- k a r e s a n s u i -

永遠のアセリア Another after story 〜The Sword of Karma〜

「さて。こんな所でいつまでも突っ立ってるのもなんだね。そろそろ夕飯の支度、始めるかい?」
 シアスの涙が乾き、イズラとシェリオの頭を撫でるエドネスの右腕が疲労を覚え始めた頃。フィルフィがぱん、と手を打って提案した。

「そういえば、今朝から何も口に入れていないな」

 思い出したようにエドネスが腹を押さえる。

「う……ぼくは朝も昼も食べましたけど、お腹すきました……」
「シェリオは成長期だからな」
「あたしは成長期じゃなくても減るけどねぇ」
「それで食べた栄養がきちんと胸に行くんだから羨ましいですよねぇ。私なんか食べたら憎らしいほどに律儀にお腹に行きますもん」

 言いながらリリスがフィルフィの胸に羨望の眼差しを向ける。リリス自身の胸も、年齢を考慮すればそれほど極端に小さいわけではないのだが、比べるとやはり……残念な感じである。

「ん〜、まあ脂肪の備蓄庫にもなるからおっきいと確かに便利だね。任務後は大抵一回り小さくなるけど」
「そんな風に捉えられるところが余裕の表れなのですかそうなんですね? うぬぅ、こうしちゃいられないわ! ほらシアス、いざ台所へ!」
「え、え、きょ、今日の当番はイズラぁああああ〜引っ張らないでぇええ〜」

 どなどなどーなー、と聞き覚えのない旋律が、見送る者の脳裏に流れたとか流れなかったとか。

「……結局来る時も去る時もシアスは引きずられていたな」
「ま、定番ですね。ところでイズラ?」
「?」

 賑やかに台所へと去っていく二人を見送ったフィルフィが尋ね、それまで自分の胸元をぺちぺちと叩いていたイズラが気付いて顔を上げる。

「あんた、どうする? あの二人、料理する気満々だけど」
「ん……一緒に作る」
「そう? ん〜、ならいっその事みんなでつくろっか。確か、偵察任務に出てたメルたちが戻るのって今日の夕方ですよね?」

 賑やかな事に目がないリリスなら、喜びこそすれ嫌がる事は考えられない。そしてリリスがするならとシアスもなし崩し的に賛成するのは自明。
 加えて暫く前から留守にしていた仲間たちが戻るとなれば、いっそパーティのようにしてしまった方がいいだろう。
 差し迫っているだろう過酷な時期に備えて、士気高揚を図る意味も含めての提案である。

「あ、いいですねそれ」
「ん……賛成」
「おし、隊長は?」

 賛成したシェリオとイズラに嬉しげに微笑んで、フィルフィがエドネスに問う。尋ねてはいるものの、返る言葉はわかりきっているのだろう。

「ああ、構わんよ。全員が揃うのは久し振りだからな、存分に腕を振るってくれ」
「お任せを。……あ、でもその前にユウラお願いできますか?」

 言いながらフィルフィは二階を指差す。意図するところはいつものとおり、二階の自室に篭っているユウラ・レッドスピリットを連れてきて欲しいという事である。

「わかった。では、先に行って年少組の監督をしていてくれ」
「了解、お守りは任せて下さい」

 にこっと笑ってイズラとシェリオの手を引いていくフィルフィの後姿は、確かに子守をする母親のような雰囲気を漂わせていた。

 フィルフィたちが去った先の台所で、わあっと喜びの声が沸く。久し振りの全員集合を知らされて嬉しいのだろう。その声を背に、エドネスは二階への階段に足を向けた。


 エドネスを隊長とする『第零独立遊撃隊』の面々が詰めるこの詰め所は二階建てで、一階には食堂や風呂といった共用の空間と隊長の部屋がある。そしてエドネスが向かう二階には、今彼が呼びに行っているユウラたち、各隊員の私室がある。
 
