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永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

 部下たちと入れ替わりで入浴を済ませたエドネスは、執務室に篭っていた。
 執務室といっても他の部屋と大きく変わる事はなく、ただ物置だった部屋を多少整理しただけの簡素なもの。
 しかし壁際の本棚には、膨大な量の戦術書戦略書、歴史書に心理学の研究書、エーテル技術や永遠神剣関連の研究書がぎっしりと詰め込まれている。壁には大陸全体の地図や帝国の地図、ラキオスや旧サルドバルド、イースペリアなど各国の地図が何枚も張られている。
 そして今エドネスが睨み付けているデスクの上には、法王の壁の東端、つまりこの戦争の現在の最前線地域の詳細な地図が広げられていた。

「ふむ……」

 唸りながら取り上げたのは、『ラキオス王国軍の戦力について』と表題された、数十ページに及ぶ資料。
 懇意にしている元デオドガンの商人や、流れの技術者、訓練士などから流れてくる生の情報は、時に国家機関が入手するそれよりも有用な場合がある。エドネス独自のパイプを通じて届けられるその情報は、彼の作戦運用の要となっていた。

 ――ラキオス王国。
 ここ一年余りでバーンライト、ダーツィ、イースペリア、サルドバルドと北方を制圧し、勢いに乗ってマロリガン共和国をも制圧。そして先日、遂に帝国に宣戦を布告、現在ケセムラウトを拠点とし法王の壁攻略を狙っている。エトランジェを擁しているとはいえ、凄まじい快進撃と言えるだろう。

「……ふむ。やはり指揮官とスピリットとの連携がいいようだな……」

 仔細に情報を分析せずとも、彼我の違いは明白になる。
 ラキオスのスピリットは、全体的にマインドが高く自我も強い。そして仲間同士の信頼関係というものがきちんと築かれている。
 数に乏しいラキオスであるが、相互に補い合う事により損耗を避け得てきていると考えられる。かつてのラキオススピリットには見られなかったこの辺り、隊長であるところのエトランジェ、ユートの果たす役割が大きいと分析されている。

「【求め】のタカミネユート、か」

 その経歴はそれこそ御伽噺のよう。悲劇に美談、勇敢さと美しい仲間たち。最近では人間からの評判もいいと聞く。
 ……翻って、我が身はどうなのだろうか?
 五体は不満足。軍内部での発言力はないに等しく、確固たる地盤を持たない。部下のスピリットからの信頼は厚くとも、他のスピリットへの影響力はないに等しい。
 差は、歴然としている。

「……それでも、俺は俺の道を行くだけだ」

 蝶には蝶の、地虫には地虫の道があるだけ。
 吐き捨てるように一言。後はひたすら無言で資料を検分するエドネスだった。



 資料が散乱する執務室は、狭い。整理すればそれなりの広さになるはずなのだが。

「……ニル、もう少し詰められませんの?」
「無理」
「むしろメルが詰めて欲しいくらいね」
「……すまん。近いうちに掃除しよう」
「その科白、もう十回以上聞いていますわ」
「……面目ない」

 現実には、報告書を提出しに来たメルシアード隊の三人が並べば、もう一杯一杯であった。

「まあ法王の壁での攻防も間近でしょうし、致し方のない事ですわね」
「わかってもらえて何よりだ、と……よし。いいだろう、十分だ。清書は俺がしておこう」

 ぽん、とデスクに投げ出したのは報告書。ラキオス軍の後方の状態を調査してきたその結果が記されている。

「結局エーテルジャンプクライアントを敵領内に設置できない限り、挟撃は難しい。そういう事よね?」
「だろうな。賢者ヨーティアをはじめとした在野の技術者の多くがラキオスに流れている現状を見ると……そんな事をする余裕はないだろう」
「そうなるでしょうね。それに迎え撃つのでしたら、法王の壁に戦力を集中させた方がいいでしょう」
「うむ。……まあ公式な話はここまでだ、本題に入ろう。お前たちがその眼で見たラキオス軍について、教えてくれ」

