったよ?」
「ん〜、嬉しい事言ってくれるじゃないのっ。それにシェリオもきちんと合わせれてたしね、いい感じだったよ。その調子で次も頼むよっ」
「はいっ!」

 無防備に喋っているように見えて気配を探る意識に緩みはなく、移動する速度も落ちはせず。その様子は、風下で後を追いながら話を聞いていたエドネスを取り敢えず満足させた。

 ――しかしフィルフィたちも次は秘策を引っさげてくるようだし……どちらも腕の見せ所か。



 どうくるのか、どう受けるのか。
 片や恐々としつつ、こなた楽しみにしつつ移動を続けてはや十分あまり、まずエドネスがそれに気付き、遅れてリリスとシアス、シェリオとその場にいた全員が気がついた。

「……ん〜、一名様ご来店〜。この気配は常連さんですにゃ〜?」
「ゆ、ユウラさんまた突出しちゃったのかなぁ……?」
「でも、ぼく結構念入りに痕跡消しながら移動したつもりだったんですけど……こんなに早く近付かれるなんて……」
「そりゃ構成員全員が走攻守各三傑に名を連ねてるんだもの、実力的には遅いくらいじゃない?」

 因みに走の三傑はイズラ、メルシアード、レイオン。攻の三傑がユウラ、メルシアード、フィルフィ。守の三傑がフィルフィ、ニルギス、レイオンである。

「まあ隊長だって私たちが最後まで逃げ切れるとは思ってないでしょ。フィルフィさんたちがなりふり構わず攻めてくれば一瞬でけりがつくわけだし? そこをどう粘るかを試そうっていう事だと思うにゃ〜」
「さしあたっては逃げないと、ですね」

 とシェリオが言った時には駆け出している。
 迫る気配も気付かれた事に気付いたか、速度を上げて追いすがる。そして。

「――ッ!?」
「ぅあっ!?」
「ひッ!?」

 殺気。殺気殺気殺気! 
 最早隠そうともしない、訓練とも思えないほどの濃縮された殺気が襲い掛かる。
 怯む間にも殺気はどんどん濃密になり、質量さえ持って首筋にちりちりとした感覚を押し付けるかのよう。
「くっ……速いッ!」

 悲鳴のようなリリスの声、逃げていながらじりじりと濃くなる気配は、いよいよ背後に実体を持って現れようとしている。

「残り二人の気配は!?」
「見当たらない! でもこれじゃあすぐに来ちゃう!」
「も、もしそうなったら……ッ」

 ――逃げ切れない。
 そう悟ったのだろう、三人は目で頷きあって背後の敵への迎撃体制に入る。

「――なるほど」

 そう感嘆の声を上げたエドネスの視界には、ユウラが撒き散らす殺気と物音を見事に隠れ蓑にして肉薄し、木刀を振り上げながらリリスたちに両サイドからの挟撃を仕掛けるイズラとフィルフィの姿が映っていた。



「隠せないなら隠さなければいい。上手く使われましたね〜やられましたねやられましたよこんちくしょー」

 頭には大きなこぶ、片手には折れた木刀。ソニックストライクで吹っ飛ばされて体中泥だらけの擦り傷だらけ。
 それでもリリスの表情はさばさばしたもの。痛めつけた張本人も、悪びれる様子もない。

「いや、気配だけ膨らませて位置を錯覚させるってのは確かにいい手だったねぇ。あたしはどうやって隠すかって事ばっかり考えてたから盲点だったよ」
「ユウラさん……お手柄。いえぃ」
「―――、―――、ぃぇぃ」

 イズラとユウラもいたくご機嫌の様子、ハイタッチなど交わして見せる。シアスが傍らで手のひらをじっと見詰めているのは、大方リリスとハイタッチがしたいなぁなどと考えているのだろう。

「あ〜、もうっ」

 さて悔しげなのはシェリオである。イズラによってあっという間に撃墜されたのは彼女自身仕方のない事だと思っている。
 しかし追撃側に回ってから、気配を掴んでいながらついぞ時間内に捕らえきる事が出来なかったのが許せないらしい。

「わかってるけど……わかってるけど悔しいなぁもぉっ!」

 ぺしんぺしんと地面を平手で叩いてじたばたする辺りはやはりお子様。

「ん〜、私だって悔しい事は悔しいよ? それに悔しいからこそ強くなろうって思うわけだし。でもでも得手不得手向き不向きはやっぱりあるわけで、抗い得ない壁というものもやっぱり存在するのですよ悲しい事に」

 それは例えば時間。
 まだ若い時期から前線を経験し、フィルフィやメルシアードといった一流どころの戦い方に触れているのだ、将来はその二人をも上回る実力者になれるかもしれない。
 が、しかしそれは飽くまでも将来の話。今現在、そして前線に投入されるだろう近日中では、シェリオが部隊中最弱のスピリットである事に変わりない。