 ――こんこん

「ユウラ、いるか? エドネスだが」

 階段を昇っている途中から既に在室している事に気付いていたが、それでもそう問いかける。待つ事十秒あまり、閉ざされていた部屋の扉がそっと、細く開かれた。

「―――」

 隙間からまず覗いたのは、陰鬱と評するのが適当だろう視線。本来鮮烈な赤をしているはずの瞳は鈍く澱んだ光を溜め込み、そこから微かに用件を問う意思が辛うじて滲み出ている。
 帝国軍ではよく見られるそれは、神剣に精神を飲まれかけた者の瞳だった。

 ユウラは『第零独立遊撃隊』の中で最年長のスピリットであり、育成期間も長く、他部隊での従軍暦もある。
 しかしアタックスキルとディフェンススキルがあまりにも貧弱で、レッドスピリットの売りであるディバインマジックにしても成長が遅く、当時所属していた隊の隊長から疎まれていたのを、エドネスが身請けしたのである。
 エドネス隊に移籍した二年前の段階で、ユウラのマインドは数値にして十あるかないかという状態であった。これは帝国軍所属のスピリットとしてはごく普通の数値であったが、現在ではエドネス隊独特の環境のせいか、若干ではあるが回復し、二十五を前後する辺りで安定している。
 そのおかげか、ユウラは秘めていた類稀なサポーターとしての才能を開花させた。
 今では、最上位スキルであるスターダストこそ習得していないものの、アポカリプスシリーズに代表される高火力・高性能のディバインマジックの数々は、帝国最強戦力として名高い皇帝妖精騎士団やソーマズフェアリーのそれに勝るとも劣らない破壊力を持っていた。

 そんなユウラは、高い水準でマインドを維持する他の隊員たちとあまり馴染もうとしない。神剣の声のまま闘争に傾倒する精神が、じゃれあう事に必要性を見出せないのだ。
 それは当然といえば当然である。が、それでも触れ合う事でマインドは確かに回復した。無価値と下された評価を覆す力も得る事が出来た。
 ならば、触れ合う事を忌避する理由はない。

「食事の準備を皆でする事になった。問題なければユウラも頼む」
「―――」 

 無言。エドネスも何も言わずにユウラの色のない視線を受け止め続ける。
これは彼がフィルフィから聞いた話だが、エドネス以外の、例えばフィルフィやシェリオなどが誘いに来てもこうはならないらしい。
自主トレのような戦闘に関係する誘いなら参加するらしいが、それ以外の誘いの時はそもそも応対にさえ出てこないという。
もちろん単にエドネスが隊長であるからという理由であるかもしれないが。
 そうであってもそうでなくても、どちらにせよ彼のスタンスは変わらないだろう。

 結局、十秒も経った頃。根負けしたようにユウラがドアをゆっくりと開いて部屋から出てきた。

「―――」
「もうみんな台所に行っている」

 物問いたげな視線の意図を把握出来るようになるまでに、エドネスは半年以上の時間を掛けていた。最近では正解率も上昇している。
 果たして、今回も正解だったらしい。ユウラは幽鬼のような足取りではあるが、階段を下りていった。

「……こんなものか」

 ふ、と短く息を吐いてエドネスも後を追った。



「あ〜こらそこ、包丁は剣じゃないんだからそんな大振りしない! あんたはそもそも神剣で野菜を切るな……な〜んて事にどうしてならないんですかね〜つまんないなぁ。そう思いませんか隊長?」
「……唐突になんだ?」
「いや〜それがですね、前々から思ってたんですけど私たちって基本的に何でもそつなくこなしちゃうからハプニングというか笑いの要素が足りないのですよ、油沸き炎踊る阿鼻叫喚なとんでも料理という素敵な状況になれば騒がしさ、もとい賑やかさもひとしおというものだと「そこっ、口はいいから手ぇ動かしな!」はい動かしてますけどすみませんっ」

 調理場でエドネスを出迎えたのは、ぐちぐちと文句を垂れ流しつつも高速で野菜を刻んでいるリリスだった。
 その隣ではシアスとシェリオがリリスの刻んだ野菜に包丁で飾りを入れ、更に隣ではイズラが器用に魚を捌いている。
 別の調理台ではフィルフィが何かの肉に下味をつけようと調味料の小瓶に囲まれて慌しい。