 元々そちらの方がメインだといわんばかりにエドネスの眼が鋭さを帯びる。

「近日中に命令が下るだろうが……恐らく我が隊は単独でラキオス軍に対し行動を起こさなければならなくなるだろう。それに備えて、どんな些細な事でもいい、活きた生の情報がなんとしても欲しいのだ。何かなかったか?」
「ええ、取って置きの情報がございますわ」

 鋭くなっている眼光をものともせず、メルシアードはもったいぶるように一度微笑む。その笑顔はこれから生々しい戦争の話をしようとしているようには見えない。

「ラキオス領内から帰還する際に、ケムセラウト付近でラキオス軍と交戦中の友軍を発見しましたの。じっくりと観察させていただきましたわ」
「ほぉ……。それは確かに取って置きだな」

 発見した。観察した。そして戦勝の報告がない。
つまり傍観しただけで友軍を見殺しにしたという事になる。となれば秘めておくのも当然となる。しかも。

「メルったら、ラキオス軍と友軍との中間地点でわざと一瞬だけ気配を発して会戦を早めたのよ。自分が早く帰還したいからって」
「あら、何の事でしょう? 私は、ただ"うっかり"してしまっただけですわ」

 否定しているのは言葉だけ。くすりと小さく笑う口元が雄弁に肯定していた。

「ふふ、怖い女だ」
「あら、心外ですわ」
「……メル、ちょっと、怖い」

 ニルギスが少し怯えていた。
 閑話休題。
 
「ラキオスの部隊は青、緑、赤で構成された、いたって標準的な構成でしたわ。友軍は黒、黒、青という機動力に特化した構成でした。恐らく一撃離脱の奇襲部隊を偵察代わりに使用していたのでしょう」
「偵察のつもりが、どこかの怖いお嬢様のせいで戦闘になったのよね」
「腹黒お嬢」
「もう……それは言いっこなしですわ」
「はは、否定はしないんだな。……それで?」

 やり取りにひとしきりにやにやして、続きを促す。

「こほん。結論から申しますと……圧倒的でしたわ。先制攻撃は友軍からで、初手はサイレントフィールドUによる攻撃力増加の恩恵を受けた星火燎原の太刀。正直、決まったと思いましたけれど……」

 呆れたようなメルシアードの科白を、レイオンが引き継ぐ。

「さすがに無傷じゃない。無傷じゃないけど、その程度のダメージに押さえてみせたのよ、ラキオスのグリーンスピリット。大したものだわ」
「でも、死んでた。あのまま受け続けてたら」
「ふむ……だろうな」

 ブラックスピリットの攻撃の真髄は多段攻撃にある。初撃、二撃目が防がれてもその次その次がある。如何に強固な防壁を持っていたとしても、出し抜かれてしまえば的も同然となる。
 それに世界に名を轟かせる帝国軍のスピリット、しかも結果的にとはいえその先鋒を務めたともなれば、相当に強力なスピリットであるに違いなく、いずれ防御を突破するだろう事は明らかだった。
 そのはずだった。

「その一撃を受け止められた時点で、友軍の負けは決まっていたのかもね」

 攻撃を受け止められれば、僅かながらも体勢は崩れ隙が出来る。超一流ならば、それさえも予想の範疇で次の一手へと繋げられるのだろうが、不幸にもそのブラックスピリットには、そこまでの技量はなかったらしい。

「その一瞬の隙を突いて、ラキオスの……あれは多分、『ラキオスの蒼い牙』アセリアね。彼女がそのブラックスピリットを一撃のもとに斬り捨てたの」
「一撃か。それはまた、名前負けしない強さだな。使用した技はわかるか?」
「我流に改良されてたけど、あれは多分ヘブンズスウォードね。場の属性効果もあってか、威力はエトランジェ並みかもしれないわ。一撃の攻撃力だけなら、ひょっとしたら世界最強のスピリットかも」

 同じブルースピリットとは思えないわ、とレイオン。

「おいおいとんでもないな。……メルシアード、お前の眼から見て、何か欠点は?」

 呆れた表情のエドネスが問う相手は、部隊一の剣技の持ち主。自身の色である黒はもちろんの事、青赤緑全てのスピリットの剣技に通じている。

「そうですわね……。まず、決して恵まれてはいないあの体躯であれだけの威力を出すのですから、身体への負担は相当なものだと思われますわ。ですので、連発は利かないのではないでしょうか。体捌きにも若干ですが無駄がありますし、行動と行動の合間に僅かながら動きが止まる瞬間が残ってもいます。……そうですわね、負けるなといわれると相当に厳しいですけれど、倒せといわれれば、成し遂げてご覧にいれる事が出来ますわ」