「長期的な構想もあるにはあるがな、今見据えねばならないのは目の前の事。今目の前にある現実は受け入れる他ない。気配操作はもちろんなんだが、今回の訓練は自分たちの長所と短所を再確認し、それらを活かす、または補うためのものでもある。第一小隊ならばだだ漏れのユウラの気配を逆に活かし、お前たち第二小隊ならば連携のよさを最大限に発揮したわけだ。しかしまあ、今回の結果を見るにやはり第二小隊は索敵や追跡、第一小隊が攻撃を主に担当すべきだろうな」

 因みに、今ここにいないメルシアードたち第三小隊は隠密行動攻撃能力共に隙がなく、オールラウンドな作戦運用が可能である。

「適材適所という事と、足りない力は補えばいいという事。これらはしっかり理解しておいてくれよ」

 この言葉を以って午前の訓練は終了となった。
以降は、フィルフィのハーベストで傷を癒して、各員午後からのリリスお待ちかね神剣制御の訓練に供えて休む事になる。

「身体もそうだが、心をしっかり休ませるようにな」



「……まあ、休ませたところでこうなるのはわかっていたんだがな」

 死屍累々、とでもいえばいいのか。
 午前中の訓練も、慣れないスピリットが行えば疲労困憊、終わる頃には立ち上がる事さえままならなくなるようなものであるのだが。

『………』

 慣れているはずのフィルフィたちでさえ、立ち上がるどころか声を出す事も覚束ない有様である。

「よく頑張った。各々手応えは得ていたようだからな、これで訓練は終了とする」

 通常の訓練ならば、いくら倒れていようがバテていようが、罵倒してでも水をぶっ掛けてでも立ち上がらせるエドネスだが、この訓練ばかりはそうする気にはならなかった。
 神剣からの侵食に耐えつつ、かつ支配を強化し感覚を自分の物とする。そんな芸当は人間であり神剣を持たないエドネスには理解し得ない苦行だからだ。

「歩けるようになった者から解散してよし。風呂と食事の準備は私がしておこう。ではな」

『あ……ありがとうございました……ッ』
 


 部下たちがまだまだ訓練場でぐったりとしている頃。一足先に館に戻る、その道すがら。

「……いい加減に姿を現したらどうです? 昨日からこそこそと、服装同様に悪趣味ですね、ソーマ」

 傍目には人気のない道の真ん中でいきなり独り言を呟いたように見えるだろう。

「……私の服装の良さがわからないとは。貴方の美的センスの悪さもなかなかのものですよ」

 しかし答える声は確かに。ソーマは、路地裏の暗がりの中から滲み出るように現れた。

「貴方に美的センスを褒められたくはないです、この変態」

 認められたら、色々駄目な気がする、とエドネスは内心で思う。変態扱いにソーマが憤慨しているのは、徹底的に無視した。

「それに、昨日からなんのつもりですか? あんな程度の低い隠行で……」

 昨日、メルシアード率いる第三小隊が帰還した時のやり取りである。

 ―――――――――
「何人?」
「二人」
「惜しい、三人」
 ―――――――――

「気配は三つありましたが……貴方の気配以外は私の部下にきっちりと察知されていましたよ? あれで隠れているつもりなのだとしたら、ましてやあの程度でちょっかいを出す気でいるのなら……もう一度鍛えなおす事をお勧めします」
「言ってくれますね……」

 しかし反論するものの、ソーマも内心で舌を巻いていた。エドネスに気付かれるのは織り込み済み、その上で観察しようと思っていたのだが、スピリットにまで気付かれてしまうのは予想外の事だった。
 打撃力は自ら手掛けた妖精部隊の方が高い事は間違いなかろうが、総合的な戦闘力は、甲乙付けがたいものがあるだろう、とソーマはエドネスの部隊の評価を上方修正した。

「あれはただの様子見です。司令にも釘を刺された以上、手出しはしませんよ。しかし、貴方の部下は実に強く美しい。異端にあって、なおあの輝きを見せるとは」
「……恐縮至極。では急ぐので失礼します。今後は妙なちょっかいを出されぬように頼みます」
「考えておきますよ」

 返事も聞かず、立ち去っていくエドネスの背中を見送って。

「……まったく。不愉快……いや、不快にさせてくれますね」

 毎度毎度、思い出したくもないものを思い出させてくれる。

「しかし……これでますます欲しくなりましたねぇ……」

 美しいものを穢し、高みに在るものを引きずり落とす、その快楽。下腹部に生まれた熱を部下の誰で発散させるかを考えながら、ソーマは舌なめずりをした。






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(c)Ryuya Kose 2005