「ふむ。そろそろ下ごしらえも終わりそうだな。ユウラ、火の準備を」
「………」
 
 こくり、無言で頷いてユウラはエドネスが差し出した火打石を手に取り竈に向かう。それを横目で見ていたフィルフィが追加で注文をつける。

「あ〜、隊長! 汲み置きが足りないかもしれないんで、水汲んどいてくれますか? あと薪の補充も頼みます」
「む、わかった。少々待っていろ」

 薪。そう、薪である。
 通常ならばインフラのほぼ全てはエーテル技術によって整備されている。なので本来火を点すのに薪も火打石も要らず、照明にも油は要らず、水もわざわざ汲んでくる必要はない。室温管理も本来不必要なものである。
 しかし、この建物にはそういったエーテル技術によるインフラが全く備わっていない。全てを人力で、自分たちで管理しているのである。
 加えて言えば、そもそもこの館は放棄されていたのをエドネスが自費で買い上げ、自分で修理改築をして詰め所として利用し始めたものである。

 館の裏手にある、これまた手製の釣瓶井戸から水を汲み、天秤つきの水桶を一杯に満たす。その足で燃料庫に向かい、薪の束を一抱え。
 エーテル技術がもたらす恩恵からは程遠い、三百年以上昔と同じ生活がそこにはあった。

「待たせたな……っと」

 がこん、がらがらと、まず右腕に抱えた薪を置く。そして空いた腕で左の肩に乗せていた天秤を下ろした。

「ど〜もです。あ、水はそこ置いといて下さい」

 味見なのか指をくわえて神妙な顔をしているフィルフィ。その周りには火の番をしているユウラ以外が集まっていた。どうやらフィルフィが味付けについて講義しているらしい。ユウラはというと、竈の前で棒立ちになっている。

「薪、ここに置くぞ」
「―――」

 ちらりと横目で確認して、また視線はぱちぱちと爆ぜる炎へと。普段の無表情に揺らめく炎が陰影を作り、なにやら妖しげな雰囲気を醸し出す。そう言えば剣の銘も「妖艶」だったなとエドネスはちらりと思う。

「火は、やはり好きか?」

 嫌いなはずはないだろう。自らの源なのだから。
 だからだろうか。ユウラの瞳が意思の光を向けてきたのは、或いは炎の熱が凍え縮こまった自我を融かしたからかもしれない。

「……見る、のは……落ち着く」
「ん……火がか?」

 首肯。エドネスが持ってきた薪を新たにくべつつも、既に視線は炎へ戻っている。

「……熱くて……消える、から……綺麗」

 細切れにそう語るユウラの横顔に人形じみた美しさを見るのは、何もエドネスに限るものではないだろう。
 結局、エドネスが見入っていた己に気付いて傍らを辞したのは、たっぷり十秒も経ってからの事だった。



「ん〜、隊長がここにいても出来る事ってもうないんですよねぇ」

 とフィルフィに言われて渋々台所を後にしたエドネスは、ならばと一人裏庭で浴場の準備をしていた。
 浴場と言っても、エーテル技術なしには総勢十人が入るだけの水量を加熱・保温するのは難しい。なので、熱した金属板から得られる熱と、それに少しずつ水を滴らせて発生する蒸気とで室内の湿度・温度を高めて汗を流せるようにしていた。
 それに加えて、別室には足湯と、湯を雨のように降らせて身に浴びる機構もある。現代風に言うならば、サウナとシャワーである。
 そしてそれらの施設は全て裏庭にある燃焼釜に繋がっている。因みにエーテル技術に拠らないこれらの設備、全てエドネス手製である。

「む……やはり錆が酷いな。こそぎ落とすだけでは薄くなるばかりだし……根本的に対策を考えんと。エーテル技術は大いに結構だが、やはりそれなしには何も出来んというのは困りものだな……」

 ぶつぶつと呟きながらの配管を整備する。金やすりを手にし金槌を腰に差し、前掛けをして上着を脱いで手拭いを頭に巻いているその姿は、軍人というよりも技術者のそれに近い。実際そういった作業が好きなのだろう、愚痴りながらもその表情は楽しげだったが――ふいに表情から全ての色が抜け落ちた。