 自身の生死を度外視すれば、殺しきる事が可能である。
そう告げたメルシアードに、しかしエドネスは首を振るだけ。わかっていたのだろう、メルシアードも溜息を吐く。

「ですよね……」
「メルは物理攻撃の要なんだから、欠けたら全滅だってありうるわ」
「攻守のバランスが崩れたら、危ない」
「わかっていますわ。なにより……」

 黒青緑、三色の瞳がエドネスへと向けられる。

「まだまだ、隊長とご一緒させていただきたいですから」

 口にしたのはメルシアードだけで、けれども三人ともが――否、九人全員が思っているだろう事。

「私たちは、隊長含めてみんなで一つ」
「持ちつ持たれつ。運命共同」
「私たちは、私たち自身を、そして隊長を、暴力から護る事が出来ますわ」
「……ああ。俺にはお前たちみたいな力はない、ただの非力な人間だ。だから暴力からは護られるだけで、護ってやる事は出来ない」

 やり方次第では、と片隅で思いもしたが。現実的にはスピリットと人間の戦闘能力には天と地ほどもの差がある。それは事実。

「だが、そんな人間だからこそ、護ってやれる事もある」

 種族の違いは地位の違い、絶対数の違い、立場の違い。その違いは、龍の爪痕よりも深い断絶。

「言葉から、差別から、社会から世界から」

 いつか目指した未来のために、今も夢見る理想のために。

「……俺が護ってやる」

 胸の内に渦巻く諸々を、今は圧し込んで。伝えた言葉は、ただ力強さに満ちていた。



 夜。執務を終え自室に戻ってからだいぶ時分も経ち、既に深夜に近い頃。エドネスはサイドテーブルの上でささやかな一人だけの酒宴を開いていた。酒は安物のアカスク、肴は夕飯の残り物。ちみり、ちみりとすすっては時間を潰している。
 ――そう、時間潰しである。サイドテーブルにはコップが二つ、待ち人がいる事は容易に窺える。

「ん……」

 つい、とエドネスが視線をドアの向こうに向ける。声はおろか床板がきしむ音さえしないというのに、誰かの接近を察知したのである。
 気付かれた事に気付いたか、殺していただろう気配と音を表に出してやってきたのは誰であろう、フィルフィだった。

「いやぁ、やっぱり気付かれちゃいましたか。あたしもまだまだですねぇ」
「なに、謙遜する事はない。確実に上達している」

 言いながら駆付け三杯とばかりに差し出したコップは、一息で空になる。

「……酒に関してはお前の方が上達が早いな」
「それで褒めたつもりですか?」
「どちらかといえば呆れている」

 席についてからも、軽い言葉の応酬が暫く続く。互いに機会を図っているのはわかっていたが、結局本題の口火を切ったのはフィルフィだった。

「ふぅ……。何があったんです? 沈んでますけど」
「……そう、見えるか?」
「あのねぇ、あたしが隊長と何年間付き合ってると思ってるんです? 六年ですよ六年、しかもずっと戦場で。そんな環境でこんだけ長く一緒にいたら、大概の事はわかりますって」
「……そう、か。そうだろうな……」

 頷いて、また一口喉を焼いてから。

「ソーマ・ル・ソーマは知っているな?」

 名を聞いた途端、耳にするのも嫌だと言わんばかりにフィルフィの表情が曇る。

「……そりゃもう。スピリット育成に関して右に出る者はなく、率いる部隊はエトランジェに勝るとも劣らない帝国最強戦力の一つ、極めつけは嗜虐的妖精趣味の超有名人ですから」
「……まあ、だいたいそれでいい。でだ」