「―――」

 それは一瞬の事。表情は何事もなかったかのように楽しげで、姿勢は変わらず錆を落とす手の動きも先程どおり。見る人が見れば気配すらも変化していないだろう。錆があらかた落ちたので金やすりをねじ回しに持ち替え、配管の固定部分のねじを締めなおす。
 その、ごく自然な立ち居振る舞いからは、仇なす者が近付こうものなら手にした得物で突き殺そうという意思が潜んでいるなど到底思えないだろう。

「……ん? ああ」

 しかし、十秒も経っただろうか。エドネスはふと虚空を見上げ、そして表情を綻ばせた。先程察知した気配、その持ち主がわかったのだろう。
 解いた手拭いで丁寧に汗を拭き、前掛けを外す。傍らの木の枝に皺にならないよう掛けていた軍服の上着を着込んで表情を引き締めれば、先程とは別人のような、帝国軍人エドネス・ノア・ディードが出来上がる。
 エドネスはおもむろに裏庭から館の正門へと足を向けた。

 エドネスが正門につくと、見慣れた黒・緑・赤の髪をした三人がちょうど門をくぐったところだった。
 先頭を歩くブラックスピリットはメルシアード。今回偵察任務に就いていた第三小隊の小隊長をしている。
 長い髪を後頭部で束ねたその姿は、使う剣技を思えばまさしく侍、鋭く凛々しい顔付きと細身の身体は、彼女が持つ神剣【妄執】の刀身を思わせる。
 次に続くのはニルギス・グリーンスピリット。ざんばらのショートヘアーに、ビキニスタイルの上下に上着を羽織っただけという露出の多い服装から快活な印象を与えるものの、表情はどこかムスっとしていて機嫌悪そうである。
 最後尾を歩くのがレイオン・ブルースピリット。ポニーテールの彼女はメルシアードよりも更に鋭い眼つきをしている。しかし研ぎ澄まされた感じのするメルシアードの眼光とは違い、彼女のどこか病んだような眼光は、削れに削れた末の細さに思える。

「……任務ご苦労」

 平坦で事務的な、内面の喜びと安堵を微塵も感じさせない口調で声を掛ける。
 スラムとは言え街中である。誰の眼に留まるとも知れない中で、自分はともかく、部隊が責められる口実を作るような真似はしたくはなかったが故に。

「え……あ、隊長」

 呼びかけに、凛々しい表情をしていたメルシアードの表情が花開くようにぱっと笑顔になる。
 が、しかし。

「――っ。失礼いたしました。メルシアード隊、偵察任務より帰還いたしました」

 それはすぐにきちっとした敬礼に弾き飛ばされる。ニルギス、レイオンも同じ様子で無表情をしていた。

「うむ。報告は後で聞く。早々に控えろ」
「はっ」

 再び敬礼して、三人は館へ入っていく。その途中、エドネスの横をすれ違う瞬間。

「何人?」
「二人」
「惜しい、三人」

 エドネスとメルシアードの間に、そんなやり取りが、あった。



 ばたんと丁寧に扉を閉めれば、館は外界と隔絶される。その音をスイッチにして、エドネス、そしてメルシアードたちの表情が和らいだ。

「隊長、先程は申し訳ございませんでした」

 謝罪、というよりはどこか照れるようにメルシアードが頭を下げる。

「一月ぶりにお顔を見たものですから、つい嬉しくて」
「メル、ずっとそわそわしてた」
「恋する乙女ね」
「ニル! レイも! は、恥ずかしいですわっ」

 仲間の二人から次々と指摘されて、メルシアードは頬を染める。普段凛として鋭い印象を与えるメルシアードが照れる姿は新鮮なものがあり、エドネスも少々顔を赤くする。

「あ〜、いやなに、交戦国の領地潜入なんて危険な任務に一個小隊のみで行ってもらっただけで心苦しいのに、自室で踏ん反り返って来るのを待つなど出来んからな」
「そんな、お気遣いなく。この程度でどうにかなるような私たちではございませんわ」
「そうは言うがな……」
「信頼して下さいまし。何より――」

 なおも言い募るエドネスを微笑みで制して、メルシアードは。

「私たちをそういう身体にして下さったのは隊長ご自身でしょう?」

 無自覚に、言葉の爆弾を投下した。

「「「………」」」

 数秒間、メルシアードを中心とした空間が硬直した。

「………」
「………」
「………」
「……?」
「……その表現は微妙ね」
「わかっていると思うが、違うぞ?」
「でも、全員調教済み」
「訓練と言え訓練と」
「あ、あの? 先ほどからどうなさいましたの?」

 再起動した三人の会話に不思議そうなメルシアード。彼女は口調に違わずお嬢様気質で、擦れた感じのする面々の多い隊の中にあって一番の清純派でもある。当然先の自分の発言が三人に何を連想させたのかなど、わかっていない。

「いや、なんでもない」

 他に何が言えるだろうか。

「その言い方では隊の皆が俺によって性的に調教されそういう体質にされてしまったのだ、という風に聞こえてしまうのだが」と言おうものなら、「性的なのはよろしくないと思います!」と一時間正座でお説教をされるのは間違いない。それは過去の経験で知っていたし、ニルギスもレイオンも――更に言えばフィルフィもリリスも――お説教経験組みである。はぐらかすのは当然だった。

「メルは可愛い、っていう話」
「そうね。あなたは私の心の清涼剤よ」
「え、あ、か、可愛いだなんて……」

 当然ではあるが、そこは転んでもただでは起きない逞しい彼女たち。照れ照れ、もじもじとする姿を導き出した辺り、計算済みの発言なのだろう。



「おっ、賑やかだと思ったら帰ってたんだね」
「ん……、お帰りなさい」
「お久しぶりです、先輩方っ」
「ん〜っ、これで一ヶ月ぶりの全員集合ですねっ。さあさあシアスさんこの記念すべき瞬間にどうぞ一言! 三、二、一、ハイッ」
「え、ええっ、あああのそのえ〜っと……お、おかえりなさいっ」
「ふつーねぇ。でもやっぱそれが一番よねっ。というわけでお帰りなさいませ〜っ」
「―――。おかえ、り」

 笑顔のフィルフィを口火に、全員が口々に迎えの言葉を送る。普段無表情なユウラも、笑みのつもりなのだろう、口元を歪めていた。その笑顔の出迎えに。

「ええ、ただいま戻りました」

 メルシアードたちも、笑顔で応えるのであった。



 その日の夕飯は、非常に豪華で賑やかなものになった。
 がさつそうに見えて、実は料理が得意なフィルフィを中心とした本日の夕飯作成部隊は、その実力を存分に発揮して、美味い食事に飢えていたメルシアードたちを大いに喜ばせた。

「ふう。皆さん、とっても美味しかったですわ」
「感謝、感謝」
「任務中は味気ない携行食ばかりだったから、眼が覚める思いよね」

 補給部隊がついてくれるわけでもない任務を終えた後の、久し振りの仲間に美味しい料理、更にこの後に待望の時間が控えているともなれば、この喜びようもわかるというもの。

「さて、んじゃあそろそろメルたちお待ちかねの時間かね」

 そういうフィルフィも嬉しそうなその時間、それは……。



「ほいイズラ目ぇつぶって〜。ざばー」
「ん……っ」
「シェリオさん、石鹸を取っていただけますか?」
「あ、はいっ。今ぼくが使ってるんでちょっと待って下さい」
「レイ、背中流して」
「いいわよ。その代わり、後で私の背中も流してね」
「……ぃよしっ! 私の勝ちぃ! ん〜、日々の努力はやっぱり実を結ぶんですよそうでないと嘘ですよ!」
「うぅ……でもウェストは私の方が細いもん……」
「――♪」

 どこの世界であっても、入浴という行為はリラックス効果を持つのか。シャワー&足湯室で身体を洗う面々は、押し並べて嬉しそうな顔をしている。約一ヶ月の間まともに入浴出来なかったメルシアードたちはもちろん、ユウラも無言ではあるがいたくご機嫌の様子である。

「湯加減はどうだ?」

 外の燃焼室で火の番をしているエドネスは、壁の上部にある通風孔から聞こえてくる会話に耳を傾けながら聞く。ざーっというシャワーを流す音の後、これも通風孔から湯気と一緒にレイオンの声。