 嫌悪をありありと滲ませるフィルフィに苦笑を一つ、そして一拍の間を置いて。

「公式な物ではないが。我が隊に対してソーマが引き抜きを要求してきた」

 それだけでフィルフィの顔に理解の色がさす。同時に嫌悪の気配も濃さを増す。

「……なるほどね。部隊といっても中枢からの庇護が皆無に等しいあたしらは、格好の獲物ってわけだ」

 庇護がない。それは彼女らが住まうこの館がエドネス個人の資産である事からもよくわかる事。あるのはただ一つ、リレルラエル司令長官の私兵であるという事だけ。司令の意向一つで彼らの運命は決まってしまう。

「で、身体の傷はそん時ですか」
「……まあ、そういう事だ」

 白髪と異形。薄れたとはいえ、未だ残る先帝派というレッテル。スピリットと交戦して生き残った稀有な存在。――スピリットを侍らせる妖精趣味者。それでいて司令長官に眼を掛けられている、ように見える。
 嫉妬や非難の槍玉に上がるのは至極当然の事で、加えてそういった外圧に頑として屈しないのだから、攻撃されるのは已む無し、ともいえる。

「服の上からは見えないところだけ殴るってのも、相変わらず陰湿ですねぇ。おかげでイズラが勘違いしそうになったし」
「司令がとりなしてくれたからそんなに酷くならずにすんだからな」
「司令にとってお気に入りの道具だから、かぁ。ちょいと複雑だけど、感謝しないとねぇ」

 スピリットに理性を残し、一個の個人として扱うエドネスが失脚せずにいられるのは、偏に司令の意向があるからだ。
 司令は、多くの人間がそうであるようにスピリットは戦争の道具であると考えている。自らの私兵であるエドネスに対してもその考えは変わらない。
 しかし、道具だからどのように扱ってもよい、と考えているわけではなく、むしろその道具の性能を最大限活かせるように運用しようとする。
 曰く。
『従来のやり方で全く芽の出なかったスピリットが、そのやり方で開花したのなら。それもまたよかろう。実績は挙げている。それにソーマも断られたなら無理強いせずともよいと言っておったが』
 この地の最高権力者にそういわれれば、いかな参謀、副司令といえど私怨での暴行は加えられず引き下がらざるを得ない。最初の五、六発を見逃したのはガス抜きの意味もあったのだろう。

「……ガス抜きの割には随分と腫れてますよ、これ」

 傷を診ると言い張るフィルフィに上半身を肌蹴させられた姿は、正しく満身創痍といえた。
 青痣になっている件の打撲など擦り傷のようなもので、肋骨は癒え方が悪かったのか歪な曲線を描き、背中一面にケロイド状の火傷の痕、肢体万遍ない刀傷。
 初めて見たならば誰もが眉を顰め目を背けるような、生き様そのものが刻まれたその身体を、フィルフィは慈しむような手つきで治療する。

「こんなに傷だらけになって……。もっと緩やかに生きれたらいいのにねぇ」
「そうも言ってられんから、な」

 先の司令の言葉には、今後戦果が挙げられなかった場合は、即ソーマ隊に部下を引き渡す事、とのただしがついている。それは自我尊厳貞操の全てを略奪される事と同意である。

「俺は絶対にお前たちを手放すつもりはない。例えそのために死地に赴かなければならないのだとしても。この先もずっとそれが続くのだとしてもだ」
「……ええ。みんな承知してますよ、隊長の目指す夢……」

 その発端をフィルフィは知らない。エドネス以外にそれを知る者は、既にこの世にいない。
 けれど、知らなくても。

「いつか……血とマナの霧のその向こうにあるはずの世界……あなたが夢見る世界へ。連れて行ってくださいね……」

 その任に就いてから。隊員が増えるごとに伝えてきたその願い。


 ――今はまだ遠いその日に、お前たちが笑っていられるように。スピリットである事など関係なく、ただありのままに笑っていられる世界のために。そのために俺は生きているのだ、戦っているのだ、と。


「そのためなら、どんな剣の林もマナの雲海も、あたしたちは越えられますから」

 或いは、あなたのためならば――。
 首筋に唇を押し当てて、声に出さずに囁いて。フィルフィはゆっくりとエドネスをベッドに押し倒していった。






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(c)Ryuya Kose 2005