「問題ないわ。張り付いている必要はないんじゃないかしら。……はい、もういいわよニルギス」
「ありがと」
「どういたしまして。……それで隊長、今日は私たちと一緒には入らないの?」

 ごくごく自然な会話の流れなので見過ごされてしまいそうではあるが、今日「は」私たちとは入らないの、ときた。
 つまり聞きようによっては……というか、どう聞いても普段は一緒に入っている、という意味を含むレイオンの発言である。
 本人たちにはほとんどその意識はないが、この発言はこの世界の常識からかなり逸脱した行為を示唆していた。
 通常スピリットと人間が接触するのは訓練の時くらいで、奴隷以下の存在として忌み嫌われるスピリットに積極的に干渉していこうとする者は殆どいない。

「そ〜ですよ? シアスだって平均以下の私より更に小さな胸を精一杯膨らませて期待してたんですからそこらへんの乙女心を考えてみてはいかがでしょうか?」
「う、あうぅっ! リ、リリスは私の事も考えてよぉっ!」
「うっ……。一番小さいぼくの立場も考えてみて下さいね……」

 因みに、フィルフィ>ユウラ>法王の壁並みに越えがたい壁>ニルギス>レイオン>メルシアード>リリス>シアス>イズラ>シェリオ、となっている。何が、とは言わないが。

「……花も恥らう年頃だろうに……」
「だって隊長の前で恥らったって……ねぇ?」
「リリスさん、ぼくに聞かれても困ります……」
「それに「水と燃料の節約のためになるべく全員で一度に入ろう」って言い出したのは隊長じゃない。忘れたの?」
「……まあ、そうだが」

 ……何事にも例外はあるものである。
 


「で、結局入らないの?」
「の〜?」

 レイオンの言葉尻に乗っかるイズラ。どこか悲しそうな声色である。というか、エドネスには見えていないが実際悲しげな表情をしている。

「うむ。今はこうして俺が見ているからいいが、放って置いたらどうなるか……。急に冷水になったり熱湯になったりしてもいいなら行くが」
「それは嫌……」

 しょんぼりするイズラ。
 年齢的に言えば、最年少なのはシェリオで、イズラはその次に幼い。エドネスがいない時は口数も少なく大人びているように見えるが、事がエドネスの事に及ぶと一気に歳相応に子供っぽくなる。

「すまんなイズラ。明日は一緒に入れるから今日は勘弁してくれ」

 そんな言葉を聴けばすぐに笑顔。徹底してエドネスにべったりである。

「ふふ。隊長ってほんとにイズラには甘いねぇ」
「そうですね、ちょっと妬けてしまいますわ。……でも、贔屓しているわけではなく、私たち全員に対して優しくして下さっていますよね」
「かといって博愛主義者なわけじゃあないのよね……。殺る時はきっちり殺るし」
「それはそうだ。俺は軍人で時代は戦乱だ。……優しさだけでどうにかなるほど、この世界は親切じゃない。……っと、湿っぽくしてしまったか」

 唐突にばつが悪くなり、エドネスは頭を掻いた。理由は探すまでもないが、今日はどうもほつれやすい。
 しかし、苦笑か自嘲か判別する事はおろか、その表情すら目にする事が出来ていないというのに。

「構いませんよ、この部屋の方がよほど湿ってますから」
「そうですわ。それに、こちらはいつもリリスさんの浮ついて落ち着きのない話ばかりですもの。ちょっとくらい湿り気があって落ち着く話がなければ疲れてしまいます」
「うわ、ちょっとそれは酷いですよ!?」

 意図して、或いは意図せずに。いつだってエドネスのほつれを直すのは彼女たちであり。

「ははっ、違いないねぇ。って事で隊長。どうか心安らかに」

 同時に胸疼かせるのもまた、彼女なのだ。

「――っ。と、とにかく、今日は辞させてもらう。明日は万事抜かりないよう整備しておくから、それで勘弁してくれ。……薪を取ってくるから少し外すぞ」

(この立ち去り方、まるで逃げるようだな……)

 ――逃げ以外の、一体何に見えるだろう?

 自嘲の声は、誰の耳にも届かず消えた。






戻る
(c)Ryuya Kose 